木々をなぎ倒し
岩を打ち砕きながら
道を作ってきた
数多の先人たちよその志を受け継いで
獰猛な獣が駆ける
凍てついた砂を
熱い咆哮で溶かしていくいま夜は明けて
新たな時代が始まる
シンコウウインディ(Shinko Windy)とは、日本の競走馬である。
運命に噛みついた馬であり、3度の重賞勝利より2度の敗北を語りたくなる馬。
…別に嘘は書いてないもん。
主な勝ち鞍
1996年:ユニコーンステークス(GIII)
1997年:フェブラリーステークス(GI)、平安ステークス(GIII)
ちなみに「シンコウウインディ」 である。最初の「イ」が大文字で次の「ィ」が小文字。「ウインディ(ポケモン)」と同じである。
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「シンコウウインディ(ウマ娘)」を参照してください。 |
1993年4月14日生まれ。父デュラブ・母ローズコマンダー(母父ダストコマンダー)。
子どもの頃からいたずら好きで、よく人に噛みつく癖があったという…
…が、馬である。大型哺乳類はじゃれているつもりで人に噛みつくことがあるが、力の差がありすぎて人間にとっては大けがではすまないということもある。例えばシャチやイルカでは調教師の死亡例もある。馬では死亡例までは少ないが、運が悪ければ指を食いちぎられることもある。一般人でも、乗馬クラブや牧場などの見学の際には注意が必要な馬がいる(引退後のタマモクロスが有名)。
2歳セリ市では、外壁・屋根材[1]販売会社新興産業社長の安田修に購入され、「シンコウウインディ」としてデビューすることになった。
1996年1月の4歳新馬戦をダート1200mで快勝すると、芝を3回連続で使われたが、4-2-4着といまひとつ。そこでもういちどダートコースのあさがお賞(500万下)を使ったところあっさり2勝目を挙げたので、以後ダート路線を歩むことになる。
ゴール板を通過する寸前に、前を走るダイワオーシャンの首に噛みついた。噂では、オーシャンの首にはくっきり歯形がついていたというが、映像を見る限りでは騎手も馬も全く気にしておらず、ウインディを無視して普通にゴールして1着。
競馬としては何のメリットもないどころか失格もあり得る噛みつき(失格にならなかった理由は下記参照)。しかし、このことで「他馬に噛みつこうとして負けた馬」と格好のネタとなり、勝ち馬であるダイワオーシャンより人気になってしまった。
一方のダイワオーシャンは、これで1勝を拾った後次走のニューマーケット特別も勝利するがそこまで。3戦連続2着など惜しいところまでいくものの、結局1600万下どまりで競走生活を終えた。その後乗馬になったという噂があるが、なにせ「シンコウウインディに噛まれた馬」という情報にかき消されてその後の情報が全然出てこない。
競馬では口をパクパクさせ落ち着きのない馬を「獅子舞」などと言う人がいるが、獅子舞は噛んだ者に幸運をもたらすんだから、もうちょっと出世させてあげればよかったのに。
1996年から「4歳ダート三冠シリーズ」なるものが新設され、中央競馬の4歳ダート決定戦・ユニコーンステークスがその第1戦に据えられた。完全にダート路線に転向したシンコウウインディももちろん出走。
レースでは7番手から猛烈に追い込むも、バトルラインに3馬身差をつけられ完敗。重賞の厳しさを見せつけられた…と思いきや、バトルラインが斜行により降着(10着)となり、繰り上がりで1着になってしまった。
思わぬ形で初重賞が転がり込んできた陣営は、二冠目・大井のスーパーダートダービーに挑む。
スーパーダートダービー。現在のジャパンダートダービーとは複雑な関係を成すが、説明が面倒なので当該記事を参照。地方・中央含めた(現表記で)3歳ダート王者決定戦という立場は多分変わっていないと思う。
最終直線、「1」のハロン棒を過ぎ、先頭をゆくサンライフテイオーをあともうちょっとで差し切るという刹那。シンコウウインディはあろうことかサンライフテイオーのおなかのあたりに噛みついてしまったのだ。
サンライフテイオーはびっくり仰天。彼から逃げるかのごとく末脚(?)を発揮。鞍上高橋三郎もこれ幸いとばかりに右ムチを一発当ててスパートをかけ、そのままウインディを突き放してゴール板を駆け抜けた。
ウインディの噛みつきはもちろんただのロスで終わり、結局2着でゴール。それでも「噛みついた後で」皐月賞馬イシノサンデーを振り切って2着なのでこれも彼の実力と言えるのだろうか…?
