上位の肯定的レビュー
5つ星のうち5.0■日本映画の最高傑作【原点にして頂点】
2024年5月8日に日本でレビュー済み
最高
これに尽きます
私は映画館で計3回鑑賞しました
通常版⇒2回(万人向け)
モノクロ版⇒1回(玄人向け)
この映画ジャンルを例えるなら、
SF(サイエンス・フィクション)
アクション、ドラマ、ミリタリー、ホラー
ゴジラ マイナスワンの劇場公開は、2023年11月3日で、文化の日(祝日)
つまりは、初代ゴジラ(西暦1954年)の公開日と同じで、
日本国で何事にもに文化され始めた記念すべき日に、
公開日を合わせてきたことにもリスペクトを感じます
個人的感想になりますが、
物語としてかなり面白かったです
特に新鮮さがありました
この映画を鑑賞するにあたり、
ひとつハードルがあるとすれば、
人生経験と感受性(想像力)があるかを問われます
(一部のお子様には不向きかもしれません)
●この映画は先入観なしで観たほうが楽しめます
私は、ほぼ予備知識を入れずに鑑賞しました
(映画を観る礼儀みたいなもの)
ある程度の予備知識があると、より楽しめる事もありますが、全く知識が無くとも十分に楽しめます
この映画を一言で語るなら、
『生きてゆく』ための模範
それを丁寧に描いた作品
マニア向けを装いながら、
実は万人受け(大衆受け)する作品
見る者に感情を揺さぶる映画
これ一点に集約されます
●怪獣の定義
人(ココロからハミ出した感情)が生み出した産物(擬人化)
(だから見た目で、どこか人型である必要がある)
当初(初代ゴジラ)、着ぐるみだった理由はこれです
この基本を具現化したのがゴジラ(呉爾羅)
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戦中(WW2)⇒終戦直後を描いた物語
戦争で生き残った人々が、各々その戦争の産物(ゴジラ)で負った傷痕を抱えながら、この世界でどう生き抜いてゆくのか?
その背景を抱えながらキャスト陣によるドラマの連続で、目を外らす暇が無いため、必然的に釘付けになります
本作は、東宝ゴジラ70周年の作品になりますが、
日本映画作品として恥じない、むしろ、国民として世界に誇るべきアイデンティティーの塊を感じる作品であったように思えます
※東宝ゴジラの記念碑てき作品
界隈では物語と作品プロットが良いとも高評価されてますが、その他にも、役者さん(キャラクター)の演技、常時バックボーンで流れる人物背景、人間ドラマの連続、背景に流れるBGMとSE、
特に初代ゴジラで生まれた伊福部 昭さん作のテーマ曲、これらの全演出が最高です
初代映画のゴジラ(元祖の怪獣)が生まれた原因や要因が、
ココロにスッと入ってくる物語になってるため、万人にも受入れ易い映画になってます
神が信じられない現代社会において、物語のカタルシスは相当のものです
オスカー、アカデミー賞(視覚効果賞)※米国
を獲ったのは偶然でも紛れでもありません
映画館で観る迫力には叶わないと想われますが、未視聴の方は物語だけでも見る価値があります(体感型:劇場では、特に音響⇒内臓が音だけの振動で震えます、これマジです)
映画館(劇場)で観た時は、
あっと言う間に2時間が過ぎてました
夢見心地とはこのことです
(極上の映画体験ができました)
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▼総合評価
★★★★★★★/★★★★★ ←←←
(この物語はマイナス要素を加味しても、星5を振りきります)
これは【Success story】
誰も、これまで超えられなかった、
限界突破した物語の評価です
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▼▼▼ ここからネタバレ ▼▼▼
■戦中
◎大戸島(西暦1945年)
敷島 浩一(特攻隊の生残り)※逃亡
橘 宗作(整備兵)
⇒零戦の故障を装い不時着した敷島だったが、整備兵の橘にその嘘がバレてしまう
⇒しかし、整備兵の1人から、『この戦争の結果は、とうに見えてる』と、敷島は背中越しに細やかな救いの助言を貰う
↑ここがかなり重要で、この映画の物語本筋の導入になってます
直後、敷島は、海岸の波打際に深海魚の死骸が大量に浮かんでるのを目視する
