牛がいなくなった牛舎を案内するバネッサさんは、重清さんと一緒に働いた日々を懐かしそうに語った バネッサさんは在日歴20年近くになるが、日本語があまりできない。取材を始めた当初は、過疎地での生活に馴染めなかったのがその理由だと思っていたが、家業は熱心にやっていたようだ。 「牛の仕事は旦那さんが教えてくれて、段々覚えたの。牛に餌をあげたり、機械やタンクの掃除をしたり。私がトラックを運転して、藁や籾殻も運んだ。だから免許はマニュアルよ。ユンボも運転できるよ!それで旦那さんに毎月、お小遣いもらったの」 子ども2人にも恵まれ、重清さんとは近くの温泉や釣りに出掛けた。たまに喧嘩になると、「フィリピン帰る!」「帰れ!」などと言い合ったのも、今となっては微笑ましい思い出だ。そんな結婚生活が10年続き、震災の発生に伴って福島第1原子力発電所の事故が起きた。 重清さん一家に怪我などはなかったが、事故後、福島県