橋本聖子
橋本 聖子 はしもと せいこ | |
---|---|
生年月日 | 1964年10月5日(60歳) |
出生地 |
日本 北海道勇払郡早来町 (現・安平町) |
出身校 | 駒澤大学附属苫小牧高等学校卒業 |
前職 |
富士急行従業員 スピードスケート選手 自転車競技選手 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) 自由民主党(安倍派・谷垣G→無派閥) |
称号 | フランス共和国国家功労勲章 |
親族 |
松実喜代太(大叔父) 橋本善吉(父) 高橋辰夫(義兄) 橋本善太(甥) |
公式サイト | 参議院議員 橋本聖子オフィシャルサイト |
内閣 |
第4次安倍第2次改造内閣 菅義偉内閣 |
在任期間 | 2019年9月11日 - 2021年2月18日 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1995年7月23日 - 現職 |
その他の職歴 | |
第2代 東京オリンピック・パラリンピック競技大会 組織委員会会長 (2021年2月18日 - 2022年6月30日) | |
第29代 自由民主党参議院議員会長 (総裁:安倍晋三) (2016年8月3日 - 2019年9月11日) |
橋本 聖子(はしもと せいこ、1964年〈昭和39年〉10月5日 - )は、日本の政治家、スピードスケート・自転車競技選手。自由民主党所属の参議院議員(5期)、自由民主党両院議員総会会長。戸籍名は、石﨑 聖子(いしざき せいこ)。
スピードスケートおよび自転車競技でオリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500m銅メダル。東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、女性活躍担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)、自由民主党参議院議員会長、一般財団法人日本ドッジボール協会会長、公益財団法人日本スケート連盟会長、公益財団法人日本自転車競技連盟会長、公益財団法人日本オリンピック委員会副会長、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長[1]を歴任した。
略歴
北海道勇払郡早来町(現:安平町)の牧場で生まれ育つ[2](競走馬の牧場である橋本牧場)。祖父母は開拓者で、父方は宮城県三本木町から、母方は奈良県十津川村から入植した[2]。4人兄弟の末子。
父親の方針で3歳でスケート開始。小学3年の時、腎臓病にかかり、2か月間入院。2年間スポーツを禁止される[3]。
中学3年の時、全日本選手権を初制覇の後、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学。全日本スプリント、全日本選手権で優勝。以後、10年間にわたって全日本選手権を制覇。高校1年で世界選手権の日本代表に史上最年少で選ばれる[4]。
原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死の境をさまようが、後に全日本選手権で「4種目完全制覇」を達成。
1983年、高校卒業後、富士急行株式会社へ入社。1994年、富士急行株式会社退社。
30歳のときに自由民主党の当時の幹事長だった森喜朗から「参議院議員に出馬をしないか」とすすめられる[2]。1995年、第17回参議院議員通常選挙の比例区に自民党から立候補し初当選。
国会議員とスポーツ選手の二足のわらじを履く。日中は議員活動、早朝、深夜にトレーニングを行う[2]。午前3時に起きて自転車に乗り、昼間に国会議員としての活動をして、夜9時すぎから2時間のウエイトトレーニングという日課を繰り返し、土日の地方講演には自転車で移動をするなどして練習に充てていた。
1996年、現職国会議員としてアトランタオリンピックの自転車競技2種目に出場するも、12位と9位に終わる。この経験はスポーツの振興や人材育成に取り組む上で大きな財産になった[2]。現役スポーツ選手続行の体力があると自負していたものの、国会議員としてのオリンピック出場が政界とスポーツ界の両方から批判をされたことを理由に「両方の世界を傷つけた」としてスポーツ選手としての現役引退を決意する[5]
2000年8月、園田天光光以来51年ぶり、現役国会議員として2人目、参議院議員としては初の出産。これに先立ち、妊娠判明後の同年3月、出産による本会議欠席を認める参議院規則改正が行われ、事実上、国会議員の産休が制度化する。橋本は直前まで議員活動をし、入院後2時間で初の出産。
2015年、フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエを受章[6]。
2022年、IOCから、女性のスポーツ参加に貢献した関係者や団体に贈られる「女性スポーツ賞」で最高位となる世界賞を受賞。日本人の受賞は初めて。2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の女性理事の割合を約4割に引き上げるなど、ジェンダー平等の取り組みを進めたことが評価された[7]。
役職
- 1995年7月 - 第17回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、初当選。
- 2000年7月 - 北海道開発総括政務次官就任。
- 2001年
- 7月 - 第19回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選(2期目)
- 8月 - 参議院文教科学委員長就任。
- 2003年9月 - 自由民主党副幹事長就任。
- 2004年9月 - 自由民主党副幹事長退任。
- 2005年9月 - 自由民主党女性局長。
- 2006年6月18日 - 日本スケート連盟会長。
- 2007年
- 北海道トライアスロン連合会長/トライアスロン議員連盟 幹事長
- 7月 - 第21回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選(3期目)
- 9月 - 2007年自由民主党総裁選挙で、立候補者・福田康夫元内閣官房長官の推薦人代表となる。
- 2008年9月 - 麻生内閣で外務副大臣に就任。
- 2012年12月 - 第2次安倍内閣で自民党参議院政策審議会長に就任。
- 2013年7月 - 第23回参議院議員通常選挙で比例区から立候補、当選(4期目)
- 2016年7月 - 自民党参議院議員会長に就任[8]。女性として初の自民党参議院議員会長であると同時に、就任の時点において閣僚経験のない初の自民党参議院議員会長である(現行憲法下での閣僚経験のない自民党参院議員会長としては野村吉三郎[注 1](第2代自民党参議院議員会長)以来およそ60年ぶりであった)。
- 2019年
- 7月 - 第25回参議院議員通常選挙で比例区から立候補、当選(5期目)
- 7月 - 自民党参議院議員会長を退任
- 9月 - 第4次安倍第2次改造内閣で東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当、女性活躍担当、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)として初入閣。
- 2020年9月 - 菅義偉内閣でも東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当、女性活躍担当、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)再任。内閣総理大臣臨時代理就任順位第5位に指定された[9]。
- 2021年2月18日 - 内閣府特命担当大臣を辞任し(後任には丸川珠代が入閣し就任)[10] [11]、同日、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任(女性蔑視発言を受けて辞任した森喜朗元首相の後任として)[12]。19日に会長就任に伴い政治的公平性を期すため自由民主党に離党届を提出。22日に受理された。
- 2022年
- 7月1日 - 大会組織委員会が解散した事に伴い、自由民主党に復党した[13]。
- 8月 - 自民党両院議員総会長に就任
選挙歴
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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当 | 第17回参議院議員通常選挙 | 1995年7月23日 | 比例区 | 自由民主党 | - | 第13位 | ||||
当 | 第19回参議院議員通常選挙 | 2001年7月29日 | 比例区 | 自由民主党 | 265,545 | 6/27 | - | - | ||
当 | 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年7月29日 | 比例区 | 自由民主党 | 221,361 | 3.7 | 11/35 | - | - | |
当 | 第23回参議院議員通常選挙 | 2013年7月21日 | 比例区 | 自由民主党 | 279,952 | 6.4 | 5/29 | - | - | |
当 | 第25回参議院議員通常選挙 | 2019年7月21日 | 比例区 | 自由民主党 | 225,617 | 4.5 | 8/33 | - | - | |
当選回数5回 (参議院議員5) |
スポーツ活動
オリンピック
オリンピック | ||
---|---|---|
日本 | ||
女子 スピードスケート | ||
銅 | 1992 アルベールビル | 女子 1500 m |
- 1984年、サラエボ冬季オリンピック出場。当時スピードスケート女子全種目の4種目に出場したが、いずれも8位以内(入賞)には届かなかった(500m11位、1000m12位、1500m15位、3000m19位)。
- 1988年、カルガリー冬季オリンピックではスピードスケート女子全種目の5種目に出場し、全ての種目で日本記録を更新の上、入賞を果たす(500m5位、1000m5位、1500m6位、3000m7位、5000m6位)。但し3000mでは、同走の選手にクロッシングゾーンで本来譲られるべき走路(ほぼ同走時にはアウトからインに入るコースの選手が優先権)を、邪魔されてしまうアクシデントがあった(その同走選手は走路妨害を取られて失格)。さらに最後の出場種目だった5000mでは、レース終盤に苦悶の表情ながらも懸命に滑り続け、そして最後は完全に力尽きてしまい転倒してのゴールとなった(後に橋本本人は「あのゴール直後の転倒は私自身非常に恥ずかしく、スケート人生の中で一番悔いの残るレースだった」と語っている[14])。
- 同1988年、ソウル夏季オリンピックに自転車の代表選手として出場した。このため、関ナツエとともに、日本人として男女を通して史上初めて冬・夏両方のオリンピックに出場した[15]
- 1989年、世界オールラウンドスピードスケート選手権大会において、500m優勝を含む日本人初の総合銀メダル。
- 1992年のアルベールビル冬季オリンピックも女子スピードスケート全5種目出場。女子1500mでの橋本は、序盤から中盤まで積極的に飛ばし続け、終盤ラップタイムが落ちたものの屋外リンク自己記録の2分6秒88をマーク。結果3位入賞を果たし、日本人女性としては史上初となる冬季オリンピックで銅メダルを獲得する快挙を達成した[16]。1000mは5位入賞だった(他500m12位、3000m12位、5000m9位)。
- 1992年バルセロナオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で11位。
- 1994年、リレハンメル冬季オリンピック出場。日本選手団の主将を務め、女子スピードスケートでは500mを除く4種目に出場。特に3000mでは、600m付近で当時世界記録保持者のグンダ・ニーマンの転倒に巻き込まれ、橋本自らも転んでしまい左肘と左脇腹に打撲傷を負うハプニングがあった。その後橋本の再レースが認められ、約1時間経過後の再レースでは当時の日本新記録となる6位入賞を果たした。5000mでも8位入賞だった(他1500m9位、1000m21位)。
- 1996年アトランタオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で12位、女子2万4000mポイントレースで9位。
合計7回(冬季大会4回・夏季大会3回)のオリンピック出場は日本女子最多記録である(世界最多記録は9回出場のニノ・サルクヴァゼが保有)。
引退後
現役引退後は後進の指導に当たる。個人の芸能マネジメント事務所「セイコ・ハシモト・インターナショナル(SHI)」を設立し、代表取締役に就任[17]。
- 2006年7月1日付けで日本スケート連盟会長に就任する。また、日本オリンピアンズ協会の理事も務めている。
- 2008年10月30日、麻生内閣発足に際して外務副大臣に就任したため日本スケート連盟会長職を休職した。これは国務大臣・副大臣・大臣政務官については「公益法人その他これに類する諸団体については、報酬のない名誉職等を除き、その役職員を兼職してはならない。」とする「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」の規定によるものである。2009年9月16日、内閣総辞職に伴い外務副大臣を退任したため、日本スケート連盟会長職に復帰した。
- 2009年11月17日、日本オリンピック委員会理事に就任し、バンクーバー冬季五輪選手団長となる[18]。2012年、ロンドン夏季オリンピック選手団副団長。2013年には、日本オリンピック委員会常務理事となり[19]、女性として初めて、日本オリンピック委員会選手強化本部長を兼務[20]。2014年、ソチ冬季オリンピック選手団長となる。2015年、リオ夏季オリンピック選手団長となる[21]。2017年、日本オリンピック委員会副会長に就任[22]。
- 2009年12月21日、日本女子プロ野球機構名誉顧問に就任。
- 2010年、国会開会中ながらバンクーバーオリンピックに日本選手団の団長として参加。女性として初めてオリンピック日本選手団団長となった。スノーボード男子ハーフパイプ出場の國母和宏の服装問題で出場辞退の話が浮上した際には、団長として國母に開会式への出席辞退と謝罪会見をさせた上で「彼に責任を果たす為チャンスを与えた。最終的には私本人の責任。子供達へ夢を与えるのが彼の最大の仕事で、変わった姿を見届ける義務が有る」として、競技へ出場させるという裁定を下した。
- 2012年12月には日本自転車競技連盟の会長に就任。2008年から東京都自転車競技連盟の会長に就任していた。
- 2012年より、日本ハンドボール協会顧問[23]を務め、副会長に就任。
- 2012年に発覚した柔道全日本女子の園田隆二監督及びコーチらの女子柔道強化選手への暴力問題に関する、日本オリンピック委員会「緊急調査対策プロジェクト」メンバーを勤める。2013年2月6日自民党参議院議員総会において、暴力問題を告発した15名の強化選手について「プライバシーを守ってもらいながらヒアリングをしてもらいたいというのは、決していいことでない」「あまりにも選手のプライバシーを守ろうとする観点から、15人の選手が表に出ていないことをどう判断するか。非常に大きな問題だ」と語った[24][25]。これが、告発に対する否定的な見解として問題化したため、後に「公表しないことに厳しい意見もあることから、どういう方法で選手を守り、経緯や事実を明らかにするか検討すべきという考えだ」と釈明するコメントを出した[26]。また、2013年、全日本柔道連盟外部理事に就任[27]。
- 2013年1月、日本自転車競技連盟会長に就任[28]。
- 2015年10月、全日本スキー連盟理事に就任[29][30]。
- 2017年6月、日本ライフル射撃協会副会長に就任[31]。
- 2017年7月、日本ホッケー協会副会長に就任[32]。
その他、後述の通り父が馬主であったことから、日本競馬にも幼き頃より造詣があり、自由民主党の競馬推進議員連盟の会長にも就いている[33]。
受賞歴
- 1985年 北海道民栄誉賞
- 1986年 エイボン女性スポーツ賞
- 1988年 山梨県民栄誉賞
- 1988年 北海道新聞スポーツ賞
- 1989年 朝日体育賞
- 1989年 日本ユネスコフェアプレー賞
- 1994年 文部大臣賞
- 2021年 五輪オーダー功労章金章[34]
- 2022年 IOC 女性スポーツ賞[35]
政策・主張
- 2007年12月7日に「南京の真実を検証する国民の集い」にメッセージを送った[36]。
- 2007年の第16回統一地方選挙においては自民党道連会長として、リレハンメル五輪で銅メダルを獲得したスピードスケート選手・堀井学に北海道議会議員選挙への出馬を要請した(登別市選挙区から立候補した堀井は当選)[要出典]。
- 2001年の時点では選択的夫婦別姓制度には反対していた[37]。2019年の調査では「どちらとも言えない」としていた[38]。2020年10月9日の記者会見で、男女共同参画担当相として、「国民がどう望んでいるのか前向きに検討することは、非常に前進だと感じてもらえる」として、選択的夫婦別姓の導入に向けた議論に取り組む姿勢を示した[39]。
- 2012年、ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件を契機に改正された銃刀法の所持項目等を高校生射撃部員を増やすため緩めたい意向を明らかにした[40]。
- 憲法9条の改正に賛成し、自衛隊を他国同様の「国防軍」にすべき(2013年毎日新聞アンケート)。
- 日本の核武装について、国際情勢によっては武装すべき(同上)。
- 首相や閣僚の靖国神社参拝は問題ないとしている(同上)[41]。
- 2020年、男女共同参画担当大臣として、性犯罪者へのGPS機器の装着義務化等を検討する政府の方針を発表した[42]。
- 2016年12月9日、第192回国会で部落差別の解消の推進に関する法律案(衆議院提出)に賛成票を投じた[43]。
人物
- 1964年東京オリンピックの直前に生まれ、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた[44]。このことから、後にマスコミで「五輪の申し子」と呼ばれる[45]。
- オリンピック出場7回は女子として日本最多記録である[46][47]。
- 幼少期から慢性腎炎や呼吸筋不全症、B型肝炎などの疾患を抱えている[2]。ライフワークは「スポーツ文化をキーワードに健康寿命を延伸させ、余暇を充実させ誰もが心豊かに生きることができる環境づくり」である[2]。
不祥事
政治資金パーティー収入の裏金問題
2023年12月1日、朝日新聞が、自民党5派閥が開いた政治資金パーティーをめぐる問題で、清和政策研究会(安倍派)が、所属議員が販売ノルマを超えて集めた分の収入を裏金として議員側にキックバックする運用を組織的に続けてきた疑いがあるとスクープした[48]。安倍派は2018~2022年に毎年1回パーティーを開き、計6億5884万円の収入を政治資金収支報告書に記載している[49]。一方、収入・支出のいずれにも記載していない裏金の総額は直近5年間で1億円を超えるとされ(のちに5億円に修正[50])、共同通信は「実際のパーティー収入は少なくとも8億円前後に膨らむ可能性がある」と報じた[51]。清和政策研究会の政治資金収支報告書の記載内容は下記のとおり[注 2]。
清和政策研究会 年月日 パーティー名 会場 収入 購入者数 出典 2018年5月22日 清和政策研究会との懇親の集い 東京プリンスホテル 2億802万円 7,021人 [57] 2019年5月21日 清和政策研究会との懇親の集い 東京プリンスホテル 1億5338万円 5,177人 [58] 2020年9月28日 清和政策研究会との懇親の集い 東京プリンスホテル 1億262万円 3,464人 [59] 2021年12月6日 清和政策研究会との懇親の集い 東京プリンスホテル 1億2万円 3,376人 [60] 2022年5月17日 清和政策研究会との懇親の集い 東京プリンスホテル 9480万円 3,200人 [52] (合計) 6億5884万円
パーティー券は通常1枚2万円であるため、販売枚数が推計できるが、枚数に対する購入者の比率は2018年から2022年にかけてすべて「0.675」で統一されている。日本大学名誉教授の岩井奉信は「絶対にあり得ない」とし、安倍派は政治資金収支報告書に架空の購入者数を記入したとみられる[61][62]。
同年12月10日、直近5年間に1,000万円を超えるキックバックを受けた議員は松野博一官房長官のほか、橋本など10人以上いるとみられると報じられた[63]。12月22日、安倍派においては、議員側の「中抜き」を含む3つのパターンで裏金づくりを行っていたことが関係者の証言により明らかとなった[64][注 3]。12月25日、安倍派では少なくとも参議院議員選挙があった2019年と2022年に開いたパーティーについて、改選となる参議院議員に販売ノルマを設けず、集めた収入を全額キックバックしていたことが報道により明らかとなった[67][注 4]。
2024年4月4日、自民党は党紀委員会を開き、橋本を党役職停止1年とするなどの処分を決定した[69]。同年8月29日、東京地検特捜部は橋本を嫌疑不十分で不起訴処分とした[70]。
その他
- 橋本が代表を務める自民党支部が、2015年2月に農林水産省の補助金対象となった北海道内の2つの企業(下河辺牧場と社台コーポレーション)から計42万円の寄付を受けていたことが、2016年11月公開の政治資金収支報告書により判明。国の補助金などの交付決定を受けた法人に対し、通知から1年を経過するまで政党や政治資金団体への寄付を禁じる政治資金規正法に抵触していたことが発覚した。橋本は「補助金対象とは知らなかった」として、寄付金の一部を返還することとした[71]。
家族・親族
実家は養牛で知られ、父の善吉(2020年10月死去[72])はマルゼン橋本牧場を経営し「牛のハシモト」として知られた牛の仲買商[73]。後にJRA顕彰馬となったサラブレッドのマルゼンスキーのオーナーとしても知られる[73]。その息子の橋本善太は甥。
母方の大叔父には新十津川村長、衆議院議員を務めた松実喜代太がいる[2]。衆議院議員を務めた高橋辰夫は義理の兄(姉の夫)である[2]。
現在、3男3女あり(実子3人。夫と死別した前妻との子供3人)。現在は千葉県在住。
支援団体
所属団体・議員連盟
- ボーイスカウト振興国会議員連盟(理事)
- 日本会議国会議員懇談会(幹事)[75]
- 親学推進議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- アイヌ政策を推進する議員の会
- 全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性を守る議員連盟(共同代表)[76]
- 自転車活用推進議員連盟(副会長)[77]
著書
- 「聖火に恋して」(日刊スポーツ出版社、東京、1995年2月 ISBN 978-4-81720138-6
論文
脚注
注釈
- ^ 野村は大日本帝国憲法下の1939年から1940年まで外務大臣の経験がある。
- ^ 2023年11月24日、総務省は2022年分の政治資金収支報告書を公表。自民党5派閥がそれぞれ同年に開催した政治資金パーティーの収入額もあわせて公表された。金額は清和政策研究会(安倍派)が9480万円、志帥会(二階派)が1億8845万円、平成研究会(茂木派)が1億8142万円、志公会(麻生派)が2億3331万円、宏池政策研究会(岸田派)が1億8328万円。安倍派はパーティ開催時で所属国会議員98人を有する最大派閥であるにもかかわず収入の金額が著しく低いことが明らかとなった[52][53][54][55][56]。
- ^ 安倍派における裏金づくりの3つの手法の詳細は以下のとおり[64][65][66]。
(1)支援者は派閥の口座に直接代金を振り込み、派閥側はノルマ超過分を議員に還流(キックバック)する。
(2)支援者は頼まれた議員の口座に代金を振り込み、議員は振り込まれたパーティー券代のうち、ノルマ分だけを派閥に納めて「中抜き」し、残った分は手元にプールし事実上の還流とする。
(3)支援者は頼まれた議員の口座に代金を振り込み、議員はその全額を派閥に納め、派閥側はノルマ超過分を議員に還流する。 - ^ 2019年改選時の安倍派所属の参議院議員と2022年改選時の同所属の参議院議員のそれぞれの内訳は下記のとおり(当選回数順)。詳細不詳の井上義行についてはその他とした。2020年8月入会の吉川有美(2019年改選)[68]と2023年4月入会の片山さつき(2022年改選)は含めていない。
出典
- ^ “米国発表に中国対抗措置明言、豪英加続く/北京五輪外交ボイコット巡る動き”. 日刊スポーツ (2021年12月12日). 2021年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 第201回国会 参議院本会議 第5号 令和2年2月14日 - くにさく。2020年11月21日閲覧。
- ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
- ^ 「史上最年少の橋本ら六選手 世界選手権代表決まる スケート」朝日新聞1980年12月20日付東京本社版17面(2021年6月3日聞蔵Ⅱビジュアルで閲覧)
- ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
- ^ “参議院議員の橋本聖子氏が国家功労勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月19日閲覧。
- ^ “橋本聖子氏に女性スポーツ賞”. 朝日新聞 (2022年2月3日). 2022年2月4日閲覧。
- ^ “橋本聖子氏、自民参院会長に無投票当選 初の女性会長”. 朝日新聞. (2015年7月26日) 2016年7月26日閲覧。
- ^ “首相臨時代理 1位は麻生氏、2位は加藤氏”. 日本経済新聞. (2020年9月17日) 2020年9月17日閲覧。
- ^ “橋本氏、五輪組織委会長受諾を首相に報告 五輪相の辞表提出”. 産経新聞. (2021年2月18日) 2021年2月18日閲覧。
- ^ “丸川五輪相「日本の男女共同参画、道半ば」 森氏発言念頭か”. 産経新聞. (2021年2月18日 22時48分) 2021年2月18日 22時48分閲覧。
- ^ “橋本聖子氏が新会長に就任 東京五輪・パラ組織委員会”. NHK NEWSWEB. NHK. (2021年2月18日) 2021年2月18日閲覧。
- ^ “橋本聖子参院議員が復党、自民の非改選議席は56に…五輪組織委会長就任で離党”. 読売新聞. (2022年7月1日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ 著書「聖火に恋して」より
- ^ 橋本聖子、大菅小百合ら、夏季&冬季五輪に出場したアスリート=プレーバック五輪 第11回
- ^ Albertville 1992-Medals ceremony: BORNER J. (GER) 1st, NIEMANN G. (GER) 2nd, HASHIMOTO S. (JPN) 3rd.
- ^ 国会議員情報:橋本 聖子(はしもと せいこ) - 時事ドットコム
- ^ “橋本聖子氏がJOC理事”. 朝日新聞. (2009年11月18日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “平成25・26年度JOC新役員を決定”. 日本オリンピック委員会. (2013年7月1日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “JOC会長、竹田氏8選 選手強化本部長は橋本聖子氏”. 朝日新聞. (2013年6月28日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ リオ五輪選手団団長に橋本聖子氏、夏季大会で女性は史上初 - スポニチ
- ^ 橋本氏がJOC副会長就任へ - 時事ドットコム
- ^ No.530 10月号 - 日本ハンドボール協会
- ^ “自民・橋本聖子氏、告発選手名の公表を/柔道”. サンケイスポーツ. (2013年2月6日). オリジナルの2013年7月31日時点におけるアーカイブ。 2013年10月17日閲覧。
- ^ “橋本聖子氏「告発選手名の公表を」”. 日刊スポーツ. (2013年2月6日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “柔道、匿名で告発に異議? 橋本聖子氏、後に釈明”. 朝日新聞. (2013年2月7日). オリジナルの2013年2月6日時点におけるアーカイブ。 2013年10月17日閲覧。
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関連項目
- 日本の冬季オリンピック銅メダル
- マルゼンスキー - 実家の橋本牧場産駒の名馬。亡くなった時の葬儀にも参列しており、その際、世界選手権の金メダルを棺に納めている。
- 日本オリンピアンズ協会 - 理事を務めている。
- 元オリンピック選手の国会議員の一覧
- 日本の女性国会議員一覧
- 自由民主党国会議員一覧
外部リンク
- 参議院議員 橋本聖子オフィシャルサイト
- 橋本聖子 - 首相官邸ホームページ
- 橋本聖子 - オリンピックチャンネル
- 橋本聖子 - Olympic.org
- 橋本聖子 - Olympedia
公職 | ||
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先代 鈴木俊一 |
国務大臣 (東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当) 第6代:2019年 - 2021年 |
次代 丸川珠代 |
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次代 丸川珠代 |
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外務副大臣 伊藤信太郎と共同 2008年 - 2009年 |
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議会 | ||
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参議院文教科学委員長 2001年 - 2002年 |
次代 大野つや子 |
党職 | ||
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自由民主党参議院議員会長 第29代:2016年 - 2019年 |
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名誉職 | ||
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- 令和時代の閣僚
- 日本の女性閣僚
- 国務大臣(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当)
- 内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)
- 日本の副大臣経験者
- 女性参議院議員
- 自由民主党の参議院議員
- 自由民主党参議院議員会長
- 比例区選出の参議院議員
- 令和時代の参議院議員
- 平成時代の参議院議員
- 日本会議国会議員懇談会の人物
- 国家功労勲章受章者
- 日本のスポーツ選手出身の政治家
- オリンピック組織委員会会長
- 2020年東京オリンピック・パラリンピック
- 日本のオリンピック関係者
- 日本の女子自転車選手
- 日本の女子スピードスケート選手
- オリンピック自転車競技日本代表選手
- オリンピックスピードスケート日本代表選手
- 夏冬オリンピックを経験した選手
- スピードスケートのオリンピックメダリスト
- 日本のオリンピック銅メダリスト
- アジア冬季競技大会メダリスト
- 複数のスポーツで活躍した選手
- 日本のスピードスケート指導者
- 日本の自転車競技
- 富士急行の人物
- 日本女子プロ野球機構
- 日本のトライアスロンに関する人物
- 日本の競馬に関する人物
- オリンピック功労章受章者
- 駒澤大学附属苫小牧高等学校出身の人物
- 北海道出身のスポーツ選手
- 1964年生
- 存命人物