⇒その夜、呉爾羅、現る
島に上陸した呉爾羅は、整備兵のサーチライトに反応
いったん、防空壕に隠れた整備兵たちだったが、橘の指示で、敷島に零戦の機銃(20㍉)で呉爾羅を撃ってくれと強く頼まれる
拒んだ敷島だったが、仕方なく零戦に搭乗し待機
目の前に来た呉爾羅の頭部だったが、そのまま撃てず、またもや逃げる敷島だった
その結果、整備兵の1人が痺れをきらせ、呉爾羅に銃で発砲してしまい、それをきっかけに呉爾羅が人に襲いかかり、敷島と橘の2人だけを残し皆死亡
来る朝
橘は、死体を引きずり回収する
気絶から目覚めた敷島はそれを目視
橘『お前が撃たなかったからだ!』
と敷島に全責任を押しつける
↑あの状況での橘の気持ちはよく解る(錯乱した整備兵たちの気持ちも)しかし、撃たなければ呉爾羅の反撃は無かったはず
撃たなければ死ぬことは無かった(只管、逃げるべきであった)
この映画の物語の、すべての根幹がここにあって、『攻撃しなければ反撃される事は無い』
資源の無かった日本国において、侵略戦争であった『第二次世界大戦の写し鏡』になってる
目の前に現れた恐怖にどう立ち向うのか?この映画作品は一貫してそのテーマに向き合ってます
■終戦後
⇒本土帰国の船上(兵隊収容)で橘は敷島に無理やり何かを渡す
◎東京(空襲後の焼野原)(西暦1945年12月)
ここで敷島は自宅に帰るも、近所の住民だった澄子と再会
澄子は、特攻から帰るはずが無かった敷島を見て、『この恥知らず!』と罵声を浴びせる
↑軍人であった敷島の境遇を知る澄子
軍人は『国のために命を捧げる事が名誉』とされていた時代において、日本国は敗戦となり、自分の子供も亡くした澄子にとって、その重みは当然の声に他ならない(澄子だけではない筈)
その後、
⇒闇市のバラック(敷島)
典子(戦中の生残り)
明子(孤児の赤ちゃん)
と出会い、成行きで同棲する
↑この時代背景において、
生きてゆく事がかなり過酷であり、それは作品本編で詳細に描かれます
その後、
⇒仕事探し(敷島)
艇長
学者
小僧
と出会う
↑元航空兵だった敷島は、復員省の紹介により、大戦中に海にまかれた機雷撤去の仕事を受ける
この仕事は、命の危険性がある為、高額の支度金がでるとの事を敷島は典子に告げる
やっと帰ってきた敷島を心配し、強めの会話を交わすも、必ず死ぬわけでは無いし、3人で生きていくためには仕方がない事を典子に説得する
⇒新生丸と海新丸(木造船)
敷島が搭乗する新生丸
そこには艇長、学者、小僧(呼名)から向かい入れられ海に出る
↑ここから敷島の前向きに生きる術を見つける旅になる
※敷島と典子のドラマは見応えはあるが敬称略
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●ビキニ環礁 クロスロード作戦(西暦1946年7月)
今作、最初は原爆(核実験)で、戦中使用されていた大量の戦艦(不要となった)などを一気に破壊し沈没させる旨の内容(想像)
それに巻き込まれた、呉爾羅がゴジラへと変貌を遂げた
ゴジラが、ケロイド状の表皮をしてるのはその為(幾度となく、焼き爛れた結果)
その経緯で、米軍の艦が襲われゴジラは日本国本土に上陸することになる
ゴジラは、日本国にて約200万年前から伝承として伝えられてきた
『そのようなモノがいると』
恐竜のような生き物として、大昔から世代から世代へと
解りやすく云えば『祟り神』
※人のココロにある感情とも云える何か
日本は、無防備状態
米軍は、ソビエト連邦(現ロシア)との世界情勢を懸念し、軍事行動は行えない状況(現代にまで長く続いてきた『冷戦』の正体がこれです)
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●右翼と左翼の定義
右翼は公的(取決めのある考え、法律など)
ビッグデータ(AIや機械)のようなモノ
※またはそれを養護する考え
(データである為、誰も動かせない)
左翼は民事的な考え
※またはそれを養護する考え
双方のバランスで社会秩序が保たれている
※国民の大多数が左翼に当たります
結果論ではありますが、そのような観点から、今作のキャスティングは正解でした(勿論、好き嫌いはありますが)
砕けた性格から本音が溢れるなど、物語に必要とされた全てのキャスト陣だったと想われます
