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{{Infobox baseball player
'''ゴーマン・トーマス'''('''James Gorman Thomas''':ジェームズ・ゴーマン・トーマス [[1950年]][[12月12日]] - )は[[アメリカ合衆国]]の[[メャーリーグベースボール]]の右投右打の[[外野手]]。[[サウスカロライナ州]][[チャールストン (サウスカロライナ州)|チャールストン]]出身。
|選手名 = ゴーマン・トーマス
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|プロ入り年度 = 1969年
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|初出場 = 1973年4月6日
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* [[ミルウォーキー・ブルワーズ]](1973 - 1983)
* [[クリーブランド・ガーディアンズ|クリーブランド・インディアンス]](1983)
* [[シアトル・マリナーズ]](1983 - 1986)
* ミルウォーキー・ブルワーズ(1986)
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[[File:Gorman Thomas 2011.jpg|thumb|ゴーマン・トーマス]]
'''ジェイムズ・ゴーマン・トーマス'''('''James Gorman Thomas''', [[1950年]][[12月12日]] - )は[[MLB]]の元選手。ポションは[[外野手]]。[[アメリカ合衆国]][[サウスカロライナ州]][[チャールストン (サウスカロライナ州)|チャールストン]]出身。ニックネームは「'''Stormin' Gorman'''」

== 経歴 ==
=== ミルウォーキー・ブルワーズ ===
{{by|1969年}}の[[MLBドラフト]]で[[シアトル・パイロッツ]]から1巡目(全体21位)に指名を受け入団。翌年チーム名がミルウォーキー・ブルワーズに改称される。{{by|1973年}}[[4月6日]]の[[ボルチモア・オリオールズ]]戦でメジャーデビュー。[[4月15日]]の同カードで9回に[[ジム・パーマー]]から同点に追い付くメジャー初本塁打を放つ<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/boxes/MIL/MIL197304151.shtml|title=Apr 15, 1973, Orioles at Brewers Play by Play and Box Score|language=英語|work=Baseball-Reference.com |accessdate=2013年2月24日 }}</ref>。{{by|1974年}}にAAA級で51本塁打・122打点・175三振・93四球を記録するが、メジャーでは目立った成績を残せず。{{by|1977年}}はAAA級で打率.322・36本塁打・114打点・105四球を記録するが、メジャーでの出場はなかった。[[10月25日]]、8月に獲得した選手の見返りとして[[テキサス・レンジャーズ]]に放出されるが、{{by|1978年}}[[2月8日]]に復帰。同年は32本塁打・86打点を記録し、長距離打者として開花する。{{by|1979年}}に45本塁打・123打点を記録して[[最多本塁打 (MLB)|最多本塁打]]のタイトルを獲得する一方で、両リーグワーストの175三振。[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]の投票では7位に入った。{{by|1980年}}は38本塁打・105打点。{{by|1981年}}に自身最初で最後の[[1981年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。同年は[[1981年のMLBストライキ|50日間に及ぶストライキ]]でシーズンが短縮されたため103試合の出場に留まるが、キャリアハイの打率.259、1位と1本差の21本塁打を記録した。ストライキの影響で前後期の[[2シーズン制|スプリットシーズン制]]の変則日程となり、チームは後期優勝。前期優勝の[[ニューヨーク・ヤンキース]]との[[1981年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]では、第5戦で[[ロン・ギドリー]]から本塁打を放つが打率.111に終わり、チームは2勝3敗で敗退した。

{{by|1982年}}は39本塁打・112打点を記録し、[[レジー・ジャクソン]]と並んで3年ぶりの最多本塁打を獲得、チーム本塁打216本の強力打線の一角を占めた。[[ボルチモア・オリオールズ]]の追い上げを振り切って球団創設以来初の地区優勝を果たし、[[ロサンゼルス・エンゼルス|カリフォルニア・エンゼルス]]との[[1982年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では、第1戦で[[トミー・ジョン]]から放った本塁打1本のみで打率.067と振るわなかったが、チームは2連敗の後3連勝でリーグ優勝。[[セントルイス・カージナルス]]との[[1982年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]でも打率.115と不振で、チームは3勝4敗で敗退した。MVPの投票では8位。{{by|1983年}}は開幕から不振が続き、[[6月6日]]に2選手との交換トレードで、2選手と共に[[クリーブランド・ガーディアンズ|クリーブランド・インディアンス]]に移籍。

=== クリーブランド・インディアンス ===
移籍後に調子はやや上向いたが、シーズン通算で打率.209・22本塁打・69打点に終わり、[[12月7日]]に[[トニー・バナザード]](後[[福岡ソフトバンクホークス|南海・ダイエー]])との交換トレードで、1選手と共に[[シアトル・マリナーズ]]に移籍。


=== シアトル・マリナーズ - 古巣復帰 ===
== 特徴 ==
{{by|1984年}}は[[5月15日]]を最後に故障で離脱し、打率.157・1本塁打と全くの期待外れに終わる。{{by|1985年}}は[[4月11日]]の[[オークランド・アスレティックス]]戦で満塁本塁打を含む3打席連続本塁打を放つ<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/boxes/SEA/SEA198504110.shtml|title=Apr 11, 1985, Athletics at Mariners Play by Play and Box Score|language=英語|work=Baseball-Reference.com |accessdate=2013年2月24日 }}</ref>。打率.215ながら32本塁打・87打点を記録し、[[カムバック賞 (MLB)|カムバック賞]]を受賞。{{by|1986年}}は開幕直後は好調だったが、すぐに失速。[[4月29日]]の[[ボストン・レッドソックス]]戦で、チームは[[ロジャー・クレメンス]]にメジャー記録の1試合20三振を喫したが、7回に唯一の得点となる本塁打を放った<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/boxes/BOS/BOS198604290.shtml|title=Apr 29, 1986, Mariners at Red Sox Box Score and Play by Play|language=英語|work=Baseball-Reference.com |accessdate=2013年2月24日 }}</ref>。[[6月25日]]に解雇され、[[7月16日]]に古巣ブルワーズに復帰。しかし調子は上向かず、シーズン通算で打率.187・16本塁打に終わる。[[10月16日]]に解雇され、引退。
かなりの巨漢で、その体格を生かして[[本塁打]]を量産。現役生活13年のうち、5度30本以上のホームランを記録している。一方で、ブンブン振り回した為、[[打率]]が低く(ストライキでシーズンが中断・短縮された[[1981年]]の.259を除けば、2割5分すら越えたことがない)、[[三振]]の数も異常なほど膨れ上がっている。(年間平均三振数:103個)


== 選手としての特徴 ==
ただしチャンスには強く、年間100打点以上も3度記録している。
最大の武器は長打力で、30本塁打以上を5度記録し、最多本塁打も2度獲得している。一方で三振がかなり多く、打率も低い。しかし選球眼は良く四球を多く選んだため、打率の割に出塁率は高かった。通算打率は.225だが、出塁率は.324で、打率をほぼ1割上回っている。


== 獲得タイトル・記録 ==
== 獲得タイトル・表彰・記録 ==
* 本塁打2回([[1979]]、[[1982年]])
* 最多本塁打 2回:1979, 1982年
* [[MLBオールスターゲーム]]選出 1回:1981
* リーグ最多三振2回(1979、[[1980年]])
* カムバック賞 1回:1985年
* [[MLBオールスターゲーム|オールスター]]選出1回([[1981]])
* リーグ最多三振 2回:1979, 1980年


== 年度別打撃成績 ==
== 年度別打撃成績 ==
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|59||172||155||16||29||7||1||2||44||11||5||5||3||0||14||1||0||61||2||.187||.254||.284||.538
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26行目: 70行目:
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|46||192||164||21||30||6||1||5||53||18||2||1||2||2||23||0||1||50||6||.183||.284||.323||.607
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|106||437||371||51||82||17||0||17||150||51||8||3||2||6||57||2||1||98||7||.221||.322||.404||.726
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高

=== タイトル ===
* [[最多本塁打 (MLB)|本塁打王]]:2回(1979年、1982年)

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
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2021年11月28日 (日) 11:16時点における最新版

ゴーマン・トーマス
Gorman Thomas
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州チャールストン
生年月日 (1950-12-12) 1950年12月12日(73歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1969年 ドラフト1巡目(全体21位)
初出場 1973年4月6日
最終出場 1986年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ゴーマン・トーマス

ジェイムズ・ゴーマン・トーマスJames Gorman Thomas, 1950年12月12日 - )は、MLBの元選手。ポジションは外野手アメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン出身。ニックネームは「Stormin' Gorman」。

経歴[編集]

ミルウォーキー・ブルワーズ[編集]

1969年MLBドラフトシアトル・パイロッツから1巡目(全体21位)に指名を受け入団。翌年チーム名がミルウォーキー・ブルワーズに改称される。1973年4月6日ボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。4月15日の同カードで9回にジム・パーマーから同点に追い付くメジャー初本塁打を放つ[1]1974年にAAA級で51本塁打・122打点・175三振・93四球を記録するが、メジャーでは目立った成績を残せず。1977年はAAA級で打率.322・36本塁打・114打点・105四球を記録するが、メジャーでの出場はなかった。10月25日、8月に獲得した選手の見返りとしてテキサス・レンジャーズに放出されるが、1978年2月8日に復帰。同年は32本塁打・86打点を記録し、長距離打者として開花する。1979年に45本塁打・123打点を記録して最多本塁打のタイトルを獲得する一方で、両リーグワーストの175三振。MVPの投票では7位に入った。1980年は38本塁打・105打点。1981年に自身最初で最後のオールスターゲームに選出される。同年は50日間に及ぶストライキでシーズンが短縮されたため103試合の出場に留まるが、キャリアハイの打率.259、1位と1本差の21本塁打を記録した。ストライキの影響で前後期のスプリットシーズン制の変則日程となり、チームは後期優勝。前期優勝のニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは、第5戦でロン・ギドリーから本塁打を放つが打率.111に終わり、チームは2勝3敗で敗退した。

1982年は39本塁打・112打点を記録し、レジー・ジャクソンと並んで3年ぶりの最多本塁打を獲得、チーム本塁打216本の強力打線の一角を占めた。ボルチモア・オリオールズの追い上げを振り切って球団創設以来初の地区優勝を果たし、カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第1戦でトミー・ジョンから放った本塁打1本のみで打率.067と振るわなかったが、チームは2連敗の後3連勝でリーグ優勝。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでも打率.115と不振で、チームは3勝4敗で敗退した。MVPの投票では8位。1983年は開幕から不振が続き、6月6日に2選手との交換トレードで、2選手と共にクリーブランド・インディアンスに移籍。

クリーブランド・インディアンス[編集]

移籍後に調子はやや上向いたが、シーズン通算で打率.209・22本塁打・69打点に終わり、12月7日トニー・バナザード(後南海・ダイエー)との交換トレードで、1選手と共にシアトル・マリナーズに移籍。

シアトル・マリナーズ - 古巣復帰[編集]

1984年5月15日を最後に故障で離脱し、打率.157・1本塁打と全くの期待外れに終わる。1985年4月11日オークランド・アスレティックス戦で満塁本塁打を含む3打席連続本塁打を放つ[2]。打率.215ながら32本塁打・87打点を記録し、カムバック賞を受賞。1986年は開幕直後は好調だったが、すぐに失速。4月29日ボストン・レッドソックス戦で、チームはロジャー・クレメンスにメジャー記録の1試合20三振を喫したが、7回に唯一の得点となる本塁打を放った[3]6月25日に解雇され、7月16日に古巣ブルワーズに復帰。しかし調子は上向かず、シーズン通算で打率.187・16本塁打に終わる。10月16日に解雇され、引退。

選手としての特徴[編集]

最大の武器は長打力で、30本塁打以上を5度記録し、最多本塁打も2度獲得している。一方で三振がかなり多く、打率も低い。しかし選球眼は良く四球を多く選んだため、打率の割に出塁率は高かった。通算打率は.225だが、出塁率は.324で、打率をほぼ1割上回っている。

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

  • 最多本塁打 2回:1979年, 1982年
  • MLBオールスターゲーム選出 1回:1981年
  • カムバック賞 1回:1985年
  • リーグ最多三振 2回:1979年, 1980年

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1973 MIL 59 172 155 16 29 7 1 2 44 11 5 5 3 0 14 1 0 61 2 .187 .254 .284 .538
1974 17 57 46 10 12 4 0 2 22 11 4 0 1 2 8 0 0 15 2 .261 .357 .478 .835
1975 121 280 240 34 43 12 2 10 89 28 4 2 4 5 31 0 0 84 4 .179 .268 .371 .639
1976 99 267 227 27 45 9 2 8 82 36 2 3 5 3 31 1 1 67 7 .198 .294 .361 .655
1978 137 536 452 70 111 24 1 32 233 86 3 4 6 3 73 4 2 133 6 .246 .351 .515 .866
1979 156 668 557 97 136 29 0 45 300 123 1 5 5 6 98 6 2 175 8 .244 .356 .539 .895
1980 162 697 628 78 150 26 3 38 296 105 8 5 3 6 58 4 2 170 7 .239 .303 .471 .774
1981 103 420 363 54 94 22 0 21 179 65 4 5 0 5 50 8 2 85 6 .259 .348 .493 .841
1982 158 666 567 96 139 29 1 39 287 112 3 7 5 6 84 5 4 143 10 .245 .343 .506 .849
1983 46 192 164 21 30 6 1 5 53 18 2 1 2 2 23 0 1 50 6 .183 .284 .323 .607
CLE 106 437 371 51 82 17 0 17 150 51 8 3 2 6 57 2 1 98 7 .221 .322 .404 .726
'83計 152 629 535 72 112 23 1 22 203 69 10 4 4 8 80 2 2 148 13 .209 .310 .379 .689
1984 SEA 35 143 108 6 17 3 0 1 23 13 0 3 0 6 28 0 1 27 3 .157 .322 .213 .535
1985 135 574 484 76 104 16 1 32 218 87 3 2 2 3 84 6 1 126 11 .215 .330 .450 .780
1986 57 199 170 24 33 4 0 10 67 26 1 2 1 0 27 3 1 55 2 .194 .308 .394 .702
MIL 44 178 145 21 26 4 1 6 50 10 2 2 2 0 31 1 0 50 3 .179 .324 .345 .669
'86計 101 377 315 45 59 8 1 16 117 36 3 4 3 0 58 4 1 105 5 .187 .316 .371 .687
通算:13年 1435 5486 4677 681 1051 212 13 268 2093 782 50 49 41 53 697 41 18 1339 84 .225 .324 .448 .772
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Apr 15, 1973, Orioles at Brewers Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。
  2. ^ Apr 11, 1985, Athletics at Mariners Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。
  3. ^ Apr 29, 1986, Mariners at Red Sox Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。

外部リンク[編集]