もちろん刃牙はリアルなのか問題というのはある。恐竜を食っていた原始人という意味不明のキャラクターが登場するし、雷が直撃しても死なない。しかし、戦闘描写は一貫して肉体と肉体であり、エネルギー弾とか超能力者とかサイボーグ犬とかは出てこない。あくまでも人間の肉体に備わる基本的な機能で勝敗は決している。
何者でもなかった少年が倒すべき目標を知り、修行し、数多のキャラクターたちと戦い、勝利する。
キャラクターの多くは実在の格闘家がモデルなので個性がつけやすく、読者に受け入れられやすい。
そして、結局主人公は最強になるもののイマイチ人気が出ないという点もオーソドックスな格闘マンガである。
最終的に最強になった主人公の戦闘シーンが「どうせ勝つんだろう」と思われて盛り上がらないのもこの手のマンガの宿痾だろう。
しかし刃牙は、「何となくつまらない人物になっていく」のが主人公だけではないのが特徴だ。
主人公の刃牙以外のキャラクターも、何となく魅力がなくなっていくのである。
そのキャラのポリシーに矛盾した行動をするとか、作者の思想に引っ張られてキャラが変貌するとか、そういうことが頻繁に起こる。
最近だとオリバがそうだろう。
無双の肉体を持ち、単純な力で全ての技をねじ伏せるというファイトスタイルでありながら知性派でもあるという、まさにアメリカを体現したキャラクターで非常に人気が高かったのだが、最新シリーズでは完全に噛ませ犬になってしまった。今現在もリタイアしたまんまである。
このように、刃牙にはその時の展開の都合で魅力的なキャラクターがあっさり魅力を失うという展開が非常に多い。
それらの展開によって熱心なファンから激烈なアンチに転向する人が多いのも本作の特徴だ。まさかスピンオフの烈海王でもやらかすとは思わなかったが。
ストイックに武を求めるキャラなのかなと思っていたのに、突然「喧嘩商売」の十兵衛みたいな「勝つためには何してもいい」みたいな行動をとるなどがしょっちゅう起こる。
「格闘マンガである」と思って読むと、フラストレーションがたまる構造になっているのだ。
タイトルに書いたように、刃牙はリアリティショーだからだ。格闘マンガではないのだ。
格闘系リアリティショーをマンガにしている作品が刃牙なのである。
リアリティショーというのはフジテレビの「テラスハウス」で有名になったジャンルではあるけれども、古くは「あいのり」などのように一般人を集めてその行動を観察することを楽しむジャンルだ。
リアリティショーの作りというのは、
・目的達成のために時に協力し、時に蹴落とす、むきだしの人間模様を描く
・演出の都合上、やたら醜悪に設定され視聴者のヘイトを一身に集める人物が出てくる
・話が進むと、醜悪な人物が改心したり、新たなヘイト役が出てきたりする
・人気のないキャラは退場する
・ショーの最中、出演者のインタビュー映像が入る(この時何を思っていたのか、など)
演出の都合によりキャラが歪むというのはリアリティショーでは極めて普通だ。
それが原因で自殺者が出てしまったりするのが大問題なのだが、漫画なら自殺するキャラは出てこない。安心である。
あんなに魅力的だったキャラが一転して下衆になったり、また突然元の性格に戻ったりするのもリアリティショーあるあるだ。
リアリティショーに慣れてくると「あぁ、今はこのキャラがヘイト役でみんなをかき回すんだな」とわかるようになる。そのキャラには罪はなく、展開の都合で演じているだけだ。
刃牙も独歩も克己もオリバもジャックも本部もアライJr.も、リアリティショーの登場人物なのだ。
しょっぱい役割を引き受けることもある。
それらを演出するのは作者の板垣恵介であり、作者の分身である範馬勇次郎である。
勇次郎はリアリティショーのジャッジ役であり、司会である。方向性を決め、価値観を定め、時に自らショーに参加して圧倒的な権力をふるう。
キャラクターの優遇不遇に一喜一憂するのが正しい楽しみ方で、「あぁ、今はこのキャラがワリを食う展開なんだな」などと冷めた目線で見てはいけない。
『喧嘩商売&喧嘩稼業』はしょっちゅう休んでるイメージあってあんまり... 格闘マンガなら『愛気&愛気S』がいちばん好きだったなー(子供には読ませたくないので買って帰ることはな...