「書くために旅をし、本を読む」ーーー。なんともあつかましく、不敵な望みが、このサイトの管理者n_shuheiさんのおかげで続けられている。作品を引用するだけで「書いています」と言うのはあまりにおこがましいが、まだボケるまでには時間があることを期待し、もう一日、もう一冊・・・。 (写真は中国・天山山脈)
掲載告知: 「マルチレベル・ガバナンスにおける民主的正統性と公私再定義――ステークホルダー・デモクラシーのグローバルな実現へ向けて」 松尾隆佑 [2014. 3] 「マルチレベル・ガバナンスにおける民主的正統性と公私再定義――ステークホルダー・デモクラシーのグローバルな実現へ向けて」『社会科学研究』65(2): 185-206. 雑誌投稿論文が刊行されました.リンク先から,要約および本文をお読み頂けます.掲載誌はオンライン版のみの刊行のため,冊子体はありません. 目次を以下に掲げておきます. 目次 I. 序論――ダールのジレンマとガバナンス論の隘路 II. グローバルな民主化に向けた複数の戦略 1. 政府の/による民主化――ヘルドのコスモポリタン・デモクラシー 2. 市民社会による民主化と、市民社会の民主化 III. マクドナルドのグローバル・ステークホルダー・デモクラシー論 1. 概要
三大学合同の政治理論研究会(於:法政大学現代法研究所)にて,研究報告をさせて頂きました. 「政治的なものとガバナンスのあいだ――企業統治論からの接近」と題して,政治的なものの擁護という立場からガバナンス論をどう評価できるのかを検討する内容でした. あまりまとまりのない報告になってしまいましたが,今後もう少し煮詰めていきたいと思います. 報告要旨と目次を載せておきます.ご関心をお持ちの方は,kihamu[at]gmail.comまでご連絡頂ければ,報告資料をお送りします. 要旨 政治的なものの擁護を図るとき、政治学の内外で展開されてきたガバナンス論への態度は両義的なものとなる。それはこの言説が、国家のみが公共を担うものではないと語ることで政治的なものの可能的領野を拓いてきた理論的貢献を伴うと同時に、経済的・技術的な脱政治化と国家権力の再編成を企図するイデオロギーとも目されてきたからである。だ
Shoko Egawa @amneris84 金曜日に首相官邸前でのデモを行った人たちと、今日、大飯原発前で機動隊員を相手に立ち回りを繰り広げたらしい人たちを、同じ「市民」という言葉でくくってしまうことには、かなりの違和感を覚える。 2012-07-01 22:07:47 玉井克哉(Katsuya TAMAI) @tamai1961 ただの弾圧ではありません。「仮借なく」弾圧せねばならない。 RT @Ito_kaori 「弾圧」だなんて、なんて恐ろしい・・・。RT @ryoko174: RT @tamai1961: 官邸前のデモと、発電所の操業妨害は、まったく異なる。後者は、仮借なく弾圧せねばならない。 2012-07-01 22:08:48
基調講演:アントニオ・ネグリ 日本からの報告:市田 良彦・上野千鶴子・毛利嘉孝 全体討論:コーディネーター:伊藤 守 シンポ『マルチチュードと権力:3.11以降の世界』 これまで来日を試みながらも、入国がかなわなかったイタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏。この度、初来日し、4月6日(土)に日本学術会議で講演を行う。OurPlanetTVでは、この講演の模様を同時通訳音声(日本語)でライブ配信する。 <マルチチュードと権力>の視座から、「オキュパイ運動」や「アラブの春」などの政治・民主化運動が、現在のグローバル社会において持つ意味を議論したのち、3.11 以降の日本の社会の変容を、グローバルな文脈の中で捉え直す。 配信時間 2013年4月6日(土) 午後1時〜午後4時40分 基調講演者 アントニオ・ネグリ 報告者 市田 良彦(神戸大学国際文化学研究科教授) 上野千鶴子(立命館大学大学院先
立花隆に耳を傾けずに立花隆著『サル学の現在』を読む | Philosophy Sells...But Who's Buying? まずタイトルについて説明。 俺は立花隆の本は結構好きです。 特に 『日本共産党の研究』とか 『中核対革マル』などは 政治や政治学、政治哲学に関心あるひとは 是非読むべきだと思っています。 日本共産党の研究(一) (講談社文庫)/立花 隆 ¥730 Amazon.co.jp 中核VS革マル(上) (講談社文庫)/立花 隆 ¥520 Amazon.co.jp タイトルで書いたことは嘘ではありませんが、 タイトルをキャッチーにするために多少演出している ということもご理解ください。 とはいえ、 今回紹介する『サル学の現在』という本は 著者に耳を傾けずに読む必要がある本であり、 名著です。 もう結構古い本なんですけど なんでこれを今回書くことにしたかというと、 いま俺は
朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』2012年5月号に掲載されたエッセイの再掲です。 同じようなことをここでも書いてます(【UTCP Juventus Afterward】)。 ・・・・・・・・・・・・・ 「民主主義」について考えるのを中断する 國分功一郎 政治哲学では伝統的に政体を三つに分けてきました。一人が統治する君主制、少数人が統治する貴族制、全員が統治する民主制。現在の日本の「議会制民主主義」と呼ばれるものは、少数人の国会議員が統治しているわけですから、政体としては貴族制です。しかも、二世、三世の議員が増えていますから、本当に〝貴族〟制ですね……。 大学で哲学を講じる際、政体が話題になるといつもこの話をする。学生は割と驚く。そして実は私自身も驚いている。我々は「民主主義」という言葉を平気で日常的に使っているが、それが何なのかははっきり言って今もよく分かっていないからである。 読者はすぐ
Chikirinの日記 - 「話し合って決める」という幻想 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120813 <お気づきの方も多いと思いますが、ちきりんはネット上で議論をしません>。 <ブログで、トラックバックを使って他の方の主張に議論をふっかけることもないし、ふっかけられた議論を受けることもほとんどないです。私のブログは、私の考えたこと(思考、主張)を広く開示しているだけのものです>。 <ツイッター上でも「会話」をすることはあるけど、「議論」はしないです。ネット上で議論をしない最大の理由は「非効率だから」です。別の言い方では「時間の無駄だから」> これは実にChikirinさんらしい、痛快なエントリだ。 <いったい「議論する意味」はどこにあるのでしょう? 合意すること? 意見をまとめること?> <世の中のすべての人の意見が「一致する」などということは起こりえ
- 倫理と常識 知覚でとらえたものには、欺かれることがあります。一般に強力な武器−−なかでも核兵器が、その保有者の力をかならず強めて、勢力を拡大させるものだと考えてよいとは言えません。これは〔自己の利益を考慮する〕常識がかかわる重要な問題です。また、特に核政策の是非については〔人類共通の〕利益にもとづいて問わなければなりません。一国が特定の政策によってこうむる実際的な利害では計りきれないものがあります。常識と倫理のどちらにも関心を向けなければなりませんが、同時にこの二つをたがいに無縁なものとして扱うべきではありません。 私たちが他人にたいする態度を決める場合、おたがいの活動の倫理性をどう判断するかを抜きにしては考えられません。結果として倫理上の根拠にも、常識としての重要性が含まれることになります。こうした観点から、私はインド亜大陸において核政策がかかえる問題一般について、また、特にインドの
『政治の意味とは自由である』(ハンナ・アレント) 政治に「必要なもの」とか、政治の「目的」ではなく、政治の「意味」とは自由である。というアレントの言葉がずっと理解できず、時々思い出しては考える。 アレントの言いたかったこと・・・それは、いわゆる「熟議」ではなく、単に互いの話を聞くこと、なのではないだろうか。彼女は、"plurality"という概念を重視していたが、議論で「決着」したかったわけではなく、単に互いの話を、「よく聴く」ことを求めたかったのではないだろうか。アレントの政治観というと、熟議という言葉で理解されることもあるけど、熟議ということを言いたいのなら、きっとはっきりそう言っている気がする。議論で「収束」させたいわけでなく、互いを認め合う「コミュニケーション」そのものこそが「政治/politics」と言いたかったのではないだろうか(政治という言葉では、「祭り事で治める」という意味
面白いと思ったけど紹介していなかった記事: Op-Ed Columnist – The Tea Party Teens – NYTimes.com The public is not only shifting from left to right. Every single idea associated with the educated class has grown more unpopular over the past year. アメリカでは将来見通しが暗くなり、現政権そして政府一般への信頼が揺らいでいるが、さらには教育水準の高い層に関連付けられる考えが一様に支持を失っているようだ。 The educated class believes in global warming, so public skepticism about global warming is on th
学生じゃない人たちも、 学生みたいな通じやすさがあるというか。 たとえば、実業家でも学者でも なにかひとつのことを伝えようと思ったら、 すっと伝わってしまうような。 同質の人たちのコミュニケーションの速さ みたいなものをとても感じました。 フェイスブックがあの場所から はじまったのも、よくわかる。
