爆笑問題(ばくしょうもんだい)とは、日本のお笑いコンビである。所属事務所はタイタン。
日本大学藝術学部在学中に出会い(互いを認識したのは入学後。が、田中は入試会場で試験監督に対して「引っ込め!」と野次を飛ばしている太田を目撃しており「アイツは落ちる」と思っていたらしい。ちなみに、その時の田中は草野球のユニフォームにスパイク姿)、中退後にコンビ結成。渡辺正行が主催する「ラ・ママ新人コント大会」に初出演した際に会場にいた太田プロダクションにスカウトされ、同プロダクション所属のタレントとなる。
デビュー当初は太田プロの稼ぎ頭だったビートたけしがフライデー襲撃事件にともなう事務所独立という事情もあり、期待を込めて「ポストツービート」と称されてそこそこ売れていた。
『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にビートたけしの欠席で代理出演した際、太田光が「ビートたけしは死にました」とボケたところ一部のリスナーや弟子の浅草キッドの怒りを買うなど物議を醸した。
その後太田プロから独立。しかし、この独立は当時太田プロで爆笑問題を担当していたマネージャーが事務所と遺恨を残す形で独立したのに二人がついて行った形で行ったため、太田プロが圧力をかけ完全に干されてしまった。
この不遇時代には、田中はコンビニのバイトで食いつなぎ、太田は半分ひきこもり状態で一日中テレビゲームをしていたと語っている。大田にはドラマや映画の監督など単発の仕事はあったものの、元々計算に弱いという短所からレジ打ちが出来ない、お釣りを適当に渡す等の問題があり一般的なバイトをロクに出来なかった、このため、妻・太田光代がギャンブルを行い食いつないでいたという。
1993年、光代が社長となり芸能事務所「タイタン」を設立。爆笑問題は同社の所属タレントとなる。
この頃からNHK新人演芸大賞を受賞、勝ち抜きネタ番組『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』で10週勝ち抜き初代チャンピオンになるなど再び脚光を浴びるようになる。1994年より始まった『タモリのSuperボキャブラ天国』の中で放送されていた「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」というコーナーから始まる、いわゆる「キャブラーブーム」の波にネプチューンらと共に乗り、『黄金ボキャブラ天国』で初代名人となるなど大活躍していた爆笑問題は特に大ブレイクを果たした。
以降はそして『ポップジャム』(NHK)、『サンデージャポン』(TBSテレビ)などの人気番組の司会を務めるようになり、その地位を確固たるものにしていった。
タイタン設立当初は爆笑問題の個人事務所的側面が強かったが、現在では長井秀和、日本エレキテル連合らも所属する中堅芸能事務所にまで成長している。お笑い芸人の他、山中秀樹(元フジテレビアナウンサー)や橋下徹(弁護士・元大阪府知事・元大阪市長)もタイタンの所属タレントである。
また二人は、お笑いのほかにもゲームやアニメの吹き替えの仕事もしている。且つ田中は俳優としても映画、ドラマ等に出演している。
ニコニコ動画では過去~現在のネタ、CM出演時の動画などがアップロードされている。
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最終更新:2025/01/12(日) 15:00
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