旧優生保護法下で不妊手術を強制された障害者らの記録に関する毎日新聞の全国調査で、強制手術を受けた人の約8割に当たる1万2879人の資料が確認できなくなっていることが判明した。「記録のない被害者」をどう特定し、救済につなげるか。
全国最多の2593人が不妊手術を強いられた北海道を拠点に、旧優生保護法(1948~96年)をめぐる問題を取材している。高校時代に初めて強制不妊の問題を知った私は、法制度化されていたとはいえ、人権侵害の施策を推進した人たちに悩みや葛藤がなかったのか知りたかった。だが、開示された公文書や証言から見えてきたのは、日常業務としてこなす加害意識のない行政関係者たちの姿だった。そして障害のある人たちの訴えを聞くうち、気付かないふりをしてきた自分の中の優生思想も突きつけられた。
旧優生保護法(1948~96年)に基づく障害者らへの強制不妊手術を巡り、宮崎県は27日夜、県文書センターなどで計37人の個人が特定できる3冊の資料が見つかったと発表した。資料には手術を受けさせられた25人と手術決定と判断された11人の氏名などが載っている。県内で個人が特定できる資料が確認されたのは初めて。うち2冊については、職員が独断で閲覧申請用の検索リストから削除していた。 県健康増進課によると、資料はセンターで2冊、センター移管前の文書を保管する書庫で1冊見つかった。センターにあった「公衆衛生(昭和30年度)」には手術実施の17人が、「優生保護審査会(昭和40年)」には手術実施の8人と手術決定の11人が載っている。書庫の「優生保護審査会(平成8年度)」には「優生手術被申請者調査票」に1人の記載があるが、申請されたかどうかは不明という。
旧優生保護法(1948~96年)に基づく障害者らへの強制不妊手術を巡り、北海道の道央地方に住む70代の男性が国に損害賠償を求め、札幌地裁に提訴する意向を固めたことが関係者への取材でわかった。代理人となる弁護士によると、他に数人の男女から提訴の相談を受けており、集団提訴も視野に入れている。男性は、1月末に仙台地裁に国賠訴訟を起こした60代女性や、同地裁に提訴する意向を固めた70代女性に続く3人目の原告となり、道内では初めて。 関係者によると、男性は20歳前後の時に精神科を受診した後、不妊手術を受けた。男性は「拒否できるような状況ではなかった」と話しているという。今後、手術の諾否を決めた道優生保護審査会や手術の関係書類を集める。
「もし手術を受けていたら、長男は生まれていなかった」。脳性まひの障害がある札幌市の小山内美智子さん(64)は、障害者への不妊手術を認めた旧優生保護法が施行中だった10代後半のころ、手術を受けさせられそうになった。同法の手術対象者に脳性まひは含まれず経緯は不明だが、当時の恐怖は忘れられない。 1970年代初めで養護学校に通っていた17歳か18歳のころ、母が小山内さんを入院させるため荷物をまとめ始めた。「私が死んだら、生理の始末大変でしょ。心配で死んでも死にきれない。(学校の他の母親も)みんな言っている。(あなたも)子宮を取ってもらおう」。母の言葉に驚き、必死の説得に心が揺らいだ。 でも「1000分の1の確率でも、誰かと結婚して子どもを産める可能性があるかもしれない」と考え「夢を捨ててしまうのは、やっぱりだめ」と思い直した。タクシーで病院へ向かう直前、道路にうずくまった。「手術はいつでもできる
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く