2024-10-11

ポリコレが駄目になったのは、差別を書けなくなったか

個人的にはどちらかというとポリコレには賛成だったんだけど、最近は反対派の気持ちの方が分かるようになってきたんだよなー

最近ポリコレには差別がない、要はカタルシスがない

からまらないんだと思う

以前のポリコレ現実差別存在する(した)以上、フィクション作品においてマイノリティを出すならその差別を描くのが普通だったけれど

つのからかそういう表現が出来なくなった

例えば2017年アカデミー賞作品賞の「ムーンライト」は黒人ゲイの半生を描いた映画だけど

これに関してポリコレがーという叩きは全然見掛けなかったんだよ

主人公がそのマイノリティ性によって虐げられ苦悩する様子が丁寧に描かれて、設定が物語意味のあるものになっていたからだと思う

マッドマックス怒りのデスロードも、女性差別とそれに抗う様子が描かれ、設定が意味あるものになっていた

ところが最近はそういった差別のものを描けなくなってきた

例えば同性愛者の人物がその事で差別されたり思い悩んだりする描写があると作品自体差別的とされるので

異性愛と同じように扱われ、特に何の葛藤もなく幸せな話しか許されない

設定に意味を求める事はそれ自体差別であるとのレッテルを貼られる

物語中に差別がないとしても、それならばそれでそういう架空世界だとかの説明が欲しいものなんたが、あまりない

例えばディズニー最新作のウィッシュでは、中世ヨーロッパにおいて黒人アジア人障害者差別されない理想郷が築かれていたが、登場人物がそれを得難い事として感謝する様子はなく、ごく当たり前の事として享受していた

前の朝ドラの虎に翼でも、当時には珍しく女性法曹を目指す主人公侮辱虐待を受ける事はなく、もっぱら順風満帆キャリアを重ねていき、それが社会から受け入れられる

このように、最近ポリコレで描かれるのは、当たり前のように差別のない理想郷ばかりだ

そういえば先日完結した僕のヒーローアカデミアでも、悪役の博士現実731部隊が行った人体実験に関連した名前を付けていたところ海外からクレームを受けて名前を変更したという

あの辺からよくない兆しは見えていたな

悪を悪と描いて出す事すら許されなくなってしまった

  • この主張にはいくつかの矛盾点や注意点があります。 1. ポリコレの目的とカタルシスの混同: ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)は、差別や偏見の表現を避けて、マイノリティへ...

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