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中山手通

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日本 > 近畿地方 > 兵庫県 > 神戸市 > 中央区 > 中山手通

中山手通(なかやまてどおり)は、兵庫県神戸市中央区町名。現行行政地名は中山手通一丁目から中山手通八丁目。郵便番号650-0004。

地理

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中央区西部市街地北寄りの東西に長い範囲にあたる。東から順に一~八丁目が設置されている。区の中心部から南西部。事務所ビル・商店・飲食店・集合住宅・一戸建住宅が立ち並ぶ住宅商業地域

東は加納町、南は東から順に北長狭通下山手通、西は楠町、北は西から順に兵庫区矢部町楠木谷町、中央区再度筋町山本通に隣接する。

地価

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住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、中山手通6-4-30の地点で36万8000円/m2となっている。[1]

交通

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鉄道

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町内に鉄道駅はない。

バス

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中山手通3丁目停留所が所在する。

神戸市バス
系統 起点 経由バス停 終点
7[2] 市民福祉交流センター前 元町駅前 楠谷町 新開地 神戸駅前

道路

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  • 東門筋、西門筋、北野坂、ハンター坂、不動坂[3]

歴史

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明治6年(1873年)山手に新道が完成。明治7年(1874年)に神戸町のうち生田宮町・中宮町・花隈町・北野町・宇治野町・神戸1番組の各一部から成立。明治中期~昭和6年は「神戸」を冠称し神戸中山手通の名前だった。はじめ六丁目までだったが、すぐに七丁目ができた。大正3年に八丁目ができた。はじめ神戸町、明治12年(1879年)より神戸区、明治22年(1889年)より神戸市、昭和6年(1931年)より同市神戸区、昭和20年(1945年)より同市生田区、昭和55年(1980年)より同市中央区に所属。

沿革

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人口統計

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  • 第18回国勢調査2005年10月1日現在)での世帯数3,991、人口7,542、うち男性3,449人、女性4,093人[7]
  • 昭和63年(1988年)の世帯数3,912・人口9,360[8]
  • 昭和35年(1960年)の世帯数4,126・人口1万5,350[8]
  • 大正9年(1920年)の世帯数3,966・人口1万7,846[8]
  • 明治25年(1892年)の戸数559・人口2,155[8]

施設

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一丁目
二丁目
三丁目
四丁目
五丁目
六丁目
七丁目
八丁目
  • 徳照寺 - 浄土真宗本願寺派の仏教寺院。
  • 市営中山手住宅「新中山手住宅と改名中」
  • 神戸市立清風公民館(別館)
  • 中山手墓地(管理:神戸市)
  • 宇治川

出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  2. ^ 7系統 停留所一覧 - 神戸市”. 2024年1月28日閲覧。
  3. ^ 神戸市:道路愛称”. www.city.kobe.lg.jp. 2024年1月28日閲覧。
  4. ^ 呉錦堂 ご きんどうコトバンク
  5. ^ “相場師”呉錦堂『海鳴りやまず ―神戸近代史の主役たち』神戸新聞 (神戸新聞出版センター、1977年)
  6. ^ 暴力団排除特別強化地域の設定”. 兵庫県警察 (2020年). 2022年9月19日閲覧。
  7. ^ 神戸市町別世帯数・年齢別人口(国勢調査)”. 神戸市. 2010年4月26日閲覧。
  8. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1988
  9. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』兵庫県14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月10日閲覧。
  10. ^ 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』兵庫12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月16日閲覧。

参考文献

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  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
  • 神戸史学会 編『神戸の町名 改訂版』神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 978-4-343-00437-6 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三 編『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』角川書店、1988年。ISBN 978-4040012803