リチャード・ロジャース (作曲家)
リチャード・ロジャース Richard Rodgers | |
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セント・ジェームズ劇場にて(1948年) | |
基本情報 | |
出生名 | Richard Charles Rodgers |
生誕 | 1902年6月28日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区 |
死没 | 1979年12月30日(77歳没) |
ジャンル | ミュージカル |
リチャード・チャールズ・ロジャース(Richard Charles Rodgers, 1902年6月28日 - 1979年12月30日)は、アメリカ合衆国の作曲家。ミュージカルの作曲で広く知られる。ブロードウェイ・ミュージカル43作品、「900曲以上を作曲」しており、20世紀のアメリカの作曲家の中でも有名な1人に数えられ、彼の楽曲はポピュラー音楽の発展に貢献した。なお、R&Bシンガーのリチャード・ロジャースとは、同名異人である[1]。代表曲には「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「10番街の殺人」「魅惑の宵」「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」「ドレミの歌」など、多くの楽曲がある。
概要
[編集]1919年から1943年、作詞家ロレンツ・ハートと、1943年から1959年、作詞家オスカー・ハマースタイン2世とソングライティング・コンビで数多くのミュージカル曲を作詞作曲した。1920年代から1930年代にかけてロジャース&ハートは『Pal Joey』、『コネチカット・ヤンキー』、『On Your Toes』、『Babes in Arms』など多くのミュージカルの作曲を行なった。1940年代から1950年代にかけてロジャース&ハマースタインは『オクラホマ!』、『フラワー・ドラム・ソング (ミュージカル)』、『回転木馬』、『南太平洋』、『王様と私』、『サウンド・オブ・ミュージック』などのミュージカルの作曲を行なった。特にハマースタインとのコラボレーションは、それまで単なるエンターテイメントとされていたミュージカルを、登場人物やドラマに焦点を当てた物語に変化させた。
ロジャースはアメリカのエンターテイメント業界の最大の賞である舞台のトニー賞、映画のアカデミー賞、音楽のグラミー賞、テレビのエミー賞全てを受賞した最初の人物であり、その頭文字を採ったEGOTの称号を与えられた[2]。さらにピュリツァー賞を受賞し、5賞すべて受賞したのは、ロジャースとマーヴィン・ハムリッシュの2人しかいない[3]。1978年、芸術における特別功労賞として第1回ケネディ・センター名誉賞を受賞した[4]。
人物
[編集]生い立ちおよび教育
[編集]ニューヨークのクイーンズ区でロシア系ユダヤ人外科医の父ウィリアム・エイブラハムズ・ロジャースと母メイミー(リーヴァイ)の家庭に生まれた(ロジャーズというWASP風の苗字は、父親がロガジンスキーというユダヤ的な苗字から改姓したもの)。6歳の頃にピアノを弾き始めた。PS 166、Townsend Harris Hall Prep School、DeWitt Clinton High Schoolに通学した。10代前半、毎年夏にメイン州ウォーターフォードで行なわれたキャンプ・ウィグワムに参加し、そこで初めて作曲した[6]。
ロジャース、ロレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世はコロンビア大学の同窓生であった。コロンビア大学にてロジャースはフラタニティPi Lambda Phiに所属した。1921年、音楽芸術研究所(現ジュリアード音楽院)に転籍した[7]。ヴィクター・ハーバートやジェローム・カーンなどの作曲家、そして子供の頃に両親にブロードウェイにオペレッタを観に連れていってもらったことがロジャースの作曲に影響を与えた。
キャリア
[編集]ロジャース&ハート
[編集]1919年、ロジャースは兄の友人フィリップ・レヴィットの紹介でロレンツ・ハートと出会った。最初の数年はアマチュアの公演でミュージカル・コメディの作曲をしていたがなかなか芽が出なかった。1919年のブロードウェイ・ミュージカル・コメディ『A Lonely Romeo』の楽曲「Any Old Place With You」でプロ・デビューした。1920年、シグマンド・ロンバーグによる楽曲も使用された『Poor Little Ritz Girl』で初めてプロの作品の制作に携わった。次のプロ公演『The Melody Man』は1924年まで開幕されなかった。
大学卒業直後、ルー・フィールズの音楽監督として活動した。ノラ・ベイズ、フレッド・アレンなどが出演していた[8]。ロジャースはショー・ビジネスを完全に辞めて子供用下着販売業に就こうとしたが、1925年にロジャース&ハートはようやくブレイクした。高名なシアター・ギルドのチャリティ・ショー『The Garrick Gaieties』のために作曲し、批評家たちはその新鮮さと爽快さを評価した。1日のみの上演であったが、ギルドはその品質により再演に同意した。この公演で最も注目されたのは楽曲「Manhattan」であった。以降2人はブロードウェイの有力作詞作曲家となった。
