水風呂のすゝめ 毎日めちゃくちゃに暑い。 ここ数年「およげ!たいやきくん」のように昼間は太陽とオフィスビルとアスファルトの三方向から押し寄せる35℃オーバーの熱に挟まれ、夜になっても最低気温が27℃くらいまでしか下がらない。そんな理不尽な東京鍋の中の暮らしが毎年のことにな…
いしのなかにいる 小生、正教会の人ではありません。カテクメーネー*1、啓蒙者、西では求道者といったかな。信者ではない。もっとも歴史的には洗礼志願者は葬儀などでは信者に準ずる扱いを受けることもあるそうですが、準ずるということは、すなわち、信者ではないです。 誤解を呼ぶようなら、あんまりいろいろと書き散らさないほうがいいのかなあ。ちょっと悩む。 *1:κατηχουμηνη、現代語だとカティクミニ、のはずなんだがシナイ山の修道士さんは「カテクメーニー」といっていた、ように聞こえた。外国語って難しいよね。 こういう大衆のルサンチマンを刺激して吊り上げ、元々ネット以前から知り合いだった連中とそれを肴に酒飲む はてなも超人の割合が減ってきたなぁ - Automatons Hacking Guide それのどこが楽しいのか、よくわからないんだけど、ええっと、ていうか、それとてもつらい哀しい話にしか聞こ
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 ● p.217 (第39作「寅次郎物語」より) 満男 「人間は何のために生きてんのかな」 寅次郎 「難しいこと聞くな、お前は。何と言うかな、ほら、あー生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるだろう、そのために人間生きてんじゃねぇのか」 ● p.211 (第18作「寅次郎純情詩集」より) 綾 「人間はなぜ死ぬのでしょうねぇ」 寅次郎 「まぁこう人間がいつまでも生きていると、丘の上がね、人間ばっかりになっちゃう。で、うじゃうじゃ、うじゃうじゃ。面積が決まっているから。で、みんなでもって、こうやって満員になって押しくらマンジュウしているうちに、ほら足の置く場所がなくなっちゃって、で隅っこにいるやつが、お前どけよと言われて、あーなんて海の中へ、バシャンと落っこって、アッ
“現代の全体”をとらえる一番大きくて簡単な枠組―体は自覚なき肯定主義の時代に突入した 作者: 須原一秀出版社/メーカー: 新評論発売日: 2005/02/01メディア: 単行本購入: 8人 クリック: 175回この商品を含むブログ (12件) を見る 多分本書の読者は、楽しみながら読み進める人と、あちらこちら引っかかりながら不満と共に読み進める人に分かれると思います。理由は本書全体の構造のせいです。 本書は、現代を「混迷の時代」とか「閉塞状況」などという悲観的現代観がはびこり過ぎている状況を打開するために書かれたものです。したがって、「悲観的現代観」を完全に間違っていると主張しているわけではなく、それは確かに現代の一側面をとらえているとしても、世の中全体がそのような暗い見方一色になるのはあまりも不健全なので、もっと色々な現代観を持つ人々が競合して輩出する環境を作るための本です。 そのために
やねごんさんの、「自由」にかんするたいへんわかりやすい記事 http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20080706#p1 に かんれんする かしょを『図解雑学サルトル』(ナツメ社) 図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ) 作者: 永野潤出版社/メーカー: ナツメ社発売日: 2003/08メディア: 単行本購入: 6人 クリック: 145回この商品を含むブログ (44件) を見るから いんようしてみる。 ちょしゃの りょうかいのもとに漢字をへらして かきなおした。 ■(90ページ)自由と不安(1) ●がけの上のわたしには、「がけからおちる可能性(かのうせい)」がある サルトルは、にんげんの自由(じゆう)と不安(ふあん)のかんけいについて、つぎのような せつめいをする。 わたしが、たかい断崖絶壁(だんがいぜっぺき)に そった道をひとりで あるいているとしよ