しかし、せっかく直線でイシノサンデーを差したのに、そして何もせずただ走っていれば差し切れたであろうだけに、惜しまれる敗北であった。
噛まれた方のサンライフテイオーはこれが最後の勝利となった。しかしながらこの時の彼は9番人気。中央馬2頭をぶっちぎっての勝利という大金星で、獲得賞金も1億円を超えたし、地方・中央交流戦のお土産としては十分すぎると言えるだろう。棚からぼた餅と言われればそれまでだが、食われたのはこっちなのだから、多少の役得はあってもよかろうというもの。
残る一冠、盛岡のダービーグランプリは特に噛みつきに行ったりもせず3着に終わった。長距離輸送で疲れていたのが理由とも言われるが、大きく離されて負けた相手は皐月賞馬イシノサンデー。こっちはGIII馬(しかも繰り上がり)なんだからこれが本来の実力なのかも知れない。
イシノサンデーの方は、前走で他馬に噛みついた馬に追いつけなかったという屈辱を味わっていたので、雪辱を果たしたというか順当な成績に落ち着いたといった格好である。
というわけで、ダート三冠は一冠取るには取ったが自分の実力ではない、とちょっとやりきれない結果に終わった旧4歳期であった。
これ以上噛みつかれちゃたまらんと思われたのか、5歳期以降はブリンカーをつけて出走することになる。
年明け初戦のGIII平安ステークスは、2連勝中の実力者トーヨーシアトルを猛烈に追い込み、同着の1着。向こうに3連勝をプレゼントはしたものの、こちらも2つめの、そして今回は実力での重賞制覇となった。
今でこそ春のダート王決定戦として定番のGIだが、昇格したのは本年・1997年からである。
それだけに、今まで戦ってきた名ダート馬が軒並み名を連ね…たばかりか「お前ダート新馬戦しか走ってないだろ?」みたいな馬や、ダートは初めてでそれ以降も皆無、という馬まで出走を表明していた。
天候は晴れだが、馬場状態は不良というのもはばかられる泥田んぼ。レース前から荒れるのは目に見えていた。
レースでは、向こう正面で中団に控え、びっちゃびちゃのぬかるみになった第4コーナーでビコーペガサスを抜き4番手に。ストーンステッパー・バトルラインの内をつき、壮絶な叩き合いになってもまだぐんぐんスピードが上がっていく。繰り返すが、泥田んぼ馬場の最内である。
結果はクビ差の1着。「噛みつき癖は闘争心の表れである」と前々から言われてはいたが、それが本当であったことを証明して見せた。
1997年は休養を挟んでアンタレスステークス・帝王賞と出走したが不振。脚部不安により休養が延びに延び、次に出走したのは1999年の、なぜか安田記念であった。もちろんブービー惨敗。ダートGI馬なのに安田記念に出走した理由はオーナーが安田さんだからというわけではなくまさに「GI馬」だからだと思われる。下手にダートのGIIやGIIIに出走すると重いハンデを背負わされるので、脚部不安で休養したのに元の木阿弥になりかねない。
その後ダートのオープン戦2回は5着・6着と微妙な結果に終わり、日本テレビ盃後に脚部不安が再発。引退することになった。
引退後はオーナーの所有するシンコーファームで種牡馬となったが、2001年にオーナーの経営不振により所有馬が全て彼の手を離れる[2]。その影響もあり彼の産駒はわずか20頭しかおらず、活躍馬はいない。2006年1月1日をもって用途変更(種牡馬引退)になっている。
その後、シンコーファームはダーレー・ジャパンに買収され、ウインディは日高町のダーレー・ジャパンスタリオンコンプレックスで試情馬(当て馬)兼功労馬として余生を送っていた。
噛みつきは「甘噛み」程度になり、また牝馬に蹴られても怖じ気づいたりせず、当て馬としての仕事がとてもうまいというが、これは2017年の記事。30歳になっても当て馬をしていたかどうかは不明である。
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https://twitter.com/darleyinjapan/status/1427462882627784717
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https://twitter.com/DarleyinJapan/status/1707312531256340823
ここまで読んで、「噛みついたのになんで失格や降着になってないの?」と思った人も多いかもしれない。しかし、JRAのルールでは、「その走行妨害がなければ被害馬が加害馬に先着していた」場合に降着・失格となる。シンコウウインディの場合、二度とも妨害したことで逆に相手を勝たせている 上、噛みついた動きで第三者の邪魔をしたりもしていないので、何のおとがめもなかったということである。