次の10年間、2人は『Dearest Enemy』(1925)、『The Girl Friend』(1926)、『Peggy-Ann』(1926)、『コネチカット・ヤンキー』(1927)、『Present Arms』(1928)などブロードウェイやウェスト・エンドの双方で公演をヒットさせた。彼らの1920年代の公演は「Here In My Arms」、「Mountain Greenery」、「ブルー・ムーン」、「My Heart Stood Still」、「You Took Advantage of Me」などのスタンダード・ナンバーを生み出した。
1930年代前半、世界恐慌が本格化し、より良い環境をハリウッドに求めた。意欲的なロジャースはこのやや閑散とした時期をのちに後悔していたが、実際はハートと共に『今晩は愛して頂戴ナ』(1932)を手掛け、「Lover」、「Mimi」、「Isn't It Romantic?」というスタンダード・ナンバーを作り上げた。なお、この映画の監督ルーベン・マムーリアンはのちにロジャースのブロードウェイ・ミュージカル『オクラホマ!』の演出を務めた。以前にハートが作詞してカットされていた3曲を作曲したが、レコーディングもヒットもしなかった。4曲目の歌詞を作曲した「ブルー・ムーン」は2人の最大のヒット曲の1つとなった。映画作品は他にジョージ・M・コウアン主演の『お化け大統領』(1932)、アル・ジョルソン主演の『Hallelujah, I'm a Bum』(1933)、2人がハリウッドを離れた後に急遽戻ることとなったビング・クロスビーとW・C・フィールズ主演の『ミシシッピ (映画)』(1935)などがある。
1935年、ブロードウェイに戻り、1943年にハートが亡くなる直前まで、数多くのヒット・ミュージカルを作詞作曲した。中でも有名なのは『Jumbo』(1935)、ジョージ・バランシン振付のバレエ「10番街の殺人」が使用された『On Your Toes』(1936)、『Babes in Arms』(1937)、『I Married an Angel』(1938)、『The Boys from Syracuse』(1938)、『Pal Joey』(1940)、そして彼らの最後のオリジナル作品『By Jupiter』(1942)である。またロジャースはこれらの作品のうちいくつかの脚本にも貢献していた。
これらの公演で使用された楽曲の多く、「The Most Beautiful Girl in the World」、「My Romance」、「Little Girl Blue」、「I'll Tell The Man In The Street」、「There's a Small Hotel」、「Where or When」、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」、「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」、「恋に恋して」、「Bewitched, Bothered and Bewildered」、「Wait Till You See Her」などが今も歌い継がれている。
1939年、ロジャースは振付師マーク・プラットと共にバレエ・リュス・ド・モンテカルロのバレエ『Ghost Town』の作曲を行なった[9]。
ロジャース&ハマースタイン
[編集]ハートへの信頼が下がり、健康上の理由によりロジャースとハートのパートナーシップは問題が置きはじめていた。ハートより前から共に作曲したことのあるオスカー・ハマースタイン2世と活動を始めた。彼らの革新的ヒットを遂げたミュージカル第1作目『オクラホマ!』(1943)はアメリカのミュージカル史上最も成功したパートナーシップの幕開けとなった。彼らの作詞作曲はミュージカル様式に革命をもたらした。これ以前のミュージカルは楽曲、ダンス、コメディ・シーンが希薄な脚本で寄せ集めであったが、ロジャース&ハマースタインにより完全に融合された。
さらにミュージカル史上最も人気のある作品に数えられる4作を作り出した。『回転木馬』(1945)、『南太平洋』(1949)、『王様と私』(1951)、『サウンド・オブ・ミュージック』(1959)はそれぞれ映画化されヒットした。1950年、『南太平洋』がピューリッツァー賞 戯曲部門を受賞した。『フラワー・ドラム・ソング』(1958)はややヒットし、『Allegro』(1947)、『Me and Juliet』(1953)、『Pipe Dream』(1955)は失敗作に近いものであった。また映画『ステート・フェア』(1945)、スペシャル・テレビ・ミュージカルの『シンデレラ』(1957)の作詞作曲も行なった。
ロジャース&ハマースタインの楽曲「Oh, What a Beautiful Mornin'」、「People Will Say We're in Love」 、オクラホマ州の州歌となった「Oklahoma!」、「It's A Grand Night For Singing」、「If I Loved You」、「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」、「It Might as Well Be Spring」、「魅惑の宵」、「Younger Than Springtime」、「Bali Hai」、「Getting to Know You」、「私のお気に入り」、「The Sound of Music」、「Sixteen Going on Seventeen」、「Climb Ev'ry Mountain」、「ドレミのうた」、ハマースタインの最後の曲「エーデルワイス」など多くが有名になった。
