死亡フラグとは、ある人物が死亡したときに、生前に特定の行動・発言をしていたために死亡が確実になったとされる、一種の説のことである。または、死亡が予見される行動・発言そのものを指すこともある。ただし、必ずしも死亡する場面でしか使われないものではなく、失敗・敗北時の時にも死亡フラグと呼ばれることがある。対義語は「生存フラグ」。
英語では Marked For Death (MFD) 、直訳すれば「死を表すものとして印づけられた」となり、ほぼ「死亡フラグが立った」に等しいニュアンスである。
一部の物語等で、都合上死ぬべき人が生前に「自分だけは助かる」といった楽観的発言や、「故郷に婚約者がいるんだ」等と発言した後に死ぬことで、より悲劇性・無常観を強調させるという手法が採られることが多い。
そこから転じて、一見して死にそうにない人の死を劇的に見せたり、不審な死に方を演出するために、その人物に特定の発言・行動をさせることがあるが、その行為に一定の法則性があるため、逆にそれらの演出や描写を読み取ってその人物が死ぬのではないかと推測できるようになり、それをバッドエンドフラグになぞらえて表現したものが「死亡フラグ」である。
なおフラグ(flag)とは、ゲーム中で特定のイベントが起きるための条件分岐に付けられたコンピュータ用語であり、そうなる条件が確立した場合に『フラグが立つ』という。
フラグが立っていればAの結果、立っていなければBの結果…というのが原義。
とはいえフラグが立った場合でも、そのフラグの種類によっては再び『寝かせる』事が可能だったり、別のフラグを立てる事で第三のルートに分岐できたり、あるいはイベントが起こるルートを通らない事で判定自体をなくすといった回避手段がある場合もある。そのような場合を『フラグが折れる』と言う。
必ずしも「フラグ成立=イベント成立」とならない所は物語における用法と同一である。
フラグとされるものは下述のように無数にあり、中にはこれを逆手にとって
「あからさまな死亡フラグに見えて生存」
「フラグ通りに死ぬも実は生きていた」
「フラグなんてなかった(フラグクラッシャー)」
という例もある。
ただし、本来の意味からして後付けで理由をつけやすい言葉であるだけに、どんなことであっても死んでいれば生前に死亡フラグを立てていたと思う人もいるが、必ずしもそうでないことには留意したい。
特に、「死亡フラグは事前から読み取れる!」と思い込むのは禁物である。
死亡フラグという言葉がネット上で広まってからアニメ・ゲーム・漫画等、特にパロディー・ギャグ作品上で意図的な演出として使われる事が出てきた。またシリアスなものでも、「ここは俺に任せろ」と言って主人公と別れ、主人公がピンチの時に駆けつけたりと死亡フラグをあえて立てた後へし折ることで意外性・強さを強調する演出もある。
或いは、死兆星・イキガミのように作中で明確に死亡フラグであると示されているものもあり、この場合は死を宣告された中でどう行動するかを見たり、それによって何人もの人が作中で死んだ後に、ここぞというシーンでそれを打ち破る例外を示すことで、展開を読めなくしつつ最大の強さをみせたりする。
事前にあらかじめ死亡条件(フラグ)が見えている形で物語が開始される作品もある。「バトル・ロワイアル」・「未来日記」等がそれであろう。また「L3(リンダキューブ)」・「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」も「今頭上に見えている死亡フラグ」に対しどう処するかという所からゲームが始まる。
その他、推理小説全般で主人公が行くところ行くところで必ず殺人事件が起こったり、機関車トーマスにおけるココア等最早作品内での「お約束」となっているものもある。
実際に死亡に至らなくてもパターンに一致すればコメントがつく事がある。また、広義には『死』が訪れなくとも失敗・負けを想起させる発言・行動についても死亡フラグとされる場合がある。
他、「後で死ぬほど怖い目に遭う」「後で死ぬよりつらい目に遭う」場合についてもこのコメントがなされることがある。
かつて掲載してあった死亡フラグの具体例を全削除した経歴のあるウィキペディアにしては珍しく、固有の記事が存在する死亡フラグとして、この第九の呪いがある。
交響曲を9つ作曲すると死亡する確率が高くなるというこのジンクスは、ベートーヴェンの大作・第9番「合唱付き」(通称「第九」「歓喜の歌」)が彼の最後の交響曲になったことに由来する。時代は大きく下るが、マーラーは実質上の9作目の交響曲である「大地の歌」を交響曲と認めず、フラグを回避しようとした。しばらくしても死なずに済んだことに安心した彼は、新たに第9番を作曲して完成させたが、続く第10番を作曲する途中で死んでしまい、このジンクスがまことしやかに騒がれるようになった。
ウィキペディアのページと重複してしまうが、この第九の呪いに当てはまる作曲は意外に少なく、10曲以上の交響曲を作った作曲家も多い(ハイドン・モーツァルトは桁外れの交響曲を書いているが、古典派の交響曲はロマン派以降より規模や演奏時間の短いものである)。
にもかかわらず、このジンクスが広まった理由は、第九以外にも、交響曲第9番に優れた名曲が多いのも一つの理由かもしれない(ドヴォルザークの「新世界」等)。
上杉謙信にまつわる逸話の1つに、こういう言葉がある。
死なんと戦へば生き、生きんと戦へば必ず死すものなり
((将たるもの)必死の覚悟でいると生き延び、生きて勝利を味わおうと思えば死ぬものだ)
家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る、帰ると思えばぜひ帰らぬものなり
(戦地に赴く際に、家には二度と帰るまいと思えば帰ることができ、帰ろうと思えば帰らぬ人になるものだ)
これは武士の心得としての表現であるが、死亡フラグに通ずるものでもある。
逆に言えば、もし死亡フラグを立てないように大往生しようとするならば、完全無欠の油断ならない一生か、それこそ社会のモブになる覚悟で、平穏な、しかし人生に流されるままの一生を送らなければならないとも言える。
(なぜならば謙信公も「飲酒のしすぎ」「塩分摂り過ぎ」という分かっていても避けがたい死亡フラグを立てていたため)
「演出その他」を除き、出来るだけ一般的な物を挙げ、その上で具体例を例示して下さい。
(※注意:下記の演出が見られたからと言って必ずしも死亡条件が確立する訳ではない)
他、ミステリー系では「人が不審に死ぬ」ことから物語が始まるだけに、無数のフラグが存在する。
そもそもこういった作品に出演する事、また長期作品の場合はその主人公に偶然関わってしまう事自体が死亡フラグである。
また上記のフラグでも主人公一行には当てはまらないケースが多い。ただし後任がいる場合はその限りではない。
怪談・奇怪談系で、特に人を呪い殺すような類のお化け等が出現する場合、お化け自体が死亡フラグなので、お化けの出現フラグ=死亡フラグ状態となる場合が多い。お化けの例としては、リングの貞子、呪怨の伽椰子・敏雄親子等。
基本的に、真綿で首を絞めるようなネチネチした性格のお化けが多いようで、偽死亡フラグの数も結構多い。また、お化けにはツンデレも多いので、自分について真剣にかまってくれる人ほど、偽フラグを連発して、むしろ誘導している場合が多い。
どれが本物フラグか判別は難しいが、全般的に、当該人があまりお化けについて考えていなかったり、当該人の周りの人が怪奇現象に気づいていない場合は、本物フラグを立てられていることが多いようである。
50音順
実在人物 |
非実在人物 |
台詞 |
その他 |
掲示板
1437 ななしのよっしん
2024/01/29(月) 14:58:59 ID: aDJu5ijt5j
刑事ドラマで金とか秘密をネタに強請りとか脅しをするような悪者はほぼ確実に殺されるよな 死亡フラグといってもいいと思う
1438 ななしのよっしん
2024/03/23(土) 20:54:03 ID: a17Vr+5H3s
>>1412
CV:石田彰の死亡フラグ追加
珍しくまともな人だと思っていたらもう既に死んでいた
(例:100カノ)
1439 ななしのよっしん
2024/11/03(日) 15:59:33 ID: FW1HOCxzQO
死亡フラグとは趣旨は異なるがアメリカの刑事アクション映画に必ずと言っていいほど出てくるシーン
「警察だ、犯人を追ってる!悪いが車を借りる」
と言って一般人の車を強奪する流れ
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/03(金) 00:00
最終更新:2025/01/03(金) 00:00
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