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●時は流れ、、(西暦1947年3月)
仕事に慣れてきた敷島が自宅に帰宅したところ、典子の身なりに驚く
典子『似合う?私、銀座の事務で仕事始めたの』
敷島『金なら充分渡してあるはずでしょ』
典子『いい加減、自立したいなと思ってたんです』
『このままじゃ、浩さん、お嫁さんも貰えやしないし』
『知ってます?銀座もどんどん復興してるんですよ』
↑ここかなり上手いと思った
典子が話の筋を、少しズラそうとしたセリフを咬ます
少し話を流されたそれに対し、
敷島『急ですね、、』(本筋に戻す敷島)
典子『ずっと考えてたんです』
※このドラマの素晴らしいのは、こい云った空気感を醸し出すところ(互いの複雑に思いやる心情が垣間見れる)
呆然自失の敷島は思い出したかのように、
敷島『明子は、明子はどうするんですか』
典子『仕事中は、澄子さんが面倒みてくれるって』
典子『澄子さん、張り切ってるんです』
『私も3人育てたことあるんだからって』
敷島『それならいいんですが、、』(良いわけない筈)
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●小笠原諸島近海(西暦1947年5月)
⇒新生丸と海進丸
艇長、学者、小僧、敷島らは、
機雷撤去の実績を上げた最中、
お国より『重巡高雄が到着するまで、未確認生物の足止めとして囮になれ』なる旨の仕事依頼が
その海域で発見したのは、
まるで挫傷したかように船体が傾き、
見るも無残な戦艦の残骸
憶測を語るが想像までにしか過ぎず、
敷島『呉爾羅、、』
海面には、大戸島で見た深海魚の死骸が大量に浮かんでいるのを発見
ここで、敷島は元特攻兵であったことを告げる
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既にお気づきだとは想うが、
これ以降、『何年表記テロップ』は無くなる
つまり、ここまでは史実に基づきのフィクションであった
※これ重要です
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●新生丸と海進丸
ここ、映画のなかで一番に面白かった、物語に没入したパート
ここまで海に近くまで寄った、逃亡からのバトルは見たことがありませんでした(我が人生において)
※類似作:ジョーズ、インディージョーンズ魔宮の伝説、激突など
⇒海進丸
乗組員『化け物退治の手柄はこっちがもらうぞ』(名言)
⇒新生丸
艇長『誰かが貧乏くじ引かなきゃならねぇんだよ』(名言)
艇長『こりぁ、いくらなんでも無理だ』
艇長『学者!エンジン!』
学者『今、やってます!!』
↑ここ大好きです
緊迫感を漂わせるBGM演出と共に最高
回収した機雷(2機)を放つが、敷島の機銃攻撃にてゴジラの口の中を粉砕するも、ゴジラの再生能力により、見る見る元通りに治ってしまい、敵わない相手だと知ることになる
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●高雄(重巡洋艦)
絶対絶命の窮地に立たされた新生丸だったが、高雄の主砲(連射)をくらいゴジラは怯むも、高雄の艦橋を狙い撃ちされ、指揮系統が無いため終わった状況下、主砲の単独射撃にてゼロ距離砲撃をゴジラに喰らわす
海に沈んだゴジラだったが、海底より青白い奇妙な光を目視する
一瞬で、熱戦が海底から空に、一直線の光を描き、高雄は大爆発(高雄撃沈)
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●ゴジラ銀座襲撃
逃げ惑う人々
そんな中、仕事帰り?の電車に乗った典子がゴジラに襲われる
電車を食わえられ、危機一髪の典子だったが勇気をふり絞り河へ飛込む
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●銀座でのマスメディア
『信じられない光景が広がっております』
『俄には信じられないような巨大な生物、怪物が銀座を蹂躙しております!』
『今、正に日劇が破壊されております!』
『皆様の思い出とともに、あの日劇が!あの日本劇場が!今、目の前で崩れ去っていきます!』