ハート、ハマースタイン双方とのロジャースの作品の多くはロバート・ラッセル・ベネットが編曲した。26エピソードによる第二次世界大戦についてのテレビ・ドキュメンタリー『第二次世界大戦全史』(1952–53)のためのオーケストラ・スコアの準備のためにロジャースが作曲した12曲のテーマ曲を使用した。NBCの制作は「コンピレーション・ドキュメンタリー」の先駆者となり、番組は数十カ国で放映された。人気曲「No Other Love」のメロディが『第二次世界大戦全史』のテーマ曲「Beneath the Southern Cross」に使用された。ABCのドキュメンタリー「Winston Churchill: The Valiant Years」でロジャースが作曲してエディ・ソーター、ハーシー・ケイ、ロバート・E・ドーランが楽譜を作成し、エミー賞を受賞した。1963年から1964年に放送された30エピソードのテレビ・ドラマ『The Greatest Show on Earth』のテーマ曲「March of the Clowns」を作曲した。1963年から1964年、歴史アンソロジーのテレビ番組『The Great Adventure』のメイン・テーマ曲を作曲した。
1960年、ロジャース&ハマースタインはThe Hundred Year Association of New Yorkよりニューヨーク市への貢献を称えられ金メダル賞を受賞した。ロジャース、ハマースタイン、ジョシュア・ローガンは『南太平洋』でピューリッツァー賞 戯曲部門を受賞した[10]。1944年、ロジャース&ハマースタインは『オクラホマ!』でピューリッツァー賞特別賞を受賞した[11]。
1954年、ロジャースはコロムビア・レコードからリリースされた『第二次世界大戦全史』の抜粋「10番街の殺人」、「Carousel Waltz」が収録されたスペシャルLPでニューヨーク・フィルハーモニックを指揮した。
ロジャース&ハマースタインのミュージカルは、37のトニー賞、15のアカデミー賞、2つのピューリッツァー賞、グラミー賞、エミー賞を獲得するなどの成果をおさめた。
ハマースタイン没後
[編集]1960年にハマースタインが亡くなった後のロジャースにとって最初のブロードウェイ・ミュージカル『No Strings』(1962)において「The Sweetest Sounds」などで作曲だけでなく作詞も手掛け、中程度にヒットした。1962年、この作品はトニー賞楽曲賞、振付賞、ミュージカル主演男優賞を受賞した。
あまり知られてはいないが、映画『アラビアのロレンス』(1962)の製作者サム・スピーゲルによると、本編の90%の作曲を依頼したものの、ロジャースの曲は物足りないもので、結局モーリス・ジャールが、全曲を担当した[12][13][14]。
ロジャースは映画版『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)で新曲2曲の作詞作曲を行なった。本作の他の楽曲はロジャース&ハマースタインのものが使用された。
ロジャースは、ハマースタインが保護者となっていた作詞家スティーヴン・ソンドハイムと共に『Do I Hear a Waltz?』(1965)を作詞作曲した。他にマーティン・チャーニンと共に『Two by Two』(1970)、『I Remember Mama』(1979)、シェルドン・ハーニックと共に『Rex』(1976)の作詞作曲を行なった。
1978年、バーナード・カレッジの卒業式において、ロジャースはその高い功績を称えられバーナード特別功労賞を受賞した。同じ年、第1回ケネディ・センター名誉賞を受賞した。1979年、亡くなる6ヶ月前、トニー賞授賞式においてロジャースはLawrence Langner Memorial Award for Distinguished Lifetime Achievement in the American Theatreを受賞した。
死およびレガシー
[編集]1979年、顎のガンを克服した後、心臓発作および咽頭切除により77歳で亡くなった。火葬され、遺灰は海に撒かれた。ロジャースが亡くなった晩、ブロードウェイの全ての劇場は、灯りを消してその死を悼んだ。
1990年、46th Street Theatreはロジャースの功績を記念してリチャード・ロジャース・シアターと改名した。1999年、ロジャース&ハートの追悼記念切手が発売された。2002年、ロジャース生誕100周年を記念して世界中で書籍発売、回顧展開催、上演、音楽リリースが行なわれた他、『オクラホマ!』のブロードウェイ再演が行なわれた。BBCプロムスにおいて、『オクラホマ!』のコンサートを含みロジャースの音楽が一晩中演奏された。ボストン・ポップス・オーケストラはロジャースのトリビュート・アルバム新CD「My Favorite Things: A Richard Rodgers Celebration」をリリースした。
アレック・ワイルダーは著作でロジャースについて以下のように記した:
