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'''藁科 滿治'''(わらしな みつはる、[[1931年]][[12月25日]]<ref>{{Cite web |title=藁科満治(わらしな みつはる)とは? 意味や使い方 |url=https://kotobank.jp/word/%E8%97%81%E7%A7%91%E6%BA%80%E6%B2%BB-1122122 |website=コトバンク |access-date=2024-08-27 |language=ja |first=デジタル版 |last=日本人名大辞典+Plus}}</ref> ‐ )は、[[日本]]の[[政治家]]。 |
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[[参議院議員]](2期)を歴任。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[神奈川県]]出身<ref name=":0">{{Cite news|和書 |title=参院選--比例区当選者一覧 |newspaper=朝日新聞 |date=1998-07-13}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |title=藁科 満治|日本評論社 |url=https://www.nippyo.co.jp/shop/author/555.html |website=www.nippyo.co.jp |access-date=2024-08-27 |language=ja}}</ref>。[[浅野中学校・高等学校|浅野中学校]]を経て[[1950年]]に浅野高校を卒業<ref name=":2">{{Cite news|和書 |title=(青春スクロール 母校群像記)浅野高校:6 スポーツに明け暮れた熱き日々/神奈川県 |newspaper=朝日新聞 |date=2015-02-13}}</ref>。高校時代は[[野球部]]に所属していた<ref name=":2" />。[[1958年]]、[[明治学院大学]]<ref name=":0" /><ref name=":1" />[[経済学部]]を卒業した。[[1957年]][[富士通]]に入社し<ref name=":3">{{Cite news|和書 |title=電機労連委員長藁科満治氏――高学歴社会では要求高く不満多い(この人と5分間) |newspaper=[[日経産業新聞]] |date=1985-12-10}}</ref>、[[労働組合]]の活動に携わりながら[[早稲田大学大学院経済学研究科]]<ref name=":1" />に通って労働問題を勉強するも<ref>{{Cite news|和書 |title=トロイカ体制で新「連合」発進――政治との距離、三者三様(日曜版) |newspaper=日本経済新聞 |date=1989-11-26}}</ref>中退した<ref name=":4">{{Cite news|和書 |title=民主党・辞職5委員長の後任が内定 国民年金の未納・未加入問題で |newspaper=朝日新聞 |date=2004-05-14}}</ref>。[[1968年]]に[[電機労連]]に転出<ref name=":3" /><ref name=":5">{{Cite news|和書 |title=電機労連大会閉幕、新委員長に藁科氏 |newspaper=日本経済新聞 |date=1984-07-06 |edition=夕刊}}</ref>、[[1974年]]より電機労連書記長を務め<ref name=":5" />、[[1983年]]からは[[中立労連]]事務局長を兼務<ref name=":5" />。[[1984年]]7月に電機労連委員長に<ref name=":5" />、9月には中立労連議長に<ref>{{Cite news|和書 |title=中立労連、新議長に藁科氏 |newspaper=日本経済新聞 |date=1984-09-21}}</ref>、[[1985年]]には[[全民労協]]副議長に就任した<ref>{{Cite news|和書 |title=全民労協、副議長に藁科氏ら。 |newspaper=日本経済新聞 |date=1985-11-05}}</ref>。[[1987年]]には全民労連の会長代理に就き<ref>{{Cite news|和書 |title=「連合」会長代理に山岸氏ら3氏。 |newspaper=日本経済新聞 |date=1987-11-27}}</ref>[[1989年]]に[[日本労働組合総連合会|連合]]の会長代行に就任した<ref>{{Cite news|和書 |title=新連合、会長代行に藁科氏。 |newspaper=日本経済新聞 |date=1989-11-14}}</ref>。[[1990年]]には[[全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会|電機労連]]会長に就任<ref>{{Cite news|和書 |title=電機労連の委員長に岩山保雄氏 |newspaper=朝日新聞 |date=1990-07-07}}</ref>。 |
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[[神奈川県]]出身。1958年、[[明治学院大学]][[経済学部]]卒業し、[[早稲田大学]][[大学院]][[経済学研究科]]修了。[[富士通]]に入社し、労働組合の活動に携わる。[[1990年]]には[[全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会|電機労連]]会長に就任。 |
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[[1992年]]の[[第16回参議院議員通常選挙]]において、[[福間知之]]に代わり電機労連の[[組織内候補]]として[[日本社会党]]の[[厳正拘束名簿式|比例名簿]]第1位に搭載され<ref>{{Cite news|和書 |title=社党が参院選比例区の名簿登載順位発表 |newspaper=朝日新聞 |date=1992-07-07}}</ref>、初当選。[[1996年]][[10月11日]]には、前任者の辞任に伴い[[第1次橋本内閣]][[内閣官房副長官]]に就任するが<ref>{{Cite news|和書 |title=官房副長官に藁科満治氏 渡辺嘉蔵氏が辞任 |newspaper=朝日新聞 |date=1996-10-11}}</ref>、[[第41回衆議院議員総選挙|同月に行われた衆議院総選挙]]において敗れた[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]が、橋本内閣に閣僚を送らず、[[閣外協力]]とすることを決めたため<ref>{{Cite news|和書 |title=意欲空回り、藁科満治官房副長官 社民閣外協力で超短命の可能性 |newspaper=朝日新聞 |date=1996-10-30}}</ref>、藁科は就任からわずか一月で官房副長官を退任した<ref>{{Cite news|和書 |title=前元官房副長官が資産公開(政治短信) |newspaper=朝日新聞 |date=1996-11-13}}</ref>。 |
