中国脳単語

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中国脳(China brain)とは、

中国人ってたくさんいるから、ちょっと中国人10億人呼んで、一人一人に細胞一つずつの役をやらせ人間をシミュレートしてみようぜ!そのシミュレートされたって、ちゃんと意識とか持ってんのかな?」

といった感じのアイディアである。

概要

そんなくだらないことに10億人も動員される中国人たちがかわいそう!

と憤慨した優しいあなたは安心してほしい。これは実際の計画ではなく、あくまで哲学的な問題を考える上での思考実験である。

中国人10億人にトランシーバーを配り、人間細胞が行っている方法を真似て、各々で情報伝達をさせる。そして全体として一個の「」として機させる」というのが大筋である。

なお、人間内の神経細胞の数は数億はあると言われているので実際には10億人では数が足りないし、そもそも細胞がどのように機しているのか全にはわかっていないので「真似る」にしてもどうすればいいのかはわからない。しかしこれは「思考実験」なのでそう言った細かいことは無視する。とにかく「うまく実行できた」と仮定して考える。

さて、この「中国脳」は人間の「」をうまく模倣できたので、例えば人と会話したりすることもできるだろう。会話の内容によっては怒りや悲しみといった反応を返すかもしれない。

このときこの「中国脳」は、意識や感情を持っているだろうか?クオリアを感じているだろうか?

それとも、あくまでそのように模倣しているだけで、意識や感情やクオリアを持つことはいのだろうか?

由来

元々は、1978年哲学者ネド・ブロックが論文内で取り上げた、たとえ話である[1]。ただし類似のアイディアの先駆者はいたらしい。

機能主義への批判

この論文で、著者のブロックは「心」に関する哲学における「機義」(functionalism)への批判を行っており、この「中国脳」も機義を批判する文脈で登場した。

ここでいう「機義」とは、「ある「心の状態」(例えば「悲しみ」)は「内のどの神経が活動しているか」といった単純な「物質的状態そのもの」では定義できず、「その内の物質的状態が、全体の中でどういった機を果たしているか」によって定義される」とする立場である。単純に「のこの神経が活動している状態が「悲しみ」だ」とするような言説では、「ではその神経から取り出して実験室で刺するだけで、そこには「悲しみ」が生じるのか?」という批判が考えうるが、機義ならばこれを回避できる。

だがこの「機義」に基づけば「どのような物質的状態にあるか」ではなく「どのような機を果たしているか」が心の状態を決定することになる。裏を返せば「同じ機を果たす状態」ならば、その構成要素がどのような物質的状態であっても「同じ心の状態」とみなせる。「どのような物質的状態であってもよい」ならば、例えば細胞はなくそれを模倣するようなチップが同じ機を果たしていても、「同じ心の状態である」と見なせる。これを機義から導かれる「多重実現可性(multiple realizability)」という。

この「多重実現可性」をさらに推し進めれば、10億の中国人たちが本物の人間と同じ機を果たしているならばそれらは「同じ心の状態」にあり、つまり本物の人間と同様に精神性を備えていることになってしまうではないか……というのがネド・ブロックがこのたとえ話で提起したかった点であるようだ。

ブロックによる疑い

ネド・ブロックは、この中国脳が精神性を備えるかについては「一見自明に(prima facie)」疑わしいと見なす。「直観にそう訴えかけてくる(rested on an appeal to the intuition)」とする。

直観以外の理由付けとして、「々は自分たちのは意識を持つことを、自分たちが意識を持つことから経験的に知っている。しかし中国脳についてはそうではない」「々のはなにかを「真似て」いるわけではないが、中国脳の働きは々のの働きの模倣/再現でしかない」とも摘する。

その上で、「そんな中国脳に精神性を認めるような機義には問題がある」という論法で批判を試みたわけである。

ブロックはこの論考について、論文中では「Absent Qualia Argument(和訳例:クオリア如論考)と呼んでくれ」と要している。「機義に対して、と同じ機を果たしているのにクオリアを持たない(と疑われる)存在(中国脳)を突き付けて批判する論考」という意味合いのネーミングかと思われる。

だが「中国人10億人でをシミュレートする」というアイディアの印が強すぎるので、「China brain argument」(和訳例:中国脳論考)とか「Chinese nation argument(和訳例:中国人民論考)」と呼ばれることも多い。

ただし、「中国脳が意識を持つかは疑わしい」というブロックに同意しなかった哲学者もおり、論争には決着がついていない。「の活動から意識やクオリアがどのように生まれるのか」については「意識のハードプロレム」等と呼ばれ、解明されていない。そのため、中国脳のような「の模倣」から意識が生じうるのか否かについても断言することが難しい。

ちなみにネド・ブロックによれば、この思考実験中国が選ばれている理由は、単に中国の人口が多いからであるらしい。

ロボットや人工知能の心

上記のように、中国脳に意識が生まれるか否かは「意識のハードプロレム」に関わる問題であるので未解明である。だがここでは試しに、「中国脳」に意識やクオリアは生まれない、と仮定してみよう。

すると、将来科学が進歩して人間全にシミュレートしているロボット人工知能が登場した場合でも、それらにも意識やクオリアは生まれない可性が高くなってくる。おこなっていることは同じで、そのシミュレート手段が「中国人10億人」であるか「コンピューター」であるかの差しかないためだ。

この場合、例えば「ドラえもんが実際に作成されて、子どもたちと友情をはぐくんだり、感動してを流したり、ネズミを恐れて飛び上がったり、自分の存在をかけて子どもたちを助けるために身を捨てるような行動をとった」としても、その「ドラえもん」は「外部からはそのように見える行動をとっているだけで、実際には主観的な意識やクオリアを持っていない」ことになる。

精神転送(マインドアップローディング)

人間コンピューター上のシミュレートへと「アップロード」して、コンピューター上で生きる存在となる、というアイディア精神転送マインドアップローディング)」がSF小説などで語られることがある。未来においては実現可性があると謳う人物もいる。

しかし、もし仮に「中国脳」に主観的な意識やクオリアが生まれないとするならば、「アップロード」された人間もまた主観的な意識やクオリアを持たない可性も高くなってしまう。理由は上記の、ロボット人工知能の場合と同じである。この場合「元の人間記憶を持ち元の人間のように語るが、実際には意識やクオリアを持たない存在」ということになるかもしれず、いわゆる「哲学的ゾンビ」の亜種と言えるかもしれない。ただし「中国脳に意識やクオリアが生まれない」という根拠は特にないため、「中国脳もアップロード後の人間普通に意識やクオリアを持つ」という可性も大いに考えられる。

関連項目

脚注

  1. *Block, N. Troubles with Functionalism.  Minnesota Studies in the Philosophy of Science, 1978, 9, 261-325.

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1 ななしのよっしん
2019/08/04(日) 13:27:05 ID: wHJc1wW92F
中国脳っていうけど中国人って文字通り中が発達してるんじゃない?
卓球とかあれ動眼神経スポーツじゃん
他にもバレーとか強いし
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2 ななしのよっしん
2019/08/12(月) 15:51:22 ID: B19RFzhqIM
シミュレーションに意識や感情が宿らないのは「ヒト体を持っていないから」クオリア信奉者はを神不可侵と思っているようだけど、実際の体を通じて環境と関わる事ではじめて機するでしょ。感情もルーツを突き詰めれば生存由来だし。
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3 ななしのよっしん
2020/04/29(水) 03:10:33 ID: q59QKKNXw/
それ考えたことある
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4 ななしのよっしん
2021/04/26(月) 00:30:29 ID: cbiUuvqaD3
シミュレーションに意識が宿らないのは、単純に計算の省略のせいだよ。機構ベースだと計算が間に合わないから、現実にある解答例を引っってきてハードコーディングで上書きする。見た人間らしくても基本的には外部から与えた物だから単純なのは当然。
逆に人工知能自身の内部学習から生まれる物は、表層は人間らしさから程遠くても、すでに人の理解を越えた複雑さを持っている。むしろ表層上人間と同じである理由は設計者が理やり与える以外ない。
生物進化史を考えても、人間個人の発達を考えても、最初は機械的本から経験と直感、感情にしても忌避や誘引のような単純な物を組み合わせる段階を経て複雑な理性を構築していく。
ヒューマニズムに溢れる人は何故か自分たちが動物赤ん坊から育った事を忘れて、機械が始めから大人として生まれると考える。まあ完成品はコピーできるとしても、その完成品がどうやって生まれたかを考えないのが問題と言える。
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5 ななしのよっしん
2022/06/19(日) 01:00:33 ID: cbiUuvqaD3
何故そう考えたか?が動物なら神経状態に、中国脳なら集団の活性化状態に保存されている
今どんな感じ?とうまく質問すれば保存された状態を反映した結果が「同じ形」で出される
この状態を少しでも弄れば「違う形」が出されるし、「同じ形」を出すには「同じ状態」を再現するしかない
前時代的なシミュレーションではこの再現性が存在しない

また身体を持つ神経系はどんな原始的な体制でも基本的に自分自身を何らかの形で観測できるので、記憶すべき補に自分自身の状態が常に存在する
自己に対する認識や自由な評価は客観的なデータ重複が多いので外部的な行動結果を見るのが的のシミュレーションではやはり省略されやすい
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6 ななしのよっしん
2022/06/21(火) 16:55:46 ID: Uceqw9sFNJ
そもそも、だけ見てても感情を模倣はできないんだよなぁ
各臓器で行き来する伝達物質やら感覚刺やらも考慮しないといけない
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7 ななしのよっしん
2022/09/18(日) 12:57:29 ID: V2bcdqvpx1
そこはまあ、本質じゃないしある意味本質でもある。
中国脳地球アップグレードさせて、伝達物質や感覚刺ふるまいをインド人に担当させれば同じこと。
インド人な理由? もちろん人口が多いからですよ)
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