この本で考察されている曲の全ての作曲者の中で、ロジャースの公演の楽曲は一貫して非常に優れ、創造力があり、洗練されている。彼の曲を何週間も続けて聴くと、感動する[15]。
ロジャースはアメリカ劇場の殿堂に殿堂入りした[16]。
American Academy of Arts and Lettersと共にロジャースは、まだ世に出ていないミュージカル作曲家に上演資金を授賞した。Academy of Arts and Lettersで受け付けているものはこの賞のみで、現在でも毎年授賞している。
以下にこれまでの受賞者を示す:[17]
年 | 公演名 | 受賞者 |
---|---|---|
2018[18] | Gun and Powder | Ross Baum |
Angelica Chéri | ||
KPOP | Jason Kim | |
Helen Park | ||
Max Vernon | ||
Woodshed Collective | ||
2017 | What I Learned from People | Will Aronson |
Hue Park | ||
2016 | We Live in Cairo | Patrick Lazour |
Daniel Lazour | ||
Costs of Living | Timothy Huang | |
Hadestown | Anaïs Mitchell | |
2015 | String | Adam Gwon |
Sarah Hammond | ||
2014 | Witness Uganda | Matthew Gould |
Griffin Matthews | ||
2013 | Natasha, Pierre & The Great Comet of 1812 | Dave Malloy |
The Kid Who Would Be Pope | Tom Megan | |
Jack Megan | ||
2012 | Witness Uganda | Matthew Gould |
Griffin Matthews | ||
2011 | Dogfight | Peter Duchan |
ベンジ・パセク | ||
ジャスティン・ポール | ||
Gloryana | Andrew Gerle | |
2010 | Buddy's Tavern | Raymond De Felitta |
Alison Louise Hubbard | ||
Kim Oler | ||
Rocket Science | Patricia Cotter | |
Jason Rhyne | ||
Stephen Weiner | ||
2009 | Cheer Wars | Karlan Judd |
Gordon Leary | ||
Rosa Parks | Scott Ethier | |
Jeff Hughes | ||
2008 | Alive at Ten | Kirsten A. Guenther |
Ryan Scott Oliver | ||
Kingdom | Aaron Jafferis | |
Ian Williams | ||
See Rock City and Other Destinations | Brad Alexander | |
Adam Mathias | ||
2007 | Calvin Berger | Barry Wyner |
Main-Travelled Roads | Dave Hudson | |
Paul Libman | ||
2006 | グレイ・ガーデンズ Grey Gardens |
Scott Frankel |
Michael Korie | ||
Doug Wright | ||
True Fans | Chris Miller | |
Bill Rosenfield | ||
Nathan Tysen | ||
Yellow Wood | Michelle Elliott | |
Danny Larsen | ||
2005 | Broadcast | Nathan Christensen |
Scott Murphy | ||
Dust & Dreams: Celebrating Sandburg | David Hudson | |
Paul Libman | ||
Red | Brian Lowdermilk | |
Marcus Stevens | ||
2004 | To Paint the Earth | Daniel Frederick Levin |
Jonathan Portera | ||
The Tutor | Andrew Gerle | |
Maryrose Wood | ||
Unlocked | Sam Carner | |
Derek Gregor | ||
2003 | The Devil in the Flesh | Jeffrey Lunden |
Arthur Perlman | ||
Once Upon a Time in New Jersey | Susan DiLallo | |
Stephen A. Weiner | ||
The Tutor | Andrew Gerle | |
Maryrose Wood | ||
2002 | The Fabulist | David Spencer |
Stephen Witkin | ||
The Tutor | Andrew Gerle | |