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[[1997年]]1月には[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]を離党。[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]に入党し、参議院議員会長や神奈川県連代表を務めた。[[2004年]]の参院選には立候補せず、政界から引退した。 |
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== 政策・主張 == |
== 政策・主張 == |
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* [[1999年]]、[[国旗及び国歌に関する法律]]案の参議院本会議における採決で反対。 |
* [[1999年]]、[[国旗及び国歌に関する法律]]案の参議院本会議における採決で反対。 |
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==囲碁履歴== |
== 囲碁履歴(いずれもアマチュアとしての名誉段位) == |
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*1996年-関西棋院七段。 |
* 1996年 - [[関西棋院]]七段。 |
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*1997年-日本棋院七段。 |
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*2012年-日本棋院八段。 |
* 2012年 - 日本棋院八段<ref name=":1" />。 |
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== 受賞歴 == |
== 受賞歴 == |
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* 2002年 - [[勲一等瑞宝章]]<ref>「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊</ref> |
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* 2011年-第40回[[大倉喜七郎]]賞 |
* 2011年 - 第40回[[大倉喜七郎]]賞<ref name=":6" /> |
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== 著作 == |
== 著作 == |
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* 『連合築城―労働戦線統一はなぜ成功したか』([[日本評論社]]、1992年6月) |
* 『連合築城―労働戦線統一はなぜ成功したか』([[日本評論社]]、1992年6月) |
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* 『民主リベラルの政権構想』(日本評論社、1997年8月) |
* 『民主リベラルの政権構想』(日本評論社、1997年8月) |
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* 『「出会い」こそ人生の分岐点』(日本評論社、2003年10月) |
* 『「出会い」こそ人生の分岐点』(日本評論社、2003年10月) |
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* 『囲碁文化の魅力と効用』(日本評論社、2008年12月) |
* 『囲碁文化の魅力と効用』(日本評論社、2008年12月) |
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* 『浮世絵に映える囲碁文化』(日本評論社、2012年10月) |
* 『浮世絵に映える囲碁文化』(日本評論社、2012年10月) |
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* 『歌舞伎に映える囲碁文化』(日本評論社、2014年8月) |
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* 『藩校に学ぶ』(日本評論社、2018年4月) |
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* 『藩校に学ぶ[補遺]』(日本評論社、2019年6月) |
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* 『種火を繋ぐ』(日本評論社、2023年3月) |
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2024年8月27日 (火) 19:35時点における最新版
藁科 滿治 わらしな みつはる | |
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生年月日 | 1931年12月25日(93歳) |
出生地 | 日本・神奈川県 |
出身校 | 早稲田大学大学院経済学研究科中退 |
前職 | 電機労連会長 |
所属政党 |
(日本社会党→) (社会民主党→) 民主党 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1992年7月26日 - 2004年7月25日 |
藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日[1] ‐ )は、日本の政治家。
