プライマリーバランス 単語

180件

プライマリーバランス

7.3千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

プライマリーバランス(基礎的財政収支)とは、中央政府の財政政策の準を示す標である。

英語Primary Balanceと表記し、PBと略される。

概要

定義

プライマリーバランスは次の式で表現できる。

プライマリーバランス=税収等政策経費

税収等というのは税収と税外収入を足したものである。

政策経費というものは歳出額そのものではない。歳出額から国債費(国債利子支払いや満期国債の元本返済)を引いた数字になる。

ゆえにプライマリーバランスは次のような式で表すことができる。

プライマリーバランス=(税収+税外収入)-(歳出-国債

プライマリーバランス=(税収+税外収入)-(歳出-国債利子支払い-満期国債の元本返済

プライマリーバランス黒字

プライマリーバランスがプラスなら、政策経費よりも税収等が多い状態であり、税収等で政策経費を全てまかないつつ国債費の一部または全部を税収等で支払う状態である。このことをプライマリーバランス黒字とか財政黒字と言う。

プライマリーバランス黒字にも4つの段階がある。

  1. 国債の利払いのすべてと満期国債の元本返済のすべてを税収等で得た資金で支払う
  2. 国債の利払いのすべてと満期国債の元本返済の一部を税収等で得た資金で支払い、満期国債の元本返済の残りを国債新規発行で得た資金で支払う
  3. 国債の利払いのすべてを税収等で得た資金で支払い、満期国債の元本返済のすべてを国債新規発行で得た資金で支払う
  4. 国債の利払いの一部を税収等で得た資金で支払い、国債の利払いの残りと満期国債の元本返済を国債新規発行で得た資金で支払う

1.や2.だと政府累積債務が減少する。

3.だと政府累積債務が全く変化しない。

4.だと政府累積債務が利払いの分だけわずかに増える。

プライマリーバランス均衡

プライマリーバランスがゼロなら、政策経費と税収等が等しい状態であり、税収等で政策経費を全てまかないつつ国債費の全部を国債新規発行で得た資金で支払う状態である。このことを財政均衡とも言う。

国債の利払いのすべてと満期国債の元本返済のすべてを国債新規発行でまかなうので、政府累積債務がわずかに増加する。

プライマリーバランス赤字

プライマリーバランスがマイナスなら、政策経費よりも税収等が少ない状態であり、税収等に加えて新規国債発行で政策経費をまかなっている状態である。このことをプライマリーバランス赤字とか財政赤字と言う。

国債の利払いのすべてと満期国債の元本返済のすべてと政策経費の一部を国債新規発行でまかなうので、政府累積債務が増加する。

均衡財政論と機能的財政論

財政政策を決める指標としてプライマリーバランスを選ぶ均衡財政論

「財政政策を決める標としてプライマリーバランスが最も適切である」と考え、プライマリーバランスを財政政策を決めるときの判断材料にする考え方を均衡財政論という。

財政政策を決める指標として実質利子率や実質為替レートを選ぶ機能的財政論

閉鎖経済なら財政政策を決める標として実質利子率が最も適切であり、大国開放経済なら財政政策を決める標として実質利子率実質為替レートが最も適切であり、小国開放経済なら財政政策を決める標として実質為替レートが最も適切である」と考え、実質利子率実質為替レートを財政政策を決めるときの判断材料にする考え方を機能的財政論という。

日本は均衡財政論が主流

日本均衡財政論流のである。

日本においては昭和時代1926年1989年)の終盤や平成時代(1989年2019年)や令和時代(2019年)において政府累積債務の増加が問題視されており、プライマリーバランスを判断材料にしつつ財政政策を検討する潮が根強い。

1995年11月14日に武正義大蔵大臣が記者会見を行って『平成8年度の財政事情について』という報告書を発表した。これは「財政危機宣言」と呼ばれているものである[1]1995年1月17日阪神淡路大震災が起こっており、それの復支援するために政府購入を行う必要が増し、1996年度(平成8年度)に政府国債を発行する必要に迫られていたという背景があった。

2001年6月26日小泉純一郎内閣が『今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針(太の方針2001)』を閣議決定したが、そこで初めてプライマリーバランス黒字化が明記された[2]。それ以降、歴代内閣がプライマリーバランス黒字化を標に掲げるようになった。こういう方針を財政再建と呼ぶ。

