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坂口智隆(さかぐち ともたか、1984年7月7日-)とは、兵庫県出身の構成員元プロ野球選手(外野手)である。
概要
OB | |
---|---|
坂口智隆 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 兵庫県 |
生年月日 | 1984年7月7日 |
身長 体重 |
180cm 76kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 2002年ドラフト1位 |
引退 | 2022年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
2002年のドラフト1位で大阪近鉄バファローズに入団。高校時代は投手だったが、プロ入りと共に外野手に転向。2004年の分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍。
二軍で主力になった後、2007年、平野恵一の故障離脱もあって開幕1番センターに抜擢される。しかし、打撃不振で春のうちに二軍落ち。秋頃一軍に戻ってきて、そこからレギュラーを掴む。
2008年はシーズンを通してセンターのレギュラーを確保、主に1番打者として打率.278、13盗塁。チームのクライマックスシリーズ進出に貢献し、ゴールデングラブ賞を受賞した。
2009年は開幕当初深刻な打撃不振に陥るが、中盤から大爆発し、リーグ2位の打率.317をマーク。2010年は好不調の波が激しく二軍落ちも経験したが、最終的には打率.308を記録した。
2011年も夏場に打ちまくって打率3割以上をキープしていたが、10月に失速して最終的に.297に終わる。3年連続3割は逃したが、175安打で最多安打のタイトルを獲得した。
2012年は5月にダイビングキャッチをした際に右肩を脱臼、靱帯断裂という大怪我を負い戦線離脱。シーズン絶望とみられたが、閉幕直前に復帰した。とはいえ40試合の出場に終わり、チームが最下位に沈んだ一因となってしまった。
2013年は大引啓次のトレードに伴い選手会長に就任。開幕一軍入りし、主に1番・センターで起用されたものの、前年の右肩脱臼の影響でか肩が見る影もない弱肩となってしまい、中盤からはレフトでの起用が多くなった。打撃も2割前半と振るわず、8月にぎっくり腰で抹消され、閉幕直前まで戦線離脱となった。結局97試合で打率.230の成績に終わる。
2014年は122試合に出場したが、打率は去年とあまり変わらなかった。
2015年は二軍降格後に右肘を故障し、36試合の出場に留まった。契約金の大幅な減額を不服とし、オリックスを退団。11月13日に東京ヤクルトスワローズと契約した。背番号はジャッキー・ロビンソンにあやかって42。
ヤクルト時代
2016年は先頭打者に定着し141試合に出場。打率.295をマークするなど復活のシーズンとなった。6月2日の北海道日本ハムファイターズ戦で通算1000試合、6月8日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で通算1000本安打を達成した。
2017年も136試合に出場し、打率.290、2本塁打、38打点と活躍しチームを牽引した。
2018年は青木宣親のヤクルト復帰の影響もあり、一塁手も守るようになる。最終的には2010年以来となる規定打率3割、自己キャリアハイとなる出塁率4割を記録した。
2019年はシーズン早々死球で離脱。復帰後も調子は戻らず、わずか22試合の出場に留まった。
2020年10月19日の阪神戦で、自身通算1500安打を記録。シーズン通算でも自身キャリアハイとなる9本塁打をマークし2年ぶりに規定打席に到達するも、打率はリーグワースト2位。守備でも精彩を欠く場面が目立った。
オフに岩隈久志が現役を引退、近藤一樹が戦力外通告を受けたため、近鉄バファローズに所属経験のある最後のNPB現役選手となった。
2021年は開幕1軍入りしたものの、3月28日の阪神戦での自打球により負傷離脱。9月11日のDeNA戦でも死球を受けるなど、わずか25試合の出場に留まったが、10月19日の阪神戦では通算1500安打を達成している。日本シリーズでは古巣のオリックス・バファローズと対戦し、計4試合に出場。チームのリーグ優勝・日本一に貢献した。なお、坂口自身もリーグ優勝・日本一は初体験である。
2022年は開幕二軍スタート。6月に一軍に昇格し、しばらくは好調を維持した。しかし夏場に調子を落とすと、8月に二軍落ち。その後9月に引退を表明し、10月3日のDeNA戦(引退試合)に出場すると、第一打席にレフト前ヒットを記録した。同年オフ、香川オリーブガイナーズの近藤一樹も引退したため、大阪近鉄バファローズに所属したことのある選手は全員引退したことになった。
引退後
野球解説者を務めながら、火の国サラマンダーズの臨時コーチ(2023年のみ)、関メディベースボール学院中等部の臨時コーチを務めている。
人物・その他
- シーズン中盤から夏場にかけて滅法強く、毎年春先はパッとしないが、6月から8月頃に打ちまくる典型的な「夏男」。俊足を飛ばしての中堅守備にも定評があり、レギュラーに定着した2008年から4年連続ゴールデングラブ賞を受賞している。いっぽう、盗塁はあまり得意ではなく、2009年の16盗塁が最多。
- 同期入団の大西宏明を兄貴分として慕い、田口壮に師事している。近鉄時代から長く同僚であった横山徹也と大親友であり、歳が近く1・2番コンビを組むことも多かった大引啓次とも仲が良い。小瀬浩之が存命だった頃には、大引のプロデュースにより小瀬・大引と3人で「Bs羞恥心」なるユニットを結成していた。またT-岡田がホームランを打ってベンチの面々とタッチをする際、必ず最後に岡田を待ち受けてハグをしている。
- 歌が上手く、プロ入り後もこっそり路上ライブをしていたらしい。また大の甘党で、横山徹也と一緒にケーキバイキングに行ったりしているとか。
- イチロー2世と言われることがあるが、どっちかというと大村2世っぽい。
- 野球chやなんJでは、八木智哉と共にその強面な風貌から「坂口構成員」と呼ばれている。
反面、本人は大のジブリファンで子供好き。プロ野球の道に進まなかったら、保育士になりたかったと語っている。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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オリックス | 応援歌のピコカキコ一覧#1006 | 12016 | ![]() |
ヤクルト | 応援歌のピコカキコ一覧#1265 | 14043 | ![]() |
成績
通算打撃成績
年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016年 | 141 | 607 | 526 | 74 | 155 | 14 | 5 | 0 | 39 | 7 | 5 | 5 | 63 | 8 | 66 | 5 | .295 | .375 |
2017年 | 136 | 607 | 535 | 51 | 155 | 16 | 2 | 4 | 38 | 4 | 5 | 3 | 59 | 5 | 76 | 6 | .290 | .364 |
2018年 | 139 | 595 | 508 | 64 | 161 | 22 | 4 | 3 | 37 | 9 | 7 | 2 | 75 | 3 | 60 | 15 | .317 | .406 |
2019年 | 22 | 77 | 64 | 2 | 8 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 10 | 2 | 13 | 2 | .125 | .263 |
2020年 | 114 | 458 | 398 | 55 | 98 | 14 | 1 | 9 | 36 | 4 | 3 | 3 | 47 | 7 | 60 | 8 | .246 | .334 |
2021年 | 25 | 57 | 50 | 7 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 2 | 12 | 0 | .160 | .250 |
2022年 | 24 | 47 | 43 | 2 | 12 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 13 | 0 | .279 | .340 |
NPB:20年 | 1545 | 6203 | 5483 | 686 | 1526 | 194 | 54 | 38 | 418 | 85 | 86 | 26 | 560 | 48 | 766 | 87 | .278 | .349 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
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NPB | 一塁手 | 155 | 1218 | 75 | 7 | 100 | .995 |
外野手 | 1344 | 2431 | 66 | 14 | 12 | .994 |
タイトル・表彰
タイトル | ||
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最多安打 | 1回 | 2011年 |
表彰 | ||
ゴールデングラブ賞 | 4回 | 2008年-2011年 |
月間MVP | 1回 | 2011年6月 |
全農Go・Go賞 | 3回 | 2009年、2010年、2011年 |
セ・パ交流戦 日本生命賞 | 1回 | 2011年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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