地方競馬では、水沢競馬2019年6月11日にフジノフェアリー(2位入線)がマイアヴァロン(4位入線)に噛みつく事件が発生。この際は、加害馬の方が先着しており、噛みつきがなければ被害馬の方が先着していると認められたため、フジノフェアリーは4着に降着となっている。
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https://twitter.com/uma_musu/status/867935576531521536
実在の競走馬を女の子にするメディアミックス。本ゲームで本馬の知名度が向上した…かどうかは定かではない。ビコーペガサスと違ってGI馬だし。
名前は当初明かされず、クイズ形式で公開された。勝負服が真っ黒、噛みつき癖ということでシンコウウインディと一発で分かるデザインだが、本馬もウマ娘化した競走馬の中では知名度が低い部類に入るので、採用されたことに驚いたファンもいたようである。
しかし、実際の知名度以上に本馬の育成実装はファンから望まれていた。理由は単純で、シンコウウインディは数少ないダート特化ウマ娘のひとりだったからである。本作はダート馬の数が極端に少なく、リリース当初はハルウララしかいないという有様だった。
その後ダートウマ娘はスマートファルコンらが相次いで実装され、2022年5月にコパノリッキーが発表されたのを機に2010年ダート界のレジェンド級が新規に増え、ウインディが実装される前にダートの人材不足はあらかた解消されてしまった。
シンコウウインディの実装は2023年2月、それまでに発表済みのダートウマ娘の中では大トリであった。
7以降のウイニングポストシリーズでは1993年8月第1週の幼駒セリで落札可能。なかなかのスピードに悪くはないサブパラメータ(とくにパワーの数値がトップクラス)で初心者ユーザーの助けになってくれる。距離適性も9シリーズ以降は1600~2000mと、川崎記念・JBCスプリント以外の主要GI・JpnIレースをカバーできる。
問題は史実の脚部不安から来る健康の低さで使い詰めができないこと、地方交流重賞での成績不振から来る精神の低さでゲームでもまともに地方で走れないこと、そして史実と違って地方馬も普通に中央重賞・GIに出てくることから1歳上のアブクマポーロ・1歳下のメイセイオペラの二大地方強豪と殴り合わないといけないことの3つ。自己所有してないと史実で勝ったフェブラリーSをアブクマポーロに獲られてGI勝ち無しになることもしばしば。
ちなみに種牡馬入りすると気性難因子を持っていたりする。
まるまる1話、主役回がある。「噛みつきウインディ」を献身的に世話する「職人」富岡靖二厩務員と、その家族を描く。下記「関連リンク」からKindle版に飛べる。
*デュラブ 1982 栗毛 |
Topsider 1974 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Drumtop | Round Table | ||
Zonah | |||
Passerine 1977 栗毛 |
Dr. Fager | Rough'n Tumble | |
Aspiditra | |||
Pashamin | My Babu | ||
Tir an Oir | |||
ローズコマンダー 1976 鹿毛 FNo.7-e |
*ダストコマンダー 1967 栗毛 |
Bold Commandar | Bold Ruler |
High Voltage | |||
Dust Storm | Windy City | ||
Challure | |||
ハマヒリュウ 1972 黒鹿毛 |
*パーソロン | Milesian | |
Paleo | |||
デイツクミドリ | トサミドリ | ||
タカフレーム | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス: My Babu 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
※暫定的にウマ娘の画像を貼っておきますが、実馬の静画を見つけた方は差し替えてください。
(一応実馬ネタ)
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最終更新:2025/01/04(土) 23:00
最終更新:2025/01/04(土) 22:00
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