Maryrose Wood | ||
2001 | Heading East | Leon Ko |
Robert Lee | ||
この森で、天使はバスを降りた The Spitfire Grill |
Fred Alley | |
James Valcq | ||
2000 | Bat Boy | Kaythe Farley |
Brian Flemming | ||
Laurence O'Keefe | ||
The Bubbly Black Girl Sheds Her Chameleon Skin | Kirsten Childs | |
Suburb | Robert S. Cohen | |
David Javerbaum | ||
1999 | Bat Boy | Kaythe Farley |
Brian Flemming | ||
Laurence O'Keefe | ||
Blood on the Dining Room Floor | Jonathan Sheffer | |
The Bubbly Black Girl Sheds Her Chameleon Skin | Kirsten Childs | |
Dream True: My Life with Vernon Dexter | Ricky Ian Gordon | |
Tina Landau | ||
The Singing | Lenora Champagne | |
Daniel Levy | ||
1998 | Little Women | Alison Hubbard |
Allan Knee | ||
Kim Oler | ||
Summer | Erik Haagensen | |
Paul Schwartz | ||
1997 | The Ballad of Little Jo | Mike Reid |
Sarah Schlesinger | ||
Barrio Babies | Fernand Rivas | |
Luis Santeiro | ||
Violet | Brian Crawley | |
Jeanine Tesori | ||
1996 | Bobos | James McBride |
Ed Shockley | ||
The Hidden Sky | Kate Chisholm | |
Peter Foley | ||
The Princess & the Blac | Andy Chuckerman | |
Karole Foreman | ||
1995 | Spendora | Mark Campbell |
Stephen Hoffman | ||
Peter Webb | ||
1994 | Doll (not produced) | Scott Frankel |
Michael Korie | ||
The Gig | Douglas Cohen | |
レント Rent |
ジョナサン・ラーソン | |
The Sweet Revenge of ... | Mark Campbell | |
Burton Cohen | ||
Stephen Hoffman | ||
1993 | Allos Makar | Scott Frankel |
Michael Korie | ||
Valeria Vasilevsky | ||
Avenue X | John Jiler | |
Ray Leslee | ||
Christina Alberta's | Polly Pen | |
They Shoot Horses ... | Nagle Jackson | |
Robert Sprayberry | ||
1992 | Avenue X | John Jiler |
Ray Leslee | ||
The Molly Maquires | Sid Cherry | |
William Strempek | ||
1991 | Opal | Robert N. Lindsey |
The Times | Joe Keenan | |
Brad Ross | ||
1990 | Down the Stream | Michael Goldenberg |
Swamp Gas and Shallow Feelings | Randy Buck | |
Shirlee Strother | ||
Jack E. Williams | ||
Whatnot | Howard Crabtree | |
Dick Gallagher | ||
Mark Waldrop | ||
1989 | Juan Darien | エリオット・ゴールデンサール |
ジュリー・テイモア | ||
1988 | Lucky Stiff | Lynn Ahrens |
Stephen Flaherty | ||
Sheila Levine is Dead ... | Michael Devon | |
Todd Graff | ||
Superbia | ジョナサン・ラーソン | |
1987 | Henry and Ellen | Michael John LaChiusa |
Lucky Stiff | Lynn Ahrens | |
Stephen Flaherty | ||
No Way to Treat A Lady | Douglas J. Cohen | |
1986 | Break/Agnes/Eulogy | Michael John LaChiusa |
Juba | Wendy Lamb | |
Russell Walden | ||
1984 | Brownstone | Andrew Cadiff |
Peter Larson | ||
Josh Rubens | ||
Papushko | Andrew Teirstein | |
1982 | Portrait of Jennie | Enid Futterman |
Howard Marren | ||
Dennis Rosa | ||
1981 | Child of the Sun | Damien Leake |
1980 | Nine (not produced) | Maro Fratti |
Maury Yeston |
演者たちとの関係
[編集]ローズマリー・クルーニーは「恋に恋して」スウィング・バージョンで歌った。セッション後、ロジャースはワルツとして歌うべきだと指摘した[19]。1961年、マーセルズが「ブルー・ムーン」をドゥーワップで歌い、怒ったロジャースは新聞広告1ページを使って不買を呼びかけた。にもかかわらず、チャートで1位を獲得した[20]。1961年、ドリス・デイが「I Have Dreamed」を歌い、ロジャースはデイとアレンジャーのジム・ハーバートに宛てて、これまで聴いた中で最も美しい演奏だと記した。
ペギー・リーがロジャースの意図とは著しく異なるアレンジで「Lover」をレコーディングした後、ロジャースは「ペギーがなぜ私に嫌がらせするのかわからない。彼女は「きよしこの夜」ですら台無しにするだろう」と語った[21]。メアリー・マーティンは、ロジャースが『南太平洋』での音域の狭いマーティンのために、より良く見えるように作曲してくれたと語った。さらにロジャース&ハマースタインはマーティンの希望を全て聞き入れ、非常に良く制作が進んだと語った[22]。ロジャースもハマースタインもドリス・デイを映画版『南太平洋』の主演に望んでおり、デイ自身も希望していた。ミーティングの後、デイの夫でマネージャーのマーティン・メルチャーが高額の出演料を譲歩しなかったため、主役はミッツィ・ゲイナーとなった。
劇作家の権利の保護
[編集]1943年、ロジャースは Dramatists Guild of America の第9代会長となった。
私生活
[編集]1930年、ロジャースはドロシー・ベル・ファイナー(1909–1992)と結婚した[23]。娘のメアリー(1931–2014)はミュージカル・コメディ『Once Upon a Mattress』を作曲し、児童文学の作家でもあった[24]。ドロシーはメアリー出産後、女児を死産した。また別の娘リンダ(1935–2015)も短期間作曲を行なっていた。ロジャースの孫にあたるメアリーの息子アダム・ゲテル(1964生)もミュージカル作曲家で、2005年、『The Light in the Piazza』でトニー賞作曲賞、編曲賞を受賞した。リンダの息子ピーター・メルニック(1958生)は2005年、フィラデルフィア・シアター・カンパニーの『Adrift In Macao』で作曲し、2007年にオフ・ブロードウェイで上演された。
ロジャースは無神論者であった[25]。うつ病やアルコール依存症に陥りがちであり、一度入院したこともあった。
受賞とノミネート
[編集]ロジャースはエミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞全てを受賞した数少ないEGOTの1人である。
年 | 賞 | 部門 | 作品 | 結果 | 参照 |
---|---|---|---|---|---|
1944 | ピューリッツァー賞特別賞 | 芸術賞 | オクラホマ! | 受賞 | [26] |
1945 | アカデミー賞 | 歌曲賞 | 「春の如く」 - 『ステート・フェア』 | 受賞 | [27][28] |
1950 | ピューリッツァー賞 | 戯曲部門 | 『南太平洋』 | 受賞 | [29][30] |
1950 | トニー賞 | ミュージカル作品賞 | 『南太平洋』 | 受賞 | [31][32] |
脚本賞 | 受賞 | ||||
ミュージカル・プロデューサー賞 | 受賞 | ||||
1952 | ミュージカル作品賞 | 『王様と私』 | 受賞 | ||
1956 | 『パイプ・ドリーム』 | ノミネート | |||
1959 | 『フラワー・ドラム・ソング』 | ノミネート | |||
1962 | 『ノー・ストリングス』 | ノミネート | |||
ミュージカル作品賞 | 受賞 | ||||
1965 | 『ワルツが聞こえる?』 | ノミネート | |||
1996 | 『ステート・フェア』 | ノミネート | |||
1957 | プライムタイム・エミー賞 | テレビ音楽貢献賞 | 『シンデレラ』 | ノミネート | [33] |
1961 | 作曲賞 | Winston Churchill: The Valiant Years | 受賞 | ||
1961 | グラミー賞 | オリジナルキャスト・ショー・アルバム賞 | 『サウンド・オブ・ミュージック』 | 受賞 | [34][35] |
1963 | 『ノー・ストリングス』 | 受賞 |
ロジャースが作曲した作品
[編集]ロレンツ・ハートが作詞した作品
[編集]- One Minute Please (1917)
- Fly with Me (1920)
- Poor Little Ritz Girl (1920)
- The Melody Man (1924)
- The Garrick Gaieties (1925–26)
- Dearest Enemy (1925)
- The Girl Friend (1926)
- Peggy-Ann (1926)
- Betsy (1926)
- コネチカット・ヤンキー A Connecticut Yankee (1927)
- She's My Baby (1928)
- Present Arms (1928)
- Chee-Chee (1928)
- Spring Is Here (1929)
- Heads Up! (1929)
- Ever Green (1930)
- Simple Simon (1930)
- America's Sweetheart (1931)
- Love Me Tonight (1932)
- Jumbo (1935)
- オン・ユア・トウズ On Your Toes (1936)
- Babes in Arms (1937)
- I'd Rather Be Right (1937)
- I Married an Angel (1938)
- The Boys from Syracuse (1938)
- Too Many Girls (1939)
- Higher and Higher (1940)
- Pal Joey (1940–41)
- By Jupiter (1942)
- Rodgers & Hart (1975 ロジャース&ハートのレヴュー・ミュージカル)
オスカー・ハマースタイン2世が作詞した作品
[編集]- オクラホマ! Oklahoma! (1943)
オクラホマ! Oklahoma! (1955 映画化) - 回転木馬 Carousel (1945)
回転木馬 Carousel (1956 映画化) - ステート・フェア State Fair (1945 映画)
ステート・フェア State Fair (1996 舞台化) - Allegro (1947)
- 南太平洋 South Pacific (1949)
南太平洋 South Pacific (1958 映画化)
南太平洋 South Pacific (2001 映画化) - 王様と私 The King and I (1951)
王様と私 The King and I (1956) - Me and Juliet (1953)
- Pipe Dream (1955)
- シンデレラ Cinderella (1957 テレビ・ミュージカル)
シンデレラ Cinderella(2013 舞台化) - フラワー・ドラム・ソング Flower Drum Song (1958)
フラワー・ドラム・ソング Flower Drum Song(1961 映画化) - サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music (1959)
サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music (1965 映画化) - A Grand Night for Singing (1993 ロジャース&ハマースタインのレヴュー・ミュージカル)
他の作詞家または単独による作品
[編集]- Ghost Town (1939) (バレエ)
- 第二次世界大戦全史 Victory at Sea (1952) (ロバート・ラッセル・ベネット編曲および指揮)
- The Valiant Years (1960)
- ノー・ストリングス No Strings (1962) (自身の作詞作曲)
- Do I Hear a Waltz? (1965) (スティーヴン・ソンドハイム作詞)
- Androcles and the Lion (テレビ) (1967) (自身の作詞作曲)
- Two by Two (1970) (マーティン・チャーニン作詞)
- Rex (1976) (シェルドン・ハーニック作詞)
- I Remember Mama (1979) (マーティン・チャーニン、レイモンド・ジェセル作詞)
その他の主な音楽作品
[編集]影響
[編集]- ロジャース作曲のサウンドトラックを使用した映画およびテレビを276作品、ロジャースが作曲家としてクレジットされた映画46本、およびテレビイベントはリスト化されている。
- 1960年、サックス奏者のジョン・コルトレーンは『サウンド・オブ・ミュージック』の「私のお気に入り」の即興の旋法を多用したジャズ・バージョンをレコーディングした。コルトレーンの定番の1つとなった。
- 『回転木馬』の楽曲「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」は多くのカバー・バージョンが存在し、プロ・サッカー・チームやそのファンに非常に人気が高い。リヴァプールのジェリー&ザ・ペースメイカーズがカバーした後、1963年11月、リヴァプールFCのファンに広がり、以降彼らの賛歌となった[36]。
- ジェリー・ルイスはレイバー・デーにテレソンを主催し、「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」を歌って締めくくった。
