エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ(1929~)とは、フランスの歴史学者でアナール学派の第3世代に属する人物である。
フランスのノルマンディ地方のカーン近郊に生まれた。終戦直後の1946年にアンリ4世校に入学すると共産主義のとりことなり活動をはじめ、放校されたというエピソードが残っている。共産主義運動は高等師範学校に入学してからも続けてとても歴史研究などしている場合ではなかったが、フランソワ・フュレ、ドニ・リシェ、モーリス・アギュロンといったのちに著名な歴史家になる学生仲間が同様の活動をしていたのである。
しかし1956年のハンガリー動乱でラデュリは共産党から距離を置き、ノンポリの研究家になったのである。
1950年代頃から『アナール』を読み始め、マルク・ブロックの『農村史の基本』に感銘を受けたり、17世紀の危機論争が華々しかったりと、いろいろ研究対象を迷っていたラデュリであったが、ラングドック地方の農村史を最終的に選んだのだ。エルネスト・ラブルース、フェルナン・ブローデルから刺激を受け、計量化という手法と地理的歴史、長期持続といった発想を共有したラデュリは1973年ついにブローデルの後任としてコレージュ・ド・フランスの教授となり、アナール派の次世代の存在としてジャック・ル・ゴフ、マルク・フェローとの三頭制を築くのである。
そんなラデュリの当初の問題意識の原点はマルクス主義の唯物史観であり、社会経済史の側面から研究を行おうとした。しかし彼が主眼を置いた近世南フランスは「動かない社会」であり、この実態を具体的に描くために「局面状況」を検討するだけではなく前近代についても正確な統計を得ようとしたのである。やがてラデュリは『モンタイユー』などミクロの世界に着目する「心性史」の領域へと足を踏み入れる。壮大なマクロな世界を描こうとしたブローデルに対し、「モノ」にこだわり人々の結合関係や集合的意識の様態などに焦点を当てていったのである。
さらにラデュリは中央政治史という今までアナール学派が忌避していた分野からもメスを入れる、ルイ14世の統治の再評価、およびルイ15世幼少時代の摂政オルレアン公フィリップによる「多元会議制」という政治史の再検討を通してフランスの国民意識を研究しようとしたのだ。
このようにラデュリの研究対象は、ブローデル亡き後のアナール学派を象徴するかのように多岐にわたるのである。
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最終更新:2024/12/20(金) 14:00
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