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 日本国憲法は、価値相対主義を保障している(21条1項・表現の自由)。しかし、この価値相対主義は、法哲学的なパラドックスを抱えている。価値相対主義そのものは、価値絶対主義でなければならないからである。価値相対主義自身を価値相対主義だとしてしまえば、それは単に相対的な理論に過ぎず、価値相対主義を真理として保障することができなくなる。そうかと言って、価値相対主義そのものは価値絶対主義であるとしてしまえば、それは価値相対主義ではなくなってしまう。 哲学的に突き詰めれば、複数の価値が並列している価値相対主義は、ニヒリズムの恐怖そのものである。絶対的な真理が不明であれば、その絶望的な状態に恐れおののくしかない。相対的な真理にすぎないものを相対的であるとわかっていながら主張することは
媚びからの一連の流れを見ていて、なーんかモヤモヤした違和感があったんだけど。 ツィッターで何人か怒りまくっているみたいなんだけど、まじになっちゃってる人は余程行間が読めないのか、「芸」についての観念があまりにも自分とかけ離れているのか。別に喧嘩を売りたいわけでも嫌味言いたいわけでもなく、純粋に不思議に思った。 なんてね。 ともさんものがみんさんも、ツィッターでプロテクトかけて私から見えないところで愚痴愚痴言ってないで、直接「言いたいことを言」えばいいのに。 「言論の自由」を言うのであれば、こちらも言論のみを利用して話をしているんですから、正面から「言論」で反論してきたらいいのにね。まぁまた「話すだけ無駄だから」というコテコテの手法で自意識を守るのかな? まぁ私はガンガン気にせず言い続けますから、好きなだけ愚痴っててくださいね。自意識は大切ですから。頑張って守ってください。 で、ブックマーク
「中国語の部屋」というのは哲学者ジョン・サールが提起した思考実験。「意識」を議論する時によく出てきます。 ごく簡単に説明すると、 ある箱に、中国語を全く知らない人が入っている。 外の(中国語を解する)誰かがその箱の中に中国語の会話や質問の書いたカードを差し入れる。 中の人はカードに書いていることは全く分からないが、箱の中には例えば 「$¢£%#」と書いてきたら「☆★○◇▼」と返せ のような「受け答えマニュアル」が用意されていて、何か分からないがとにかくその通りに書いて外に返す。 すると、中の人は意味も内容も全く理解していないに関わらず、外の人は「箱」と完全な対話をしていることになる。 またこの話は人工知能の文脈で語られることも多いようです。完璧なデータベースを備えた人工知能との「会話」は本当の「会話」なのか?といった感じでしょうか。 では、私達人間はこの「箱」から本当に解放されているのでし
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 すべての学問は、トコトン掘り下げてゆくと、すべては哲学という地下水脈でつながっている。細分化した学問を統合し、ひとつ上のレベルでの知の統合を図るのであれば、それは「万学の女王」と呼ばれた哲学の復権しかあり得ない(p.33)。哲学をすべての学問の中心に据えるならば、それによって今日の課題や世界の成り立ち、歴史などの再構成をはかることも可能となってくる(p.179)。例えば、我が国では数年来にわたって少子高齢化問題が真剣に議論されているが、その割に問題が全く解決しないのは、物事を経済的な側面からしか考えていないからである。哲学的な思考によれば、問題はすでに解決している(p.135)。 なぜ哲学は「万学の女王」なのか。それは、哲学的思考とは、人間の外部である森羅万象を飽きずに
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 従来の業務上過失致死罪(最高刑は懲役5年)の特別法として、自動車運転過失致死罪(最高刑は懲役7年)が新設される契機となったのが、昨年の9月25日、埼玉県川口市で起きた大事故である。保育園児の列に乗用車が突っ込み、園児4人が死亡し、17人が負傷した。乗用車を運転していた伊澤英行被告については、当時の業務上過失致死の罪では最高となる懲役5年の刑がすでに確定している。遺族らは、事故の責任追及を終わらせたくないとして、現在も伊澤被告らに対しておよそ2億6000万円の損害賠償を求めている。 この事故の後に問題となったのが、危険運転致死罪の適用範囲の狭さであった。被告人は、40キロ以上のスピードで住宅街の細い道を走り、カセットテープを入れ替えるために脇見をし、41人もの人間の行列を
