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ノーム・キャッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノーム・キャッシュ
Norm Cash
1966年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ジャスティスバーグ
生年月日 1934年11月10日
没年月日 (1986-10-12) 1986年10月12日(51歳没)
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1955年
初出場 1958年6月18日
最終出場 1974年8月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ノーム・キャッシュNorman Dalton Cash , 1934年11月10日 - 1986年10月12日)は、アメリカ合衆国テキサス州ジャスティスバーグ出身の元プロ野球選手一塁手)。左投左打。

主にデトロイト・タイガースで活躍し、通算377本塁打を記録。1974年に引退した時点ではア・リーグの左打者としてはベーブ・ルーステッド・ウィリアムズルー・ゲーリッグに次ぐ歴代4位であり、タイガースでは長年チームメイトとして共にプレイしたアル・ケーラインの399本塁打に次ぐ2位である。

ゴールドグラブ賞獲得歴こそないが、一塁守備も巧みで、ア・リーグ守備率1位が3回。引退した時点で通算の補殺1,317はメジャー歴代4位、併殺1,347は10位であった。また、一塁手としての出場1,943試合は引退時点でア・リーグ歴代5位であった。

経歴

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サルロス州立大学では野球の他にアメフトでもランニングバック(RB)として活躍し、NFLシカゴ・ベアーズからも指名された。しかし、その指名を断って1955年シカゴ・ホワイトソックスに入団。1957年は兵役に就き、メジャーデビューは1958年6月18日であった。この年は13試合の出場で本塁打は0。翌1959年にチームはリーグ優勝し、ワールドシリーズに進出するが、この年も58試合の出場で4本塁打に終わる。その年の12月に、8選手が絡む交換トレードクリーブランド・インディアンスに移籍するが、インディアンスからさらに交換トレードでデトロイト・タイガースに移籍。以後、1974年に引退するまで15シーズンをタイガースでプレイすることとなる。

移籍初年度の1960年に121試合に出場し、打率.286、18本塁打とまずまずの成績を残すと、1961年には打率.361で首位打者を獲得。安打193、出塁率.488もリーグ1位で、本塁打41(6位)、打点132(4位)と大活躍。もっとも、この年はニューヨーク・ヤンキースロジャー・マリスが61本塁打のメジャー新記録(当時)を達成したため、注目度では劣ったが、それでもタイガースが優勝したヤンキースから8ゲーム離されていたにもかかわらず、MVP投票では4位に入った。引退後、この年にコルクバット(規則違反)を使用していたことを認めた。しかも、どうやってバットに穴をあけて、おがくずコルクと接着剤をどの混合率で配分したかまで告白した。その効果もあったのか、同年6月11日タイガー・スタジアム開場以来初の場外本塁打を打つ。他にも、同球場ライトの屋根の上にも4回本塁打を飛ばしている。

以後のシーズンは、打率は最高でも.283、打点は100を超すことはなく、30本塁打も4シーズンだけであった。特に1962年には打率が前年の.361から.243まで落下。.118の打率低下は、歴代首位打者のワースト記録である。ただし、この年も39本塁打、89打点と活躍。以後も、アル・ケーラインと共に主力打者として活躍。本塁打王のタイトルはならなかったが、3回(1962年、1965年1967年)にわたってリーグ2位の本塁打を記録。一塁守備も巧みで、刺殺1回(1961年)、守備率2回(1964年・1967年)、補殺3回(1965年 - 1967年)リーグ1位になっている。また、度々スランプに陥るが立ち直り、1965年と1971年の2回、カムバック賞を受賞している。

1968年にはチームのリーグ優勝に貢献し、セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズに出場。このシリーズでは打率.385(26打数10安打)を記録。3勝3敗で迎えた第7戦では、ワールドシリーズ7連勝を記録していたカージナルスのエース、ボブ・ギブソンからシングルヒットを放ち、攻撃の口火を切った。この回タイガースは3点を奪い、1945年以来23年ぶりのワールドチャンピオンとなった。1972年にもチームは地区優勝。オークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦では2回表に先制ソロ本塁打を放つ。しかしチームはこの試合延長戦で敗れ、最終戦までもつれ込んだシリーズも2勝3敗で敗れて、ワールドシリーズ進出はならなかった。1974年は開幕から53試合出場で打率.228の不振で8月に解雇となり、そのまま現役を引退した。

引退後、1976年よりABCの野球解説者、1981年から1983年までタイガースのケーブル放送の解説者を務めた。1986年10月12日ミシガン湖北部のビーバー島でボートの事故で死亡。51歳。