参議院議員(2期)、内閣官房副長官、民主党参議院議員会長を歴任。
概要
[編集]神奈川県出身[2][3]。浅野中学校を経て1950年に浅野高校を卒業[4]。高校時代は野球部に所属していた[4]。1958年、明治学院大学[2][3]経済学部を卒業した。1957年富士通に入社し[5]、労働組合の活動に携わりながら早稲田大学大学院経済学研究科[3]に通って労働問題を勉強するも[6]中退した[7]。1968年に電機労連に転出[5][8]、1974年より電機労連書記長を務め[8]、1983年からは中立労連事務局長を兼務[8]。1984年7月に電機労連委員長に[8]、9月には中立労連議長に[9]、1985年には全民労協副議長に就任した[10]。1987年には全民労連の会長代理に就き[11]1989年に連合の会長代行に就任した[12]。1990年には電機労連会長に就任[13]。
1992年の第16回参議院議員通常選挙において、福間知之に代わり電機労連の組織内候補として日本社会党の比例名簿第1位に搭載され[14]、初当選。1996年10月11日には、前任者の辞任に伴い第1次橋本内閣内閣官房副長官に就任するが[15]、同月に行われた衆議院総選挙において敗れた社会民主党が、橋本内閣に閣僚を送らず、閣外協力とすることを決めたため[16]、藁科は就任からわずか一月で官房副長官を退任した[17]。
1997年1月には社会民主党を離党し[18]民主党に入党した[19]。1998年の第18回参議院議員通常選挙で2選[2]。
2002年に民主党神奈川県連代表に就任[20]。2003年には民主党の参議院議員会長に[21]、2004年には民主党国家基本政策委員長に就任した[7]。
2004年の参院選には立候補せず、政界から引退した[22]。2005年には民主党神奈川県連が開設した「民主スクール」の学長に就任[23]。藁科は大学時代に出会った囲碁[4]に造詣が深く、囲碁文化振興議員連盟副会長を務めたことから[24]2011年には囲碁普及に貢献した人物に贈られる大倉喜七郎賞の受賞者に選ばれている[25]。
政策・主張
[編集]- 1999年、国旗及び国歌に関する法律案の参議院本会議における採決で反対。
囲碁履歴(いずれもアマチュアとしての名誉段位)
[編集]受賞歴
[編集]著作
[編集]- 『連合築城―労働戦線統一はなぜ成功したか』(日本評論社、1992年6月)
- 『民主リベラルの政権構想』(日本評論社、1997年8月)
- 『「出会い」こそ人生の分岐点』(日本評論社、2003年10月)
- 『囲碁文化の魅力と効用』(日本評論社、2008年12月)
- 『浮世絵に映える囲碁文化』(日本評論社、2012年10月)
- 『歌舞伎に映える囲碁文化』(日本評論社、2014年8月)
- 『藩校に学ぶ』(日本評論社、2018年4月)
- 『藩校に学ぶ[補遺]』(日本評論社、2019年6月)
- 『種火を繋ぐ』(日本評論社、2023年3月)
- 『囲碁殿堂誕生』(日本評論社、2024年2月)
脚注
[編集]- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “藁科満治(わらしな みつはる)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年8月27日閲覧。
- ^ a b c 「参院選--比例区当選者一覧」『朝日新聞』1998年7月13日。
- ^ a b c d “藁科 満治|日本評論社”. www.nippyo.co.jp. 2024年8月27日閲覧。
- ^ a b c 「(青春スクロール 母校群像記)浅野高校:6 スポーツに明け暮れた熱き日々/神奈川県」『朝日新聞』2015年2月13日。
- ^ a b 「電機労連委員長藁科満治氏――高学歴社会では要求高く不満多い(この人と5分間)」『日経産業新聞』1985年12月10日。
- ^ 「トロイカ体制で新「連合」発進――政治との距離、三者三様(日曜版)」『日本経済新聞』1989年11月26日。
- ^ a b 「民主党・辞職5委員長の後任が内定 国民年金の未納・未加入問題で」『朝日新聞』2004年5月14日。
- ^ a b c d 「電機労連大会閉幕、新委員長に藁科氏」『日本経済新聞』1984年7月6日、夕刊。
- ^ 「中立労連、新議長に藁科氏」『日本経済新聞』1984年9月21日。
- ^ 「全民労協、副議長に藁科氏ら。」『日本経済新聞』1985年11月5日。
- ^ 「「連合」会長代理に山岸氏ら3氏。」『日本経済新聞』1987年11月27日。
- ^ 「新連合、会長代行に藁科氏。」『日本経済新聞』1989年11月14日。
- ^ 「電機労連の委員長に岩山保雄氏」『朝日新聞』1990年7月7日。
- ^ 「社党が参院選比例区の名簿登載順位発表」『朝日新聞』1992年7月7日。
- ^ 「官房副長官に藁科満治氏 渡辺嘉蔵氏が辞任」『朝日新聞』1996年10月11日。
- ^ 「意欲空回り、藁科満治官房副長官 社民閣外協力で超短命の可能性」『朝日新聞』1996年10月30日。
- ^ 「前元官房副長官が資産公開(政治短信)」『朝日新聞』1996年11月13日。
- ^ 「久保亘氏らの離党、社民党が正式承認 田英夫氏の入党も」『朝日新聞』1997年1月12日。
- ^ 「藁科満治・前川忠夫両参院議員の民主党入りを承認(政治短信)」『朝日新聞』1997年1月11日。
- ^ 「代表に藁科参院議員 統一選へ修復図る 民主県連大会 /神奈川」『朝日新聞』2002年5月19日。
- ^ 「全逓出身の伊藤基隆氏が辞退 参院・民主幹事長」『朝日新聞』2003年11月13日。
- ^ 「去る国会、あるべき姿は 引退の6議員に聞く」『朝日新聞』2004年6月17日。
- ^ 「民主県連がスクール 人材発掘・支持拡大狙う 29日開校/神奈川」『朝日新聞』2005年1月7日。
- ^ 「「囲碁サミット」大町で 来月29日、首長が集結 /長野県」『朝日新聞』2010年4月23日。
- ^ a b 「大倉喜七郎賞に4氏 囲碁」『朝日新聞』2011年2月24日。
- ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
公職 | ||
---|---|---|
先代 渡辺嘉蔵 |
内閣官房副長官 (政務担当) 1996年 |
次代 与謝野馨 |
議会 | ||
先代 角田義一 |
参議院国家基本政策委員長 第6代:2004年 |
次代 北澤俊美 |
先代 新設 |
参議院地方行政・警察委員長 1998年 |
次代 小山峰男 |
先代 峰崎直樹 |
参議院地方行政委員長 1997年 |
次代 廃止 |
党職 | ||
先代 角田義一 |
民主党参院議員会長 第5代:2003年 - 2004年 |
次代 江田五月 |