『何ということでしょう!先の大戦で大空襲も乗り越えた銀座の街が、脆くも瓦礫の山と化していきます!』
『あ!なんと!』
『怪物が、こちらに近づいてまいりました!』
『正に、我々の目の前を巨大な怪物の顔が、通過しようとしております!』
『ここも、大変、危険になってまいりました!』←いいから、速く逃げろよ
↑淡々とゴジラ実況するアナウンサーとクルー
『プロ魂の常識を超越した仕事ぶり』と聞こえは良いですが真似してはいけません(現代社会においては)
初代ゴジラのオマージュですが、
これは命を粗末にした結果の惨事です
このフリも確り映画全体のカタルシスにも成ってます
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⇒典子は、迫りくるゴジラに1度は諦めかけたが、そこへ敷島が手を差し伸べる『死んではダメだ!』
⇒国会議事堂前よりゴジラを砲撃(四式中戦車)
※勿論、そんなものはゴジラには効かない
逃げ惑う人々の中、逃げる2人だったがその時、
ゴジラの尾から奇妙な青白い光が徐々に増えてゆく(愕然とする人々)
敷島『あの時と同じだ、、』
⇒ゴジラの放射熱線(銀座より)
それは眼の前で放たれた
それは核爆発を想わせる威力で、
正に戦争の産物の再来であった
(銀座⇒国会議事堂へ放たれた放射熱線)
典子は瞬時に危機を感じ、敷島のみを建物の間に突き飛ばし、典子本人は爆風で吹き飛ばされる
⇒銀座は大崩壊
一命を取り留めた敷島だったが、
周囲には何もなく、ゴジラの咆哮のみが響きわたる
⇒敷島の雄叫び
ゴジラから放たれた核爆発によって空が茸雲に覆われた結果、『黒い雨』が降り出す
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●典子の葬儀
遺体は見つからなかったと予想されるが、葬式は行われた
澄子『お母ちゃんね、ちょっと遠くにお仕事に行ったんよ』と明子に説明する
そんな中、明子の泣声に居た堪れず、席を外す敷島
学者『敷さん、秘密裏にゴジラを駆除する作戦が進行中です、民間主導の誠に心許無いものですが、、』
『参加しますか?』
※敷島の覚悟が動き出す
●敷島と典子は、あの時、やってたか、やってないのか問題
結論から申しますと、やってます
翌朝、敷島の安堵の表情と、典子と明子の至福の時間、敷島『もう、終わりにしていいですか、もう一度、生きてみたいんです』
この経緯から、敷島の憎悪から察した結論になります(想像)
※できちゃったかどうかは別問題
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●作戦会議(民間主導)
敷島、艇長、学者、小僧、元海軍の面々を招集し、学者による作戦をプレゼン
⇒学者のハウリング
豆知識:メガネの金属に反応した
※これは、磁気式機雷の伏線としての種明かし
プレゼン内容(海神作戦)は、ゴジラを、一気に海底に沈め、水圧で倒す内容(高雄の主砲でも効かなかった為、それしか術が無い)
●海神(ワダツミ)作戦の詳細
駆逐艦二隻にワイヤーでフロンガスのボンベを多数装着させ、それをゴジラに巻きつけ、一気に海底1500mまで沈め、水圧で倒す作戦
予備作戦として、深海から海面まで一気に浮上させ、水圧差でゴジラの体内異常を促す旨の内容
豆知識:かなり昔になりますが、旭化成CMより、金属殻の卵を一気に冷却、その後、一気に加熱で金属表皮にヒビが入る(この熱の落差を利用した類似作戦)
学者『海の力でゴジラを殺す』
『これが海神作戦の概要です』
敷島は、それで絶対ゴジラを倒せるのかを学者に問うた
学者『絶対とは云えない』
元兵隊の1人が重い口を開く
『俺には家族がいる、ここにいる奴らの殆どがそうだ』
艦長『これは命令ではありません、事情のある者は帰ってもらって構わない』
少人数ではあるが去ってゆく者が現れた
残った面々の1人『これって絶対死ぬってわけじゃ無いですよね』
『じゃあ、戦時中より随分マシだ』とブラックジョーク混じりのセリフ
『艦を動かせるのは俺たちしか出来ねぇわけだし』
↑ここは中々、複雑な心境になる
戦時中も同じ動向であったのではないのかと(似て非なるもの)
余談:リアルな話、戦時中は、『赤紙』と云うものがあり、自宅に投函される(それは招集礼状で、個々の意思とは関係なく戦場に向かわねばならない過酷な時代背景があった)