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
主観と客観は対立するものとして現前する。主観は、ある個人の頭の中に存在するもので、その個人を離れて外に飛び出すものではない。それに対して、客観と呼ばれるものは、個人との結びつきを断ち切って、個人とは独立に存在するものとして対象化される。だからこそ、個人の単なる思い込みではなく、誰もがそれを同じように対象として認識できるので、その属性を誰もが認めうるような一般性を獲得することが出来る。 個人の好き・嫌いに関する感情は、客観性をまったく持たない主観だけの範囲で語られてもかまわないものだ。好き・嫌いという感情は、そのこと自体が悪いというような価値判断は出来ない。その感情が生まれてくるのはある意味では仕方のないものとして受け止めなければならない。 例えば、ある芸術作品が自分の好みに合っているという、好きという感情は自分の主観である限りでは、誰も間違えるということはないだろう。この、好みの感情は、個
朝鮮日報で「石」が消えたことを報じる記事がありました。 米大学乱射:チョ容疑者追悼の場・手紙が消えた(朝鮮日報日本語版) バージニア工科大学の中央広場にあった、チョ・スンヒ容疑者を追悼するために設けられた場所が消えていたことが分かった。AFP通信が23日伝えた。何者かが撤去したものと思われる。 また、昨年卒業したローラ・スタンレーさんがチョ容疑者追悼の場の前に置いた手紙もなくなっていた。スタンレーさんは自分の書いた手紙が消えたことに対し不快感を示し、米日刊紙「リッチモンド・タイムズ・ディスパッチ」に「もしチャンスがあればきっと彼と友達になったはず。やはり彼には友達が必要だった」と語ったことを同通信は伝えている。 追悼の場は消えたが、その場所にあった他の手紙や花はそのまま残されていたという。以前から置いてあった哀悼の手紙以外にも、「わたしたちは君を許す。君は間違いなく何をしでかしたか分かって
【写真】「加害者も犠牲者も極楽往生」 韓国、中央日報の日本語版の(写真)記事です。 米バージニア工科大銃乱射事件の犠牲者のための33の灯りがソウル曹渓寺(チョゲサ)の大雄殿前にかけられた。灯りは死者の極楽往生を祈るもの。犠牲者らの名前と犯人チョ・スンヒ容疑者の名前も見える。 33個の石 関連記事(中央日報) 「私たちが先にスンヒに手を差し伸べていれば」 −−チョ・スンヒに手紙を書いた理由は。 2日前にもここへ来たが、特にスンヒの追慕石だけさびしそうだった。「スンヒも加害者と同時に犠牲者」という気がした。彼にも私たちのような魂がある。母にも相談したが同意してくれた。それで昨日、手紙を書いてここに置いた。今日来てみたら手紙や花がたくさん置かれていてうれしかった」 −−犯人の銃で死んだ人々と犯人をまったく同じように追慕することはいきすぎだという批判はないか。 「泥沼にはまって『助けてくれ』と叫ん
というニュース速報がありました。NHKでは急遽番組をニュースに変えて速報しています。 今日午後八時前、JR長崎駅前で長崎市の伊藤一長市長が男に拳銃で撃たれ、病院へ運ばれた模様。 撃たれた伊藤市長は呼びかけに答えなかったということで、容態が気にかかります。 撃った男はその場で警察などに取り押さえられ、パトカーに運び込まれました(7:50ごろ)。 伊藤市長は、任期満了に伴う長崎市長選(4月15日告示、22日投開票)で4期目に立候補したところでした。 取り押さえられた男は黙秘を続け、名前すら言わないとのこと。 伊藤市長は救急車に乗せられ、8時10分頃長崎大学医学部付属病院に搬入されたそうですが、現在意識不明の重態。 市役所幹部は病院に集まり、市職員も市役所に向かっているそうです。 市長を撃った男は、山口組水心会会長代行白尾哲彌(59)。市長は心配停止状態。 白尾容疑者は長崎市と自動車事故を巡って
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