「君次第で仮面ライダーの歴史が終わる…」素人だった菅田将暉を覚醒させた「仮面ライダー学校」の重圧Photo:SANKEI

『仮面ライダーW』で鮮烈なデビューを果たした俳優、菅田将暉。ハードな撮影をこなしながらの多忙な高校生活の実態を父が語る。驚異的な体型管理や台詞覚えの速さなど、実父ですら驚く菅田将暉の役作りの裏側とは?※本稿は、菅生 新『スゴー家の人々~自叙伝的 子育て奮戦記~』(トランスワールドジャパン)の一部を抜粋・編集したものです。

仮面ライダーWで主演に抜擢!
当時の学校生活は……?

 大将(編集部注/菅田将暉の本名)は、日出学園夜間通信部の芸能・スポーツコースへ通っていました。工藤公康さんのプロゴルファーをやっている娘さんや滝沢カレンさんが同級生だったと思います。かつて多くのアイドルが通っていた堀越学園のようなところで、生徒は芸能人ばかりです。

 大将は撮影が忙しすぎて、学校にはほとんど行けず、課題も出せずで卒業が危ぶまれました。高校での課題は、私が手伝うこともしばしばでした。大将を中卒で終わらせるわけにはいかないという親心からでした。

 大切な登校日に大将が、「お父さん、今日は体が重くて学校に行けない」と言い出した日もありました。この時ばかりは「甘ったれるな」と、思い切り平手で叩きました。

 私の目は涙でいっぱいでした。私は、大将をどうにか高校を卒業させたかったのです。

 先生に、「どこの大学だったら入れますか。夜間でも良いですから、何とかなりませんか」と度々相談していました。

 仮面ライダー(編集部注/菅田将暉の主演デビュー作『仮面ライダーW』)は1年で終わります。浮き沈みの激しい芸能界は、その後が保証されているわけではありません。選択肢を持っておいてほしかったのです。

 今まで大将に2度ほど、「もう大阪へ帰ってこい」と言ったことがあります。このままだと高校を出られない。気を引き締めなさいというつもりでした。朝は起きられないし、仮面ライダーの撮影にも度々遅刻していたようでした。

 主役なのでセリフもたくさん覚えなければなりません。まったくの素人のままで現場に入っているわけですから、覚えることが山ほどあったはずです。本人も私も、肉体的にも精神的にも苦しい日々でした。

 初めは、カメラの前で相手の俳優と目を合わせることもできないくらいでした。「カメラを舐めて」(俳優の手前にあるもの越しになめるように短く撮影されるショット)といった業界用語もわからないわけで、扱う方も大変だったと思います。

「君次第で仮面ライダーの歴史が終わってしまうかもしれない」

 大将は制作サイドの人からそう言われて、ものすごいプレッシャーを感じていたようです。高校2年生になったばかりの大将は、重責を担わされ苦しく大変だったと思います。