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●敷島が橘を探した理由
震電(戦闘機)に爆弾を搭載してもらうため
※敷島や橘同様、当時、戦争を終わらせてない人々が沢山いた
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●作戦遂行の進捗(共有)
学者『今日は、可能な限り自宅に帰り、家族と過ごしてください』
『覚悟しろって事ですよね』
首を大きく降る学者は語った
『この国は命を粗末にし過ぎてきました』
今回の戦いは、戦時中とは違い
『死ぬ為の戦いでは無い、未来を生きるための戦いである』ことを告げる
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●この映画は名言のオンパレード
もはや、語るまでもない
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●ゴジラの立泳ぎについて
映像から察するに、物理法則としては有り得ない絵面(敷島の戦闘機を襲うためにジャンプまでしてる)
※確実に脚が海底についている見た目になってる
①ゴジラは海溝部の外側に脚をつけ、辛うじて立ててる状態
脚を踏み外したら穴(海溝)に落ちる説
②尻尾の長さを利用し立泳ぎしてる説
③見ているゴジラは幻影説(亡霊)
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●何故、日本国(首都圏の東京)が襲われたのか?
ゴジラ(戦争)と云う名の原罪に対し恨みをかった(ゴジラは祟り神)
(その為、町並みだけでなく人も道連れに)
ゴジラは、当時の核実験により、ゴジラ細胞がエラーに継ぐエラーにより、度重なる進化を遂げ、死ねない細胞に豹変してしまった(ある意味、呉爾羅は被害者)
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※これ以降、本編にてお楽しみに
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以下、詳細は省きますが、
家族や仲間との出会いと別れ、人間の群像劇の怒涛のドラマ展開
終戦直後からを丁寧に描いており、どうしてゴジラ(呉爾羅)が現れたのか?までをも想像に想像を膨らませられる作品になってます(時間の余白で想像させる演出)
ゴジラは戦争が齎した産物であり、放射性物質が原動力になってる事実
それら全てに抗うのが、この映画作品の大きなテーマになってます
①赤ん坊(アキコ)を託された典子
②その境遇を見過ごす事が出来なかった敷島
③WW2の戦時中、特攻から逃げた敷島
その傷を抱えながら、ヒトリの男として、戦争のケジメとして終わらせる物語(アクションと、その群像劇は秀逸です)
個人的には、子役のアキコ(明子)ちゃんに、助演女優賞をあげたい
この子がこの作品において『希望の原点』だからです
機銃、駆逐艦、戦闘機、その他の重機などのミリタリーマニアにも興味のわく作品でもあったのかと
世界要素が詰め込まれた作品なので、見る人を選ばない内容
この映画の結末としては、ゴジラ細胞が死ぬことは無いことから察するに、確かに、再びゴジラが出現する可能性はある
ですが、再びゴジラを生むかどうかは、『これからの人間次第』と云うメッセージであったのだろうと想像できます
つまり、この映画一本で、物語としては完結してるわけです
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▼最後に
以下、究極のネタバレに通じますが、
大戸島の伝承である呉爾羅(ゴジラ)は、大元の『大戸島』すら実在しないフィクションであることから、作中にある敷島の台詞『これは、屍が見てる夢なのではないか』は、強ち嘘では無いと想われます
戦中、亡くなった特攻隊たちが見ている夢が描かれていると考えると、もはや、この作品ジャンルはホラーとなり、物語全体が、誰かが見ている夢である事が解ります
敷島の台詞『もう、終わりにして良いですか』
『もう一度、生きてみたいんです』
ここの解釈は解りましたか?
