メイド服を買った。
何着目だろうか、覚える気がない。
フリルエプロン単体も襟付きワンピースもごまんとある。いやちょっと盛った、たぶん合計30着くらい。
着ないの?とたまに言われるけど、解釈の違いがあるから着ることが出来ない。
私はJRでサクッと秋葉原に行ける距離に住んでいるから、メイドさんを鑑賞する機会に困ることはない。ビラ配りしている可愛らしいお姉さん、していいのか?と疑問を持ちながらスルーした客引きのお姉さん、メイドなのかチャイナなのかわからない魔改造フリル、自分の耳を号泣職員の如く被せてケモミミをつけているコンカフェのお姉さん。バリエーションに困ることもない。が、しかし、私の解釈とは違うのだ。
可能であればですね、若々しいお姉さんがフレッシュに場を盛り上げて萌え萌えさせるようなものではなくて、ある程度の貫禄があるマダムにメイド服を着てほしい。クラシカルメイドのメイドカフェもある?知っているし、秋葉原のそこはサポーターカードを2回はなくして再課金しているし、池袋の方の某所もポイントカードは4枚目だ。知っているのだが、クラシカルメイドのお姉さんだけでは足りない。
自分にはこだわりがあるし、なりたいメイド像がある。その為に紅茶が美味しいお店に憧れたから紅茶の淹れ方はある程度学んだ。お高い紅茶をわざわざイギリスやフランスから取り寄せたし、客単価が1500円くらいの高級カフェチェーンのキッチンで何年か働いてもみた。メイド服の質のいいものも家に山ほどある。それこそ2週間くらいは服を洗濯しなくても困らないくらいに。それでも、私は自分の理想のメイドになれない。足りないのだ、年齢が。
いやまあ、こんな時間におばちゃんみたいなメイドに対する憧れを語ったところで何の生産性もないし、それならまだ今から大学の課題をやった方がいい。知ってる。でも、私はいま、ロッテンマイヤーさんみたいな感じの威厳があるメイドさんがみたいしそれを伝えたい。
メイドさんのお召し物はあくまでもお召し物なのであって、着られてはいけない。顔や手のシワから表情から何から何まで、加齢による美しさもすべて持った上で、品よく仕立てられた襟付きの暗めのワンピースと、機能美が滲み出るエプロンドレスを着用してほしいし私もしたい。あくまでも服はその人を構成する一要素でしかないのだ。
かといって、今から皺くちゃの婆さんになりたいかときかれたら、勿論そんなこともない。マダム程度も厳しい。20代の学生でいる自分も嫌いではないし、綺麗にシワがついていける自信もないし、何より加齢による胃もたれで既に今後に怖気ついている。つまり、グダグダ言っているだけで何も出来ていないのだ。
今の私はもう、綺麗に歳を重ねてしゃんとしたメイドさんが目の前に降ってくるのを、高嶺の花子さんよろしくポエム吐きながら待つくらいしかできることはない。「貴女みたいな人をわたくしは主人として認めません」みたいなこと言いながら、いま私がいる汚部屋をちゃきちゃき片してほしいし、私を律してほしい。
地獄から見上げる蜘蛛の糸がどのようなものかはわからないが、すっかり冷めた湯船から壁にかかったタオルを眺めているような気持ちである。