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富山赤十字病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富山赤十字病院
富山赤十字病院
情報
英語名称 Toyama Red Cross Hospital
前身 石川県立病院富山分院
石川県立富山病院
富山県立病院
上新川郡立病院
新婦病院
富山市立病院
日本赤十字社富山支部病院
富山陸軍病院赤十字病院
標榜診療科 内科、神経内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、血液内科、精神科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、歯科口腔外科
許可病床数 435床
一般病床:435床
機能評価 一般200床以上500床未満:Ver6.0
開設者 日本赤十字社富山県支部(富山県知事
管理者 富山赤十字病院長
開設年月日 1907年
所在地
930-0859
富山県富山市牛島本町二丁目1番58号
位置 北緯36度42分30秒 東経137度12分32秒 / 北緯36.70833度 東経137.20889度 / 36.70833; 137.20889 (富山赤十字病院)座標: 北緯36度42分30秒 東経137度12分32秒 / 北緯36.70833度 東経137.20889度 / 36.70833; 137.20889 (富山赤十字病院)
二次医療圏 富山医療圏(富山市、滑川市中新川郡
PJ 医療機関
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赤十字の標章
富山赤十字病院の位置(富山県内)
富山赤十字病院

富山赤十字病院(とやませきじゅうじびょういん)は、富山県富山市にある医療機関である。日本赤十字社富山県支部が設置する病院である。富山県東部の中核的な医療機関の1つであり、地域医療の中心的役割を果たしている。

沿革

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出典は個別にあるものを除き、『富山赤十字病院 創立100年記念誌』(2007年11月11日、富山赤十字病院発行)に記載のものを使用する[1]

富山市立病院
  • 1876年(明治9年)10月 - 石川県立病院富山分院が現在の富山市千石町に設立される。
  • 1877年(明治10年)2月 - 石川県立富山病院と改称し、富山市総曲輪に移転。同時期に富山医学所が併設されるが、医学所1881年(明治14年)に金沢医学校(現・金沢大学医学部に統合された。)
  • 1883年(明治16年)7月1日 - 富山県置県に伴い、富山県立病院に改称。
  • 1888年(明治21年)4月 - 市町村制度の制定に伴い、上新川郡立病院と改称。
  • 1889年(明治22年)4月 - 新婦病院に改称。
  • 1891年(明治24年)4月 - 富山市立病院と改称。
  • 1895年(明治28年)2月17日 - 富山市立病院内に全国5番目となる日本赤十字社支部看護婦養成所を設置。
  • 1899年(明治32年)5月12日 - 富山市内の大火によって市立病院全焼。
  • 1901年(明治34年)6月6日 - 富山市立病院が旧病院跡地に再建される。
日本赤十字社富山支部
  • 1889年(明治22年)4月20日 - 日本赤十字社富山県委員部を富山県庁内兵事課に設置。
  • 1894年(明治27年)12月8日 - 日本赤十字社富山県委員部を日本赤十字社富山支部に改称。
日本赤十字社富山県支部
  • 1952年(昭和27年)- 日本赤十字社富山支部を日本赤十字社富山県支部に改称。
富山赤十字病院
  • 1907年(明治40年)
    • 3月2日 - 日本赤十字社富山支部病院の設置認可が下りる。
    • 5月1日 - 富山市総曲輪の富山市立病院を買収し、日本赤十字社富山支部病院として開設(全国で6番目)。
  • 1909年(明治42年)10月17日 - 富山市東田地方町の遊園地跡(1900年開催の関西聯合府県共進会会場の予定地であったが、会場が変更されたためしばらく遊園地となっていた)に2階建の病院を新築移転。
  • 1937年(昭和12年)12月15日 - 富山陸軍病院赤十字病院と改称。
  • 1939年(昭和14年)12月15日 - 陸軍病院指定解除に伴い、当初の名称に戻る。
  • 1943年(昭和18年)1月 - 現名称に改称。
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月1日から8月2日未明 - 富山大空襲により病院全焼。入院患者4人、職員1人、動員生徒6人が死亡、職員2人が火傷を負った。
    • 8月6日 - 富山市新庄町託児所に仮設の診療所を設置し、8月10日より診療開始。
    • 9月27日には富山市下奥井の立山重工業(株)青年学校を借り受けて、内科、小児科の一部を除き移転。
  • 1946年(昭和21年)
    • 7月1日 - 看護婦生徒養成所が下奥井に移転し、授業再開。
    • 12月28日 - 元の場所にてバラック建て本館・病棟が竣工し、1947年(昭和22年)1月20日に移転、47床体制で診療再開。看護婦生徒養成所も同地に移転。
  • 1955年(昭和30年)10月28日 - 地上3階、地下1階建の鉄筋コンクリート建築の病棟が竣工。
  • 1958年(昭和33年)11月21日 - 地上3階建の鉄筋コンクリート建築の第二病棟竣工。
  • 1965年(昭和40年)4月30日 - 一部5階建ての鉄筋コンクリート建築の病棟竣工。1968年(昭和43年)2月29日に増築。
  • 1996年(平成8年)
    • 7月10日 - 新病院・看護専門学校が牛島浄化センター跡地の現在地に新築移転。
    • 8月20日 - 現在地にて診療開始。
  • 2010年(平成22年)8月26日 - 地域医療支援病院の承認を受ける[2]
  • 2011年(平成23年)7月1日 - 災害拠点病院(地域災害医療センター)の指定を受ける[3]

診療科目

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診療協働部門
  • 看護部、看護専門外来
  • 薬剤部
  • 病理部・検査部
  • 放射線科部技術部門
  • 血液浄化治療センター
  • リウマチセンター
  • 健診センター
  • 化学療法センター

医療機関の指定等

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交通アクセス

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 『富山赤十字病院 創立100年記念誌』(2007年11月11日、富山赤十字病院発行)p22 - 47、p55
  2. ^ 地域医療支援病院一覧 (PDF, 11頁目) - 厚生労働省 2011年10月30日閲覧。
  3. ^ 地域連携だより「えん」47号 (PDF, 5ページ) - 富山赤十字病院 2011年8月

外部リンク

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