経済学の教科書は機能的財政論が主流

経済学教科書では機能的財政論流である。

N・グレゴリー・マンキューが書いた教科書の1つとして『マンキュー マクロ経済学入門編 第3版(東洋経済新報社)』がある。そこでは「閉鎖経済において政府購入を増やすと、短期において実質GDPが増えて実質利子率が上がり、長期において実質GDPが一定に戻って実質利子率が上がったままになる」「大国開放経済において政府購入を増やすと、短期において実質GDPが増えて実質利子率が上がって実質為替レートが下がり、長期において実質GDPが一定に戻って実質利子率が上がったままになって実質為替レートが下がったままになる」などと論じられるが、「閉鎖経済において政府購入を増やすとプライマリーバランスが・・・」などと論じられることがない。

N・グレゴリー・マンキューが書いた教科書を読んでから日本の財政学の文献を読むと、日本の財政学の文献に実質利子率実質為替レートのことがなかなか出てこないことに驚かされる。

プライマリーバランスの黒字化や均衡化の後に不況が生まれた例

アメリカ合衆国

現代貨幣理論MMT)の提唱者として有名なL・ランダル・レイがアメリカ合衆国の財政史を調べたところ次のような事実が判明した。プライマリーバランス黒字化を達成するとその後に大規模な不気が訪れるというものである。

財政黒字 政府債務削減幅 気後退 気名
181721年 -29 1819年 1819年恐慌exit
182336年 100% 1837年 1837年恐慌exit
185257年 -59 1857年 1857年恐慌exit
186773年 -27 1873年 1873年恐慌exit
188093年 50%以上 1893年 1893年恐慌exit
192030年 -約33 1929年 世界恐慌
19982001年  不明 2001年 ITバブル崩壊exit

※この表の資料・・・L・ランダル・レイの記事exitクリントノミクス英語版Wikipedia記事exit

18231836年の政府債務削減幅-100%とは政府債務全にゼロになったという意味。アンドリュージャクソン大統領が達成した。これは米国史上一の出来事である。

19982001年に財政黒字になったのは分かっているが、政府債務削減幅は正確な数字が分からなかった。

1980年代~1990年代の日本

日本において、財政黒字に最も近づいたとされるのが19911993年である。好気になり税収が伸びたので特例国債を発行せずに済ませた。それと同時に気が悪化し始めた。価が急落し始めたのが1990年34月で、内閣府が発表した気後退の時期は1991年3月1993年10月である。

もう少し詳しく状況を示すと以下のようになる。

特例国債 備考
1984年昭和59年 6兆3714億円
1985年昭和60年 6兆0050億円
1986年昭和61年 5兆0060億円
1987年昭和62年 2兆5382億円
1988年昭和63年 9565億円
1989年平成元年 2085億円
1990年平成2年 9689億円 大不況に突入
1991年平成3年 0億円 大不況
1992年平成4年 0億円 大不況
1993年平成5年 0億円 大不況

※この表の資料・・・財務省資料exit

1990年平成2年)の9689億円は、湾岸戦争に対する戦費負担をアメリカ合衆国められたので特例国債を発行して得たものである。このときの特例国債法の正式名称は「湾岸地域における平和回復活動を支援するため平成二年度において緊急に講ずべき財政上の措置に必要な財源の確保に係る臨時措置に関する法律exit」である。特例国債日本市場に売却して得た9689億円をドルに両替し、得られたドルアメリカ合衆国に送金した。このことを経済学の言い方に表すと「日本政府が9689億円を国債で借り入れて民貯蓄が9689億円減った。日本政府が9689億円に相当するドルアメリカ合衆国政府に渡したので日本純資本流出が9689億円減った。純資本流出純輸出に等しいので日本純輸出が9689億円減った。民貯蓄の減少と純輸出の減少が一致している」となる。

プライマリーバランス黒字化や均衡化の後に不況が生まれる原因

プライマリーバランス黒字化や均衡化のあとに不況が生まれる原因の1つは、プライマリーバランス黒字化や均衡化のクラウディングアウトが十分に発生しなくなって過剰投資が生まれるためである。

