毎年2月22日が「猫の日」である、とは近年よく聞くが、これは具体的にはいつから始まった習慣なのか? と気になったので改めて調べてみると、おそらくこれに関する最も公的な団体の
一般社団法人ペットフード協会の沿革によると「1987年に決定」とあり、民間団体の「猫の日制定委員会」との協賛で進められたそうで。制定されてからもう28年になるのね(この日にかかわる
tenki.jpの小ネタも案外面白い)。
それから、インターネット上、特にツイッターで見かける頻度が年々高まっている、猫のことを
「ぬこ」と書くことについても併せて調べてみたら、その発祥は10年以上前とのことでそんな前から使われているのか、と思ったよりも歴史があって驚いた。
ひらがなの「ね」と「ぬ」の字形が似ているから、というのはなんとなく知っていたが、それよりも単に「ね」を「ぬ」と誤記したのが元々のきっかけなのかねえ。その根拠というか詳細はよく知らないけど。まあネット用語は根拠が曖昧で特定し難い、というか自然発生的なものが多いけれども。
僕は使わないし基本的に一般の紙媒体やかしこまった文書でも使用は不適切と思われるがネット上では以前から頻出のネット用語の代表格に、嘲笑や自虐的な笑い(苦笑?)を意味する「w」を文末に付け足してその度合いを増幅させる表現もよくあるが(最近は「www」や「wwwww」などとその数を増やすと、字形を顔文字のように見立てて、草に似ている、草がたくさん生えている様子に近いということで「草が生える」や「草原」と喩えることもある)、しかし最近はマンガ雑誌や若者向けの情報誌を読むとさすがにマジメな本文では見かけないがそのページの欄外や読者投稿や編集後記のような本文よりは力を抜いて作られているページで見かける機会は年々増えており(作品上で使われることもままあるか)、今後は「ぬこ」ももっと浸透すると「w」と同じような感じで一般に拡がるかもしれない、と最近とみに思うようになった。そういったネット上で醸成された今どきの言葉に関する流行は仕事柄、一応気になる。
ただ、以前から猫というとマンガ・アニメ・小説・ドラマなどの作品でもかわいい愛玩動物としての扱いが多く(『サザエさん』のタマから始まっていろいろあるか。しかし、ドラえもんはただの野比家の居候で、最近ではジバニャンも似たような怠け者だが)、「かわいがられる」ことを前提としての柔らかい印象のかな表記「ねこ」とカナ表記「ネコ」が大勢だが、動物写真のなかでもとりわけ猫写真の第一人者でここ数年は(僕も放送開始当初からすべて録画保存している)NHKBS『
岩合光昭の世界ネコ歩き』シリーズでも活躍中の岩合光昭氏の近刊の写真集『
ネコライオン』を書店で眺めても痛感するのだが、猫はけものへんの漢字表記「猫」という肉食獣であるさまを(「かわいい」点ばかり露出させて)ごまかすことなく正直に表したほうがよいと思っている。まあ首輪や鈴付きでヒトに飼われるか、それよりも自由奔放な野良か、猫が育つ環境にもよるが。
僕個人的には幼少期から特に影響を受けている(二次元の)猫に『
じゃりン子チエ』の小鉄や『
What's Michael?』のマイケルがあり、彼らのような独立独歩型というか猫なのに無頼漢や個性の強い猫のほうが魅力的だという固定観念があるため、今でも外出時に猫を見かけると群れたり媚びたりしない佇まいの猫のほうが好みである。ウチの庭にも獲物を狙う近所を縄張りとする野良猫が侵入することもよくあるが、それも1匹で行動するヤツなので窓際で挙動をこっそり眺めていると可笑しい。というか、近年ウチにも出現した鼠をなんとかしてほしい。侵入を容認している都合上、何も結果を出していないのに糞だけ残して立ち去るのは困る。
マイケルの過去連載の一部を公開しているのを久々に読むと、今でも面白い。ちなみに、最近の猫絡みの作品で特に面白いのは週刊ヤングジャンプ連載『
しらたまくん』か。
などと、今日に合わせて改めて最近の猫事情(というか猫絡みの表現?)について考えてみた。