2012/6/219:0 震災/原発事故後の「政治」 稲葉振一郎 ■高木仁三郎氏に感じた「違和感」 今回の東日本大震災は十分にひどい経験であった。いや、過去形にしてはならない。未だにそれは進行中である。 それは従来日本が経験したほとんどの自然災害と異なり、その被害が局地的にコミュニティを破壊するだけにとどまらず、複数のコミュニティに同時に襲い掛かり、かつそれらを結ぶネットワークをも寸断した。 正直言ってぼくはロジスティックス、物流というものを舐めていた。1個単位で商品の動向を把握するPOSが象徴する物流システムの洗練に、すっかり油断させられていた。日本を含めた先進国において、電子的なデータ通信ならともかく、ものの流通がこれほど深刻に滞り、人命を危機にさらすようなことが起こりうるとは、正直想像さえしていなかった。しかしもちろん忘れてはならないのは、東京電力、福島第一原子力発電所の致命的な事故
ロールズ (「現代思想の冒険者たち」Select) 作者:川本 隆史講談社Amazon 本書は、ロールズの主著である『正義論』を中心におき、『正義論』以前の著作から『正義論』を経て、その後の論争、そして『政治的リベラリズム』に至る一連の流れにおいて、その思想の変遷を著者自身の見方・思想を交えつつ論じるロールズ評伝である。 著者は、後に『正義論』で定式化される格差原理(社会的・経済的不平等は、それらの不平等が、最も不遇な立場にある人の期待便益を最大化するものでなければならない──生まれつきの才能の分配状態は社会全体の共有資産であり、その分配がもたらす便益を分かち合うことを求める原理)の源泉を、少年期における米国の政治運動の中にあった風潮や、自らの恵まれた環境という実感に結びつける。 彼の素朴な実感はのちになって、みずからの努力で勝ちえたのではない才能や親の資産のめぐりあわせを「道徳的な観点か
正義に適った資本主義 アレン・ウッドその他の見解 地主の市場参入 「賃金システムを廃止せよ」 自由に連合した生産者の社会 不平等 共産主義社会 ロールズ政治哲学史講義からマルクスに関するところをザクッと引用、意味不明の場合は現物にて。重たくなるのかと写真少なめ。つうかいらんか。 「賃金システムを廃止せよ」 「平等な権利とは、不平等な労働のための不平等な権利である」 ロールズ 政治哲学史講義 II 作者:ジョン・ロールズ発売日: 2011/09/23メディア: 単行本 正義に適った資本主義 マルクスは搾取を、市場の不完全性から、あるいは寡占的要素の存在から生じるものとみなしてはいません。(略)彼が白日のもとにさらしたいのは(略)資本主義秩序というものが、たとえそれが完全に競争的である場合でさえも、そしてその秩序に最も相応しい正義の構想を完全に満足する場合でさえも、それでもやはり、支配と搾取の
例によって病気になって数日寝込んでいたのと、ファイトバックの会の泥沼に足を踏み入れてしまったのと、地元ポートランドで怪しげな事態が進行中なのでそっちに関わっていたのと(これはいずれ書こう)、まぁいろいろあってしばらく報告が中断されてしまったのだけれど、いい加減自分の記憶が怪しくなりつつあるので北米社会哲学学会レポートを再開する。今回は、フェミニズム哲学によるリベラリズム批判の発表について。 まず取り上げるのは、ネヴァダ大学リノ校哲学部助教授の Hye-ryoung Kang によるジョン・ロールズ批判。よく知られているように、ロールズは主著たる『正義論』(っていま絶版なの?)において、「無知のヴェール」によって自分の属する民族や性別といった属性についての知識を持たない「原初状態」において、人々が自らの意志で合理的に同意するであろうとする正義の原理を打ち出した。その「原理」の具体的な内容につ
菅直人首相が、ようやく退陣の覚悟を決めた。「辞任」を示唆した覚書から2カ月ちょっと。思いつき、場当たり、利己主義者。そんな批判も非難もものかは、首相のいすに座り続けた。一体なにを考えているんだろうと思っていたら、菅首相の発想には、震災後の日本を作る新たな哲学が見えたという。それってホントですか。 ――ようやく退陣を決断しましたが、菅直人首相は評判が悪かったですね。 「はい。ただ、なぜ批判されていたのか、その理由ははっきりしないと感じていました。それに私は菅首相は評価すべき発想の持ち主であるとも考えているんです」 ――えっ? 場当たり的、思いつきだけの菅さんのどこを評価するのですか。 「確かに常識はずれだから有権者からみるとワケがわからないかもしれない。でも、場当たり的に見えて、その根っこには彼自身の思想がある。それは制度を大切にしようという思想です。今後の日本や民主主義を再構築していく上で
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