超究極のネタバレですが、
実は、敷島は神風特攻で亡くなっています(想像)
彼が見てる夢と考えると、全てに辻褄が合います
戦中、特攻する事で『生きた証』となり、ある意味、人ひとりの人生において死に場所を見つける旅でもあった
その背景が想像できたなら、この物語が更に感慨深いものになります
【追記】
そして、以下、推察も含みますが、
●ゴジラが何故現れたのか、何故ゴジラを鎮める必要があるのか?
『原罪への罪滅ぼし』が基本にあります(ゴジラを生んでしまった原罪)
●何故、最後に皆が敬礼をしたのか?
日本人としての誇り、『敬意を示した』のだと想われます
もう、兵隊ではない人々が、戦った相手を敬う、日本人には昔ながらの武士道精神がココロにあって、不意に無意識として出てしまったのであろうかと
と、ずっと信じていましたが、
これは、敷島とゴジラへの敬礼だったのだと思い始めました
『その神VS神の戦いに敬意を示した』
※今では、これしか考えられません
『涙なしでは見れなかった』理由が解明されました
●初代ゴジラ
放射線への警鐘(メタファー)
原爆や水爆により被爆の危険性を現した虚像(怪獣)
これらの事により、『戦争が生みだした物語』と云っても過言ではありません
『これが元祖のゴジラ映画』
現代のマスターピースとなるに相応しい作品です
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●海神(ワダツミ)作戦
もう、語ることはありません、最高
⇒艦長『海神作戦を開始する!』
伊福部 昭さん作のテーマ曲(名曲)
♪デデデン デデデン デデデデ デデデデデン
ゴジラで有名なテーマ曲を、人類側の覚悟を示した時に使用した意図が胸熱
(ゴジラに対抗するには、ゴジラに成るしかない覚悟が込められている)
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●局地戦闘機 震電
このエピソードは秀逸です
日本国の戦時中、東京が大空襲により焼け野原になったのは、焼夷弾による航空爆撃によるもの
日本は、戦中、その対策をしていた事実があったという事です
試作機が3機あった中、その1機が終戦のドサクサで眠っていた
この戦闘機は、実戦配備される事はなく終戦を迎えてしまった
※詳細はググるべし(ロマンを感じます)
艇長『敷島ぁ!明子をひとりぼっちにしたら許さねぇからな!』
『聞いてんのかぁ!敷島ぁぁ!』
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●フロンガスのボンベ
戦艦大和の形見(46㌢砲弾)を重石(重り)にしてる拘り
作戦準備中、『46㌢砲弾、準備ヨシ!』がありました
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●海神作戦の信憑性
フロンガスの泡でゴジラを沈める審議ですが『原理としては可能』です
※条件として、泡の勢いと量、対象物に限りなく寄せる必要アリ
⇒プランA
海面より海底1500㍍まで、23秒間で一気に落下するイメージ
(実現すれば相当の大ダメージ、空中1500㍍から地上に落下するイメージ+α)
⇒プランB
海底1500㍍から一気に海面まで浮上させる
(界隈では深海の水圧ではフロンガスは気化しないとありますが、そこは超科学のSFと割り切りましょう)
余談⇒デンジロウ先生が検証したそうですが、厳密にはそうでないところも見受けられました
(映画本編の、会議のプレゼン検証内容が創り物である)
余談⇒かの有名な『バック・トゥ・ザ・フューチャー 』でのお話ですが、ドグが『反重力の原理』を用い、映像に反映されてます
(超伝導体⇒電気抵抗ゼロ⇒絶対零度-196℃)で、浮くスケボー等が実現可能
デロリアンのエンジン部からドライアイスの気体が確認出来ます
これと同じように、マイゴジの海神作戦も原理は正しいという事になります
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●海に駆けつけた小僧(水島)
艇長の云いつけを厳密に守った(この国の未来を守る)
結果はどうあれ、その行動には厳然たる魂がありました、最高
実は、小僧(水島)が、作戦会議で去って行った面々を呼び戻した説が浮上してます
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●ゴジラが上がってきた、とて