人物・エピソード

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1971年よりヘルメットの着用が義務付けられたが、以後もヘルメット非着用を許された数少ないプレイヤーの一人であった。(ただし左投手相手の時には着用することもあった)

ユーモアのセンスもあり、チームメイトはもちろんマスコミ、そしてファンからも人気があった。1973年7月15日カリフォルニア・エンゼルス戦ではノーラン・ライアンノーヒットノーラン(ライアンの2度目の無安打無得点)を許したが、この時最後の打者となったキャッシュはバットの代わりにクラブハウスのテーブルの足を持って打席に立つ。さすがに球審ロン・ルチアーノによって制止され、正規のバットに持ち替えたが、「あんなすばらしい球はバットでも打てないから、これで打たせてくれ。」とジョークを飛ばしたという。ライアンは、これによってかえってリラックスできたと後に語っている。

また、ライアンはタイガース戦でヒットを打って出塁した際に、一塁手のキャッシュから、「素晴らしいバッティングだね。私もあやかりたいもんだよ。」と声をかけられ、しかもライアンの好きなハンティングの話を始めたので、聞き入っていたら、投手からの牽制球で刺され、キャッシュにニヤっと笑われたことがあるという。

他の有名なエピソードとしては、下記のようなものがある。

  • ランナーとして一・二塁間で挟まれた際に、急に立ち止まって手で「T」(アメフトでタイムアウトを要求する合図)を作り、タイムを要求。インプレイ中でありタイムの要求は無効で、あえなくタッチアウトになった。
  • ファウルボールを捕りにスタンド近くまで行ったが取り逃した際に、スタンドの少年の帽子の向きを直し、その子の手を隣の若いファンのポップコーンに入れて、若いファンに「ありがとう」と言って少年にポップコーンをあげさせた(ただし少年は当惑していた)。
  • 雨天で試合が中断した際、二塁走者だったが、再開の際に三塁ベースに立っていた。しかし審判が気付いて戻された。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1958 CWS 13 8 8 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
1959 58 130 104 16 25 0 1 4 39 16 1 1 1 2 18 3 5 9 0 .240 .372 .375 .747
1960 DET 121 428 353 64 101 16 3 18 177 63 4 2 0 4 65 1 6 58 0 .286 .402 .501 .903
1961 159 672 535 119 193 22 8 41 354 132 11 5 2 2 124 19 9 85 16 .361 .487 .662 1.148
1962 148 629 507 94 123 16 2 39 260 89 6 3 0 5 104 12 13 82 13 .243 .382 .513 .894
1963 147 593 493 67 133 19 1 26 232 79 2 3 2 3 89 8 6 76 9 .270 .386 .471 .856
1964 144 559 479 63 123 15 5 23 217 83 2 1 0 7 70 4 3 66 12 .257 .351 .453 .804
1965 142 553 467 79 124 23 1 30 239 82 6 6 1 4 77 5 4 62 9 .266 .371 .512 .883
1966 160 679 603 98 168 18 3 32 288 93 2 1 1 5 66 4 4 91 15 .279 .351 .478 .829
1967 152 577 488 64 118 16 5 22 210 72 3 2 1 3 81 9 4 100 7 .242 .352 .430 .783
1968 127 458 411 50 108 15 1 25 200 63 1 1 2 3 39 7 3 70 12 .263 .329 .487 .816
1969 142 556 483 81 135 15 4 22 224 74 2 1 1 3 63 5 6 80 9 .280 .368 .464 .831
1970 130 452 370 58 96 18 2 15 163 53 0 1 0 5 72 6 5 58 16 .259 .383 .441 .823
1971 135 523 452 72 128 10 3 32 240 91 1 0 1 4 59 7 7 86 5 .283 .372 .531 .903
1972 137 501 440 51 114 16 0 22 196 61 0 2 4 3 50 13 4 64 9 .259 .338 .445 .783
1973 121 420 363 51 95 19 0 19 171 40 1 0 0 2 47 7 8 73 6 .262 .357 .471 .828
1974 53 172 149 17 34 3 2 7 62 12 1 1 1 0 19 2 3 30 1 .228 .327 .416 .744
MLB:17年 2089 7910 6705 1046 1820 241 41 377 3274 1103 43 30 17 55 1043 112 90 1091 139 .271 .374 .488 .862
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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背番号

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  • 31 (1958年)
  • 38 (1959年)
  • 25 (1960年 - 1974年)

外部リンク

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