基本データ | |
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正式名称 | ソマリア Soomaaliya الصومال |
国旗 | |
国歌 | ソマリアの国歌 |
公用語 | ソマリ語 |
首都 | モガディシュ(Mogadishu) |
面積 | 637,657km²(世界第41位) |
人口 | 約830万人(世界第87位) |
通貨 | ソマリア・シリング(SOS) |
概要
1991年から2012年までの殆どの期間、事実上全土が無政府状態にあった。2016年現在では北部をソマリランド共和国、北東部から南部のほとんどをソマリア連邦共和国が実効支配している。(国際的に承認されているのはソマリア連邦共和国のみである。)
1991~
1991年、内戦勃発によりソマリア民主共和国は崩壊。それ以降、ソマリア全域に於いて無政府状態が続いていた。各地の有力者が己の覇権の及ぶ範囲を支配する、あたかも戦国時代か北斗の拳かマッドマックス2のような世界となっていた。対立勢力による抗争に明け暮れる、世界的に見ても非常に危険な場所であった。
ソマリア各地に「独立国家」を主張する勢力・領域が存在する。それらにはソマリランド、プントランド、マーヒル、ノースランド、ガルムドゥグ、南西ソマリア等がある。いずれの「独立国家」も国連加盟国から1カ国も国家として承認されていない。当然、日本政府も承認していない。これらのうち、ソマリランドは暫定政権への参加を拒否し連邦共和国成立後も独立を主張しているものの、プントランドはや南西ソマリアは連邦共和国へ参加している。また、マーヒルはプントランドへ再統合されノースランドは実態不明となっている。ガルムドゥグはあくまでも連邦共和国内での自治州であるとの姿勢は堅持したままだが近隣地域と統合して中部州を作ろうとする連邦政府の動きに反発しており2015年にはプントランドと軍事衝突を繰り広げた。
ソマリア北部を支配領域とするソマリランドは他エリアに比べ、自治が行き届き、治安も良いとされる。が、それはあくまで「ソマリア全土の中では比較的良い」にという意味合いであって、危険な事には変わりない。実際、2004年ソマリランドで活動していた国境なき医師団の責任者が殺害されている。この事例は、在ソマリア外国人への襲撃の一部にすぎない。
2006年からイスラム法廷連合が全土の掌握を進めていたが、12月に入り以前からソマリア進攻を噂されていたエチオピア軍と衝突し、エチオピアは正式にソマリアに侵攻していることを認め、ソマリアと戦争状態に入った。国連安保理では議長国カタールによって「外国軍隊の撤退」決議が提案されたが、英米の反対で採決されなかった。その後アメリカ軍は空母含む1個戦隊を沿岸に配備し、空爆と海上封鎖を行い、エチオピアによるソマリア侵攻を支援した。
これまでの経緯でエチオピア感情が最悪になっていたソマリアの統治は難航し、アフリカ連合軍や平和維持軍の派遣が要請されているが、1000人程度の部隊が各地に展開されているだけでなんら効果が上がっていない。
2008年1月にソマリア南部の町にて国境なき医師団の外国人スタッフ3人が殺害され、この事件を受けて同団体の外国人スタッフ87人はソマリア全土から撤収した。在ソマリアの国連職員・各種援助団体やその関係者、報道関係者にとって依然、予断を許さない非常に危険な状態が続いている。
近年、ソマリア沖にて外国籍船舶への銃撃・襲撃・拿捕、すなわち海賊行為も頻発し、 2008年4月には日本船籍の原油タンカーが銃器等により襲撃されている。また、WFP国連世界食糧計画がチャーターし、ソマリアへの食料援助物資を載せた輸送船も相次いで襲撃される事例も多発、現在は護衛艦船なしではまともに輸送が出来ない状態にあった。現在でも各国海軍による通航艦船の護衛や哨戒は続けられているものの、海賊事案発生件数は漸減傾向にある。
なお、日本の外務省では渡航情報(危険情報)としてソマリア全土からの退避勧告を継続中である。ちなみに「退避勧告」は4段階ある渡航情報(危険情報)の中で最も危険なカテゴリに相当する。
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関連項目
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