- 『オクラホマ!』の「Oh, What a Beautiful Mornin'」は『サウンド・オブ・ミュージック』の「エーデルワイス」と同様に民謡と間違われることがある。
- 『南太平洋』の「ハッピー・トーク」はダニエル・ジョンストンとジャド・フェアにカバーされた。1980年代、キャプテン・センシブルがバーレスク・オルガンによる軽快なアレンジでのシングルをリリースした。イギリスのラッパーであるディジー・ラスカルはこの曲をコーラスとして使用した。
- ミュージカル界で与えられる賞にロジャースの名が冠されたものが複数ある。
- 1948年の映画『ワーズ&ミュージック』はロジャースと作詞家ロレンツ・ハートの人生を描くミュージカル映画である。
- 1993年、オスカー・ハマースタイン2世とのコンビ結成50年を記念して、ブロードウェイでは『Some Enchanted Evening』というショーが製作された。2人のミュージカルのハイライトシーンを4人の男女で演じるこのショーは、翌1994年に日本でも剣幸、石井一孝等によって博品館劇場で上演された。ショーのタイトルは、代表作『南太平洋』の中の歌のタイトルによる。
- イギリスのロックバンド、ザ・ビートルズのことを当初は「くだらない音楽」と評していたが、『エド・サリヴァン・ショー』に彼らが出演した際には「ファンである」と伝え、評価した[要出典]。
- ベンチャーズの代表曲の一つ「10番街の殺人」は、リチャードの1936年初演のブロードウェイ・ミュージカル「オン・ユア・トウズ」の劇中歌。
脚注
[編集]- ^ リチャード・ロジャース 2022年4月2日閲覧
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- ^ Rodgers' biographer William G Hyland states: "That Richard Rodgers would recall, at the very beginning of his memoirs, his great-grandmother's death and its religious significance for his family suggests his need to justify his own religious alienation. Richard became an atheist, and as a parent he resisted religious instruction for his children. According to his wife, Dorothy, he felt that religion was based on "fear" and contributed to "feelings of guilt." " Richard Rodgers, Yale University Press 1998, ISBN 0-300-07115-9. Chapter 1 at The New York Times Books (accessed April 30, 2008).
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- ^ Vincentelli, Elisabeth (May 27, 2020). “'You'll Never Walk Alone': From Broadway Tear-Jerker to Covid-Era Anthem”. The New York Times March 2, 2021閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Richard Rodgers - インターネット・ブロードウェイ・データベース
- Richard Rodgers - IMDb
- リチャード・ロジャース - allcinema
- City Journal article on Rodgers
- Centennial features on Rodgers
- The Richard Rodgers Collection at the Library of Congress
- Richard Rodgers papers, 1914–1989, held by the Billy Rose Theatre Division, New York Public Library for the Performing Arts
- Musicals by Rodgers and Hammerstein
- TimeLine of Rodgers' Life
- Review and analysis of Rodgers' later plays
- “American Masters: Richard Rodgers Biography”. PBS (February 1999). March 28, 2007閲覧。
- A feature on Rodgers and Hammerstein.
- Richard Rodgers - Library of Congress Authorities
- Richard Rodgers recordings at the Discography of American Historical Recordings.