過剰投資が生まれるとバブル経済になり、そのうちにバブル崩壊となる。1929年世界恐慌1990年日本バブル崩壊2007年サブライムローン問題はいずれも住宅の過剰投資が原因とされているし、2001年ITバブル崩壊IT関連への過剰投資が原因とされている。

プライマリーバランスが均衡していて限界消費性向MPCが0.7で限界貯蓄性向MPSが0.3のがあるとする。1兆円の国債を発行して1兆円の政府購入をすると民貯蓄が1兆円減るし、1兆円の国債を発行して1兆円の減税をすると消費が7000億円増えて民貯蓄が7000億円減るのであり、プライマリーバランスを赤字にするこれらの政策は民貯蓄の減少の効果が大きい。しかし1兆円の増税をして1兆円の政府購入をすると消費が7000億円減ってくれるので民貯蓄が3000億円減るだけだし、1兆円の増税をして1兆円の減税をすると民貯蓄が全く減らないのであり、プライマリーバランスの均衡を保つこれらの政策は民貯蓄を減らす効果が小さい。詳しくはクラウディングアウトの記事の『財政政策の4形態の比較』の項を参照のこと。

プライマリーバランスを赤字にしていれば、民貯蓄を効果的に減らすことができる。閉鎖経済大国開放経済ならクラウディングアウトを十分に発生させることができ、実質利子率を十分に引き上げて投資を効果的に減らすことができて過剰投資をしっかり防止でき、不況の根を絶つことができる。

しかしプライマリーバランスを黒字や均衡にすると、民貯蓄を効果的に減らすことができない。閉鎖経済大国開放経済ならクラウディングアウトが十分に発生せず、実質利子率を十分に引き上げられず、投資を効果的に減らすことができず、過剰投資をしっかり防止できず、不況の根を絶つことができない。

特に、生産設備がっていて投資の余地が少ない先進国でプライマリーバランスを黒字化させたり均衡化させたりすると、需要もいのに需要が有るかのように見せかけて投資から融資を騙し取る投資詐欺を行う知犯罪者が増え、過剰投資が生まれやすく、バブル景気バブル崩壊が起こりやすく、不況が生まれやすい。

プライマリーバランスの黒字化や均衡化の後に不況が生まれなかった例

1964年までの日本

1964年以前の日本は税収や税外収入だけで予算を組んでおり、プライマリーバランスが均衡の状態だった。

しかし、1964年以前の日本は深刻な不況に襲われることがなかった。

1964年以前の日本の考察

1964年以前の日本がプライマリーバランスの均衡状態を維持していたのに不況が生まれなかった原因の1つは、採算性のある投資の余地が多い発展途上国だったことである。

1964年以前の日本は、生産設備が十分にっていない発展途上国で、採算性のある投資の余地が多く、採算性のない投資に手を出す必要性がなく、過剰投資が生まれにくい状態だった。

そういった要因があったので、プライマリーバランスを均衡状態にしてクラウディングアウトを抑制して投資を増えやすくしても、企業が過剰投資に手を出さずに済み、不況にならなかった。

2012年から2019年までのドイツ

2012年から2019年までのドイツは財政黒字を達成している(記事exit)。

2020年コロナ禍で実質GDPが落ち込んで不況になったが(記事exit)、逆に言うと2019年までは不況に襲われずにすんでいた。

2012年から2019年までのドイツの考察

2012年から2019年までのドイツの財政黒字はかなり特殊な状況に起因するものと考えられている。ドイツEUに加盟して統合通貨ユーロを導入している。このユーロドイツ経済力にべてかなりの通貨安となっており、製造業大ドイツの輸出を大規模に増加させている。純輸出プラスの状態(貿易黒字)が恒常化して好気が続き、その恩恵で税収が増えて財政黒字になっている。

ちなみにEUと統合通貨ユーロドイツ一人勝ちの状態をもたらしている。ドイツの財政黒字は統合通貨ユーロが原因であるのだが、その統合通貨ユーロのせいでドイツ以外のEU加盟各積極財政の政策を実行できず不況に喘いでいる。このためEUは「ドイツ第四帝国」と表現されるほどである。

生産設備がっていて投資の余地が少ない先進国でプライマリーバランスを黒字化させたり均衡化させたりすると、民貯蓄が大きくなりやすく、過剰投資が生まれやすく、バブル景気バブル崩壊が起きやすく、不況が生まれやすい。しかし2012年から2019年までのドイツは統合通貨ユーロという安い通貨恵まれていて純輸出が伸びていたので、民貯蓄の増加が投資に向かわず純輸出に向かっており、過剰投資が発生せずに済んだ。

1964年以前の日本政府の借金

1964年以前の日本政府は外国通貨を借りていた

1964年以前の日本政府は自通貨建て国債を発行せず、プライマリーバランスの均衡を保ち続けていた。

しかし、その時代の日本政府は、固定相場制を維持するために固定相場制の対となるドルを借り入れていた。

ガリオア資金とエロア資金

1945年日本政府が降した。その翌年の1946年から1951年まで日本政府アメリカ合衆国軍事予算からガリオア資金exitエロア資金exitを受け取っていた。この両資金による援助額の総額は約18億ドルで、現在の価値に換算すれば約12兆円にも上る巨額の援助だった。

援助が始まった当初はアメリカ合衆国による償援助という触れ込みだったが、1948年1月になってアメリカ合衆国の態度が急変し、日本政府に対して返済を要した。交渉の末、日本政府が返済するのは約5億ドルになった。つまり、1946年から1951年までの日本政府は約13億ドル償で受け取り約5億ドルを借り入れていた。

※この項の資料・・・ガリオア・エロア資金なかりせば 外務省exit

世界銀行

日本1951年9月になってサンフランシスコ平和条約に調印し、1952年4月28日に同条約が発効したことでやっと独立として権を回復した。

1952年8月になって日本世界銀行(世)に加盟した。その翌年の1953年から世日本に対して巨額の融資をするようになった。世の融資は8億6,300ドルにも上り、世が融資した件数は31件にもなった。

からの最後の融資は1966年で、この翌年の1967年日本は投資適格から卒業することになった。

※この項の資料・・・日本が世界銀行から貸出を受けた31プロジェクトとは? 世銀exit

固定相場制の維持

1964年以前の日本政府ドル償で受け取ったり借り入れたりしたが、そのドル固定相場制の維持に使われた。日本政府ドルを借り入れて中央銀行である日本銀行に預け、日本銀行固定相場制の維持のためにドルを使っていた。つまり日本政府は借り入れたドルを政策経費として使っていなかったので、プライマリーバランスの赤字とならなかった。

からドルを借りていた時代は、各企業東海道新幹線火力発電所やダム高速道路製鉄所や自動車工場などの建設をしており、外為替相場において日本円売り・ドル買いをしてドルを入手しつつそのドルで建設のための物資を海外から購入していた。つまり企業が外為替相場において日本円安ドル高の圧力を掛けていた。

それに対して日本銀行が世から日本政府を経由して送り込まれたドルを売って日本円買い・ドル売りを行い、日本円高ドル安の圧力を掛け、固定相場制を維持していた。

このため「世から借りたドル東海道新幹線火力発電所やダム高速道路製鉄所や自動車工場などの建設に使われた」と表現してもおおむね正しい。世もそのように表現している(資料exit)。

1965年以降の日本政府は自国通貨を借りるようになった

1965年に特例債法が戦後初めて成立し、1966年に財政法第4条に基づく建設国債戦後初めて発行された。これらの年からプライマリーバランスの赤字化が進んでいく。

日本政府が世からドルを最後に借り入れたのが1966年で、それ以降の日本政府ドルを借り入れていない。

関連リンク

関連コトバンク記事

関連Wikipedia記事

その他

関連項目

脚注

  1. *-『平成財政史-平成元~12年度』第1巻(総説・財政会計制度)exit財政会計制度の第3章exit『平成財政史-平成元~12年度』第2巻(予算)exit第2部第8章exitに武正義大臣の財政危機宣言についての記述がある。
  2. *内閣府が「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針exit」を発表している。
この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

急上昇ワード改

最終更新:2025/01/18(土) 13:00

ほめられた記事

最終更新:2025/01/18(土) 13:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP