クラウディオ・マルキジオ
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ゼニトでのマルキジオ(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | プリンチピーノ | |||||
ラテン文字 | Claudio Marchisio | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1986年1月19日(38歳) | |||||
出身地 | キエーリ | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-2006 | ユヴェントス | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2018 | ユヴェントス | 294 | (33) | |||
2007-2008 | → エンポリ (loan) | 26 | (0) | |||
2018-2019 | ゼニト | 9 | (2) | |||
通算 | 329 | (35) | ||||
代表歴 | ||||||
2006 | イタリア U-20 | 1 | (0) | |||
2007-2009 | イタリア U-21 | 14 | (0) | |||
2008 | イタリア U-23 | 3 | (1) | |||
2009-2017 | イタリア | 55 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年7月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラウディオ・マルキジオ(Claudio Marchisio, イタリア語発音: [ˈklaudjo marˈkiːzjo]; 1986年1月19日 - )はイタリア・トリノ県キエーリ生まれの元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはミッドフィールダー。苗字は「マルキージオ」と表記されることが多いが、カナ転記としては「マルキーズィオ」が現地音に近い。
ユヴェントスではカルチョ・スキャンダル後の黄金時代を支え、2度のUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出、史上初のセリエA7連覇を達成した主要メンバーであった[1]。イタリア代表としては2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会、2014年FIFAワールドカップブラジル大会に出場、2012年UEFAヨーロッパ選手権ではイタリアの準優勝に貢献した。
クラブ経歴
[編集]1993年にユヴェントスの下部組織に入団。2006-07シーズンの途中にファーストチームへ昇格するとポジションを掴み、ユヴェントスのセリエA昇格に貢献した。2007-08シーズンはエンポリへ期限付き移籍し26試合に出場したが、奮闘むなしくセリエB降格となった。
2008-09シーズンからはユヴェントスに復帰。第20節のフィオレンティーナ戦で決勝点となるセリエA初ゴール。当時のラニエリ監督の下でポジション争いに勝ち、セバスティアン・ジョビンコやパオロ・デ・チェリエらと共にクラブの将来を担う選手として期待された。また、彼らと共に2008年、北京オリンピックの代表にも選出された。
2009年12月5日のインテルとのイタリアダービーでは、1-1のスコアからの58分、モハメド・シソッコが放ったミドルシュートをGKのジュリオ・セザルが右腕一本で弾き、このこぼれ球をエリア内に詰めていたマルキジオが巧みなボール捌きでシュートブロックに来たワルテル・サムエルをドリブルでかわし、続いて飛び込んで来たジュリオ・セザルの左肩越しへチップ気味に浮かしたシュートを決め、これが決勝点になった。
2010年3月11日、ELベスト16のフラム戦1stレグにおいて、キャプテンのアレッサンドロ・デル・ピエロがサブメンバー、副キャプテンのジャンルイジ・ブッフォンとジョルジョ・キエッリーニが共に怪我で欠場、62分にキャプテンマークを付けていたダヴィド・トレゼゲが交代でピッチを退いた等の条件が重なった為、初めてキャプテンを任された。2010-11シーズンはセリエAベストイレブンに選出された。
2011-12シーズンは、6節のACミラン戦では2ゴールを決めミランの撃破を助けると、10節のインテルとのイタリアダービーでは決勝ゴールを決め、キャリア200試合となった36節のレッチェ戦ではゴールも決めるなど[2]、2年連続となるセリエAベストイレブンに選ばれた[3]。
2012-13シーズン、デルピエロの退団により10番を着ることを打診されたが断った[4]。15節のトリノダービーでは2ゴールの活躍でトリノ撃破を助け、34節のトリノダービーでもゴールを決める活躍を見せた。またUEFAチャンピオンズリーグ、グループステージのFCノアシェラン戦、決勝トーナメント1回戦のセルティックFC戦でゴールを決めるなどの活躍を見せ、2012年のUEFAチームオブザイヤーのノミネートされた。
2013-14シーズン、第19節のカリアリ戦でミドルシュートでゴールを決め、ボローニャ戦でセリエA200試合出場を達成した[5]。
2014-15シーズン、第2節のウディネーゼ戦ではアウトサイドにかけた見事なミドルシュートを決め、第36節インテル戦ではPKでゴールを決め、イタリアダービーの勝利を助けた。UEFAチャンピオンズリーグではファイナルで敗れ優勝はならなかったが、同大会のベストイレブンに選ばれた[6]。2015年7月、クラブとの契約を2019-20シーズンまで延長[7][8]。
2015-16シーズンからはアンドレア・ピルロ退団後の中盤の要として従来よりも低い位置でプレー。シーズン序盤こそ負傷で欠場が多かったが、復帰後はチームのパス回しの中心となっていた、しかし、2016年4月、パレルモ戦で左ひざの靭帯十字部分断裂という重傷を負い、2015-16シーズンを終了。EURO2016参加も断念することになった[9]。
2016-17シーズン、2016年10月26日のUCサンプドリア戦で復帰、チャンピオンズリーググループステージのセビージャFC戦でペナルティーキックでゴールを決めた[10][11]。セリエAでは第25節パレルモ戦でゴールを決め、2017年4月15日ペスカーラ戦でセリエA250試合出場を達成した[12]。2016-17シーズンはサミ・ケディラの控えにまわる事も増えたが、チャンピオンズリーグ準決勝の1sレグ、出場停止のケディラに代わり先発、先制点の起点となるなど好プレーを見せ[13]、2ndレグの試合では怪我のケディラとの交代で出場、ファイナル進出に貢献した。
2017-18シーズン、セリエA前人未到の7連覇のメンバーになるも、怪我などの影響もあり、出場機会を大幅に減らし、ユヴェントスからの退団、MLSやJリーグへ移籍の可能性が報道される中[14]、新シーズンに向けたユヴェントスUSツアーなどのプレシーズンマッチには出場していたが、セリエA開幕を控えた2018年8月17日、双方の合意に基づき突如ユヴェントスとの契約を解除、下部組織時代から含めると25年所属したユヴェントスからの退団が決定した[15]。2017-18シーズンのエラス・ヴェローナ戦に先発出場したのがユヴェントスでの最後の公式戦となった。
2018年9月3日、パリ・サンジェルマン、ポルト、ベンフィカ、アトレティコ・マドリードなどへの移籍の話が出ていたが[16][17]、FCゼニト・サンクトペテルブルクに2年契約で加入[18]。9月30日、FCアンジ・マハチカラ戦で先発出場からゼニト移籍後初ゴールを決めた[19]、怪我で17節以降を欠場したが、ゼニトは優勝を果たした、個人としては8年連続のリーグ優勝となった。
2019年7月、ゼニトとの契約を解除し、退団した[20]。
ASモナコ、中東、日本のクラブへの加入も話題に上ったが、2019年10月3日、自身のSNSを通じて現役引退を発表した。ユヴェントス・スタジアムで行われた記者会見では「ユーベでプレーすることを夢見たトリノの一少年だったが、それをかなえることができた」と語った[21]。現役最後のゴールは2018年11月4日ロシアプレミアリーグのFCテレク・グロズヌイ戦におけるPK、出場試合は2019年2月12日ヨーロッパリーグ、フェネルバフチェ戦に5分出場したものとなった[22]。
代表歴
[編集]2009年8月12日にスイスとの親善試合にて同じユヴェントスの下部組織出身であるドメニコ・クリシートと共にA代表デビューを果たした。
2010 FIFAワールドカップの代表メンバーにも選出され、2試合に出場したが一次リーグで敗退[23]。
2011年10月7日のUEFA EURO 2012予選のセルビア戦で代表初得点を挙げた[24]。
UEFA EURO 2012ではレギュラーとして6試合でプレー、イタリアのファイナル進出に貢献したが、スペインに敗れ準優勝に終わった。
2014 FIFAワールドカップ・イタリア代表に選出され、一次リーグ全3試合に出場、初戦のイングランド戦で先制点となるペナルティエリアの外からのミドルシュートによるゴールを決めたが[25]、第3戦のウルグアイ戦ではレッドカードを受け、退場処分となった。
2016年怪我の為、UEFA EURO 2016に出場出来なかった[26]。
2017年5月、2015年6月以来となる代表復帰、ウルグアイとの親善試合、2018年W杯欧州予選グループG・リヒテンシュタイン戦に向けたイタリア代表メンバーに選出され、ウルグアイ戦に出場した。
プレースタイル
[編集]ユヴェントスユース出身の生え抜き選手であり、アレッサンドロ・デル・ピエロに続くバンディエラとして期待されていた[27]。センターハーフ、サイドハーフ[28]、トップ下[29]など中盤のほとんどの位置でプレーすることができるMF。運動量豊富で、強烈なミドルシュートや背後への飛び出しといったフィニッシュに絡む仕事、レジスタ”として試合を組み立てる仕事も出来る[14]。ただ本人はセントラルハーフを自身の本職であるとしており[28]、また自身の持ち味がスペースへの飛び出しであると考えていた[29]。
人物・エピソード
[編集]- 2016年3月2日に行われたコッパ・イタリア準決勝戦インテル戦において、延長戦後半にシモーネ・ザザがイエローカードを提示された場面のイタリア放送協会のTV実況を「(実況はザザが)蹴っ飛ばしたという。目の見えない人が実況しているんだ」とTwitterにて批判した。イタリア代表選手が国営放送の実況を批判した事や「目の見えない人」という表現を使った事が問題視され、マルキジオは3日に謝罪した[31]。
- 『Pincipino(プリンチピーノ=王子さま)』のニックネームのとおり、水色に澄んだ瞳と優しい顔立ちで、モデルとして香水の広告に起用されたり、日本でもイケメンプレーヤーとして注目されたことがあった[1]。
- ゼニトでの背番号に10番を選択した理由を、憧れのユーヴェの先輩デル・ピエロの影響であることを明かし「重みのある背番号であることは理解している。だが昔から僕のお気に入りの番号だったんだ。子供の頃、デル・ピエロが背負っているのを見ていた。だからこそ大きな敬意を払って扱いたい」と語った[32]。
- ユベントス時代のチームメイト・アルマン・トラオレによれば、マルキジオは1日に4箱もたばこを吸っていたと証言した一方で、「マルキジオほどに走る人を見たことがない」と評している[33]。
個人成績
[編集]クラブでの成績
[編集]2017-2018シーズン終了時
シーズン | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | 欧州カップ戦 | スーパーカップ | 合計 | |||||||||
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コンペ | 出場 | 得点 | コンペ | 出場 | 得点 | コンペ | 出場 | 得点 | コンペ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
2006-2007 | ユヴェントス | B | 25 | 0 | CI | 1 | 0 | - | - | - | - | - | - | 26 | 0 |
2007-2008 | エンポリ | A | 26 | 0 | CI | 1 | 0 | UC | 2 | 0 | - | - | - | 29 | 0 |
エンポリ | 26 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | - | 29 | 0 | |||||
2008-2009 | ユヴェントス | A | 24 | 3 | CI | 2 | 0 | CL | 6 | 0 | - | - | - | 32 | 3 |
2009-2010 | A | 28 | 3 | CI | 0 | 0 | CL+EL | 4+3 | 0+0 | - | - | - | 35 | 3 | |
2010-2011 | A | 32 | 4 | CI | 1 | 0 | EL | 8 | 0 | - | - | - | 41 | 4 | |
2011-2012 | A | 36 | 9 | CI | 3 | 1 | - | - | - | - | - | - | 39 | 10 | |
2012-2013 | A | 29 | 6 | CI | 2 | 0 | CL | 8 | 2 | SI | 1 | 0 | 40 | 8 | |
2013-2014 | A | 29 | 4 | CI | 2 | 0 | CL | 7 | 0 | SI | 0 | 0 | 38 | 4 | |
2014-2015 | A | 35 | 3 | CI | 4 | 0 | CL | 12 | 0 | SI | 1 | 0 | 42 | 3 | |
2015-2016 | A | 23 | 0 | CI | 3 | 0 | CL | 5 | 0 | SI | 1 | 0 | 32 | 0 | |
2016-2017 | A | 18 | 1 | CI | 2 | 0 | CL | 8 | 1 | SI | 0 | 0 | 28 | 1 | |
2017-2018 | A | 15 | 0 | CI | 4 | 0 | CL | 1 | 0 | SI | 0 | 0 | 20 | 0 | |
ユヴェントス | 294 | 33 | 24 | 1 | 66 | 3 | 5 | 0 | 389 | 37 | |||||
合計 | 320 | 33 | 24 | 1 | 663 | 0 | - | 5 | 0 | 418 | 37 |
代表での成績
[編集]
イタリア代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2009 | 2 | 0 |
2010 | 7 | 0 |
2011 | 9 | 1 |
2012 | 13 | 0 |
2013 | 10 | 1 |
2014 | 10 | 2 |
2015 | 3 | 1 |
2017 | 1 | 0 |
通算 | 55 | 5 |
ゴール
[編集]# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2011年10月7日 | ベオグラード | セルビア | 1–0 | 1–1 | UEFA EURO 2012予選 |
2 | 2013年6月11日 | リオデジャネイロ | ハイチ | 2–0 | 2–2 | 親善試合 |
3 | 2014年6月4日 | ヴェローナ | リヒテンシュタイン | 1–0 | 1–1 | 親善試合 |
4 | 2014年6月14日 | マナウス | イングランド | 0–1 | 1–2 | 2014 FIFAワールドカップ |
5 | 2015年11月17日 | ボローニャ | ルーマニア | 1–1 | 2–2 | 親善試合 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ユヴェントスFC
- セリエA : 2011-12, 2012-13, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-2017, 2017-2018
- セリエB : 2006-07
- コッパ・イタリア : 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2012, 2013, 2015
- ゼニト
- ロシア・プレミアリーグ : 2018-19
代表
[編集]- トゥーロン・トーナメント : 2008
個人
[編集]- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15[34])
- セリエAチームオブザイヤー(セリエAベストイレブン) 2010-11、2011-12
脚注
[編集]- ^ a b “【コラム】新天地はどこに…マルキージオが選んだユーヴェとの別れ”. 2018年8月28日閲覧。
- ^ “Juve-Lecce, Marchisio verso le 200 presenze” (Italian). Tuttosport. (2012年5月1日) 2015年12月16日閲覧。
- ^ “Del Piero and Marchisio scoop awards”. juventus.com. (2012年1月24日) 2015年12月16日閲覧。
- ^ “Juventus senza numero 10” (Italian). MSN Sport Notizie. (2012年9月2日)
- ^ “Marchisio torna Principe "Gol e carattere Adesso è quasi nostro"” (Italian). La Stampa. (2014年4月28日)
- ^ name="UEFA Champions League squad of the season">“UEFA Champions League squad of the season”. UEFA.com. Union of European Football Associations (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。
- ^ “Marchisio excited for the future”. juventus.com. (2015年7月6日)
- ^ “Marchisio tra le bandiere della Juventus” (Italian). uefa.com. (2015年7月6日)
- ^ Chris Davie (2016年4月17日). “Italy midfielder Marchisio to miss Euro 2016 with cruciate ligament injury”. goal.com. 2016年4月17日閲覧。
- ^ “Juve in pole position after Sevilla success”. UEFA. (2016年11月22日)
- ^ “Marchisio: “Goal was liberating””. juventus.com. (2016年11月23日)
- ^ “Juve, Marchisio fa 250 a un anno dall'infortunio: ma il futuro...” (Italian). Calciomercato.com (2017年4月16日). 2017年4月17日閲覧。
- ^ “CLモナコ×ユベントス|採点&寸評】イグアインやD・アウベスが躍動! 逸材エムバペも奮闘したが…”. サッカーダイジェストWEB. (2017年5月5日) 2017年5月28日閲覧。
- ^ a b “イタリアの“小さなイケメン王子”マルキージオに日本移籍浮上 6カ国争奪戦勃発か”. 2018年7月28日閲覧。
- ^ http://www.juventus.com/en/news/news/2018/claudio-marchisio-departs-juventus.php
- ^ “Jリーグ行きも噂されたマルキージオ、新天地はPSG?ブッフォンが勧誘”. 2018年9月8日閲覧。
- ^ “ユヴェントス退団のマルキージオ、新天地はポルトガルに?ポルトとベンフィカが獲得に興味”. 2018年9月8日閲覧。
- ^ Клаудио Маркизио продолжит карьеру в «Зените» Футбольный клуб «Зенит» 2018年9月4日
- ^ “Marchisio scores his first goal for Zenit”. 2018年10月7日閲覧。
- ^ "Клаудио Маркизио покидает «Зенит»" (Press release) (ロシア語). FCゼニト・サンクトペテルブルク. 1 July 2019. 2019年9月2日閲覧。
- ^ “マルキジオが33歳で現役引退、ユベントスで約400試合に出場”. www.afpbb.com. 2019年10月4日閲覧。
- ^ Claudio Marchisio-Transfer market
- ^ FIFA.com. “2010 FIFA World Cup South Africa™ - Teams - Italy” (英語). FIFA.com. 2019年1月5日閲覧。
- ^ 代表初ゴールを喜ぶマルキージオ Goal.com 2011年10月8日
- ^ “Andrea Pirlo the pass master stars in his own film to hurt England”. The Guardian. (2014年6月15日) 2015年12月16日閲覧。
- ^ Chris Davie (2016年4月17日). “Italy midfielder Marchisio to miss Euro 2016 with cruciate ligament injury”. goal.com. 2016年4月17日閲覧。
- ^ ユーヴェ、マルキージオが契約延長 Goal.com 2011年5月18日
- ^ a b マルキージオ:「僕はウィングじゃない」 Goal.com 2011年7月27日
- ^ a b マルキージオ:「カルチョーポリに感謝」 Goal.com 2010年6月2日
- ^ 昨季との違いを実感するマルキージオ Goal.com 2011年10月10日
- ^ マルキージオ、実況批判が大騒動に 一部発言を謝罪するも… Goal.com 2016年3月4日
- ^ “マルキージオがゼニトで背番号10番を選んだ理由とは? 憧れの先輩への思い”. 2018年9月13日閲覧。
- ^ “「マルキージオは1日4箱のタバコを吸っても…」元ユーベDFが振り返るセリエAの“絶対王者”での衝撃”. サッカーダイジェストWeb (2021年1月24日). 2024年10月13日閲覧。
- ^ “UEFA Champions League squad of the season”. UEFA.com. Union of European Football Associations (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- クラウディオ・マルキジオ – FIFA主催大会成績