⇒深度803㍍から再び浮上するゴジラ
海神作戦の予定では、一気に浮上させる予定であった
艇長『上がってこーい、上がってこぉぉぉーい!!』
水島『上がれ、上がれ!』と万が一つの希望にかけ、願うだけのこのシーン
もしかすると、この映画の中で一番の感動したシーンだった
それは、願い叶わなくとも、やれることはやった、という、
悔いを残さない、残したくない、
ただそれだけの、『達成感を得るためだけの行動』
何故か、胸をうつ
結果はどうあれ、人の生き様の心意気として、
『ただ、それだけでもいいじゃないか』と私は思った
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●海面に浮上したゴジラ
学者『ダメージが足りてない、、』
↑ダメージは、かなり入ってます
ゴジラのケロイド状(細胞)の隙間から、体内異常(白い内臓らしきもの)が表皮に現れ、
しかも、その中には青白い細かな粒子が散見できます
そんな状態でもゴジラは、最後の一撃(放射熱線)を吐き出すため、全ての怒りを人類に向けた
(この時、ゴジラの叫びが鑑みられる)
もう、終わりだ
16秒間の無音の時が流れる(精神時間)
そこへ、
震電のエンジン音のみが近づいてくる
艇長『ダメだ、、敷島ぁぁぁー!!』
艇長は察する
元特攻兵だった敷島の無念の思いを
ゴジラだけに対峙し、
目もくれず向かってゆく敷島の目には、
▼インサートカット(敷島の葛藤)
⇒典子の写真(白黒)
⇒典子との思い出
(典子『生き残った人は、きちんと生きてゆくべきです』)
↑涙なしでは見れませんでした
敷島は典子の思いを受継いだ
(典子は報われ成就される)
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●脱出装置を搭載した震電
これは、橘が設置したものなのか(震電に込められた未来だとすると胸熱)
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●橘と敷島の行動(おさらい)
⇒大戸島
①橘『逃げろ!』⇒防空壕へ
②橘『戦闘機の20㍉(弾丸)を射てるのはあなたしかいない⇒敷島』
③整備兵が錯乱しゴジラを発泡(釣られたように多手続きに発砲)
④橘『やめろ!射つな!!』
つまり、橘は、20㍉(弾丸)で呉爾羅を倒せるとふんでいた
※射っていれば敷島は死んでいた(予想)
結果論ではあるが、呉爾羅を発砲した事により反撃をくらった
※ここで橘から敷島への因縁が発生
⑤橘『お前が射たなかったからだ!⇒敷島』
※橘の戦争も終わってない状況
橘⇒敷島に亡くなった者たちの写真(私物)を強引に渡す
※ある意味、責任の押しつけ
⇒その後、
敷島は戦闘機(震電)の補修を行うため、橘を強く推薦
(震電に爆弾を搭載してもらうため)
※特攻を想わせる爆弾搭載は、橘にしか出来ない
敷島⇒橘を探すため役場(役所)を訪ねる
強引ではあるが、手当たり次第に手紙を送りつける
(その内容は、⑤の因縁を消化させる敷島の労い)
⇒敷島『あなたの戦争も終わってないですよね、、』
橘は敷島を殺すまでに恨みを持ってる筈で、敷島の特攻は、橘の希望でもある筈だろ?の問いかけでもある
⇒覚悟を決めた敷島
敷島は橘に、手渡された写真と明子の絵を見せる
敷島『ゴジラは刺し違えても必ず仕留めます』
橘『ようやく、覚悟が出来たようだな』
橘は、大事な爆弾の取扱いを説明をする
橘『そして、、』
⇒その応えが、震電(戦闘機)の脱出装置
予想ではあるが、試作機には最初から脱出装置が搭載されてた
その魂を汲取り、橘は受継いだのだと想われる(動作確認のロジックは出来る限り確認した)
橘(自分)の戦争を終わらせるため
ひいては、この戦いと、敷島との因縁を終わらせるため
『生きろ』
橘は、敷島に2つの選択肢を与えていた
特攻か、このまま生きのびるのかを
ーーーーーーーーーーーーーー
●決意した敷島の心境と葛藤
1度は特攻(死)を覚悟した敷島だったが、典子の『生き残った人は、きちんと生きてゆくべきです』
を守った事により、典子は成就された
※ここ重要です
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●ラスト、典子の首筋に浮かび上がってきた模様
①放射線からの被爆の象徴
②G細胞(ゴジラ細胞)からの侵蝕
登場人物の全てにその可能性がある
ゴジラの身体全体から放射線を巻き散らせてる為(近くに居るだけで被爆は必至)
つまり、登場人物のすべてが死ねない身体になってる可能性
結果、登場人物の全ての人は、『人々のココロの中で生き続けている』という夢であったのがオチなのかと推察しました
●ラストの典子が生きていた理由
これは夢である事を解らせるために、
ブチ込まれた一連のシーンだったのかと
『生きて、抗え』
かなり恐ろしくもあり、
希望に満ち溢れたキャッチになってます
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●ラストの台詞
典子『浩さんの戦争は終わりましたか』
英語字幕では『あなたの〜』だった事が判明(かなり感慨深い)
これだけは、どうしても云いたくて、
これは典子の問いかけでもあり、
『ゴジラの代弁を忍ばせたのではないか説』を唱えます
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●アキコ(明子)ちゃん
敷島と典子が出会った時は推定ゼロ歳(演技なし)
その後、推定2歳(演技が付けられてる)
アキコ『おとうちゃん、、』
敷島『アキコ、云ったろ?』
『俺はお父ちゃんじゃないぞ』
※その後の因縁が気になりはする
この映画の善いところは、アキコの存在にある(ある意味、ゴジラかも知れない)
種が撒かれたこの時代(大昔から)において、
始まった物語は終わらないのかも知れない
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●ゴジラ マイナスワンの意味
公式では、
①初代ゴジラの前の時代設定
②焦土と化した日本をゼロから更にマイナス(負)に叩き落とすことから
ゴジラ生誕70周年は、『西暦2024年』
映画公開は『西暦2023年』であった事から
私の想像では、最後に表記されたタイトルから察するに、
この瞬間、1つだけ失ったものがある
①一人の夢であった物が、皆の夢に変わったことから(大衆化)
②ゴジラへの希望がほんの少しだけ欠けたことから
嬉しくもあり哀しくもある
ゴジラの哀愁が、マイナスワンに込められたものかも知れない
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●【特撮】当時(約70年前)、初代ゴジラは、実写フィルム撮影を基に、コンピューターによる爆発エフェクト等が無かった時代に、ミニチュアのセット等やフィルム合成などのアイデアを駆使し、ジャンルを確立した偉大な経緯がある(円谷英二氏など)
ビジュアル表現で云えば、この作品が無かったら、現代においてジャンル問わず、多種作品で採用されてるエフェクト表現のアイデア等は無かった事になる
そういった意味に置いても、国内でジャンルを確立した映画作品としてはほぼ原点に近い
※S・スピルバーグや宮崎駿氏らも当時から影響を受けたことでも有名
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●映画とTVドラマとの違い
⇒映画は尺の関係で詳細は省かれ、要点だけが描かれる傾向あり
(だから個々の感受性や想像力が求められる)
⇒TVドラマは長尺の為、より詳細なドラマを描く事が可能(結果として、中弛みを生む可能性もあり、ハイリスクではある)
両者に良い点と悪い点があり、
(ハイリスク、ハイリターンの関係)
この基本を知らないと映画本来の良さは楽しめない
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●今作、佐藤直紀氏の作曲が輝いていました
震電で使われていた楽曲
『Godzilla-1.0 Resolution』が特に最高
その他、登場人物の心境を表現した楽曲など、観客の心境とも重ね合わせた楽曲使用に脱帽です
エンドロール演出の最後まで、余韻に浸れ完璧の出来栄えでした
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●視覚効果賞(米国)を獲った肝心のVFXについてですが、制作&製作過程や工程も含め、概ねは、かなり良かったです
物語と映像がリンクしており、無駄なカットがありませんでした
※映像は、とても素晴らしいです
あまり云いたくはないのですが、
劇場公開されたカラー版、モノクロ版と、アマプラ版には一部、映像(カット)の違いがありました
アマプラ版では良くはなってましたが、一部、粗(不自然さ)もありました
『海(白波)のシーