争いごとがあるところには、必ず勝利と敗北がある。ニコニコ動画で「勝利」を検索すると、2019年2月6日の時点で、約7万5000件ヒットする。一方で、「敗北」は約1万8000件ヒットする。この差は、それだけ人間が勝利にこだわることを意味しているとも言える。だがしかし、ニコニコ大百科の「敗北」にあるように、敗北を味わうことでしか、人間は強くなれない。敗北から逃げることは、敗北をしない近道ではあるが、勝負自体ひいては勝利からも遠のくこととなるだろう。そういう意味では、敗北を重ねた先にしか勝利はないのかもしれない。
また、仏教ではすぐれた利益のことを指す。以下の文章は、勝利について、現代的な意味と仏教的な意味とを対比させたものである。
勝利の対義語は?と問われると、ほとんどの人が「敗北」と答えるのではなかろうか。しかし対義語はそれだけではない。目先の小さな利益にとらわれるなら「小利」であるし、自分だけが得をするなら「私利」であろう。また、他を犠牲にするようなものは「暴利」と言った方がよかろう。
(中略)
勝利が戦いに勝つことだけを意味するようになったのは、何が本当の利益かを見失った結果と言えよう。人間の都合だけが優先されたり、いのちまでもが損得のものさしで計られたりする今日、本当の利益とは何なのか。改めて問う必要がある。
掲示板
5 ななしのよっしん
2022/03/15(火) 22:49:40 ID: 2RXDsPgfp/
勝利者などいない
6 ななしのよっしん
2023/07/20(木) 09:43:21 ID: 8foKJQ4TGS
7 ななしのよっしん
2025/02/09(日) 12:48:29 ID: tAImv9uLzB
勝利至上主義と言うか、職場や収入や受験で勝つ事だけに拘る考えの危うさって燃え尽き症候群に陥る事よりも更に別の本質的な危険が有るのでは無いかなと最近思った。
勝利至上主義の危険な本質は、(人間社会に対する不信感と虚脱感と報復を植え付ける)事だと思う。例えば戸愚呂や仙水の様に強く成り続ける事で、周囲から認められ続けても当人は勝つ事の結果論しか見て貰え無くなり、
その内に人間の内面に有る勝つ事への汚さや寂しさや不安や恐れを抱いた時に勝つ事を教えた人々や社会が如何に無責任な教育をしたか自覚する様に成ってしまう。
つまり勝つ事だけを教えても、振る舞い方や責任感や覚悟と言った勝った後の将来の事を考えないと勝つ事だけを求めた人々が今度は教育をした人間や社会に対して勝つ為に家族や仲間を捨てる様に求めて報復や不信感で責める事に成る。
エリートに成る為に勝ったのなら、今度はエリートも社会も仲間や家族を捨てないと不公平に成るから。 そう考えたら勝つ事だけに拘る社会は、全体にとっては本当は生きる事を削り取る行為なのかなと思う。
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最終更新:2025/02/20(木) 23:00
最終更新:2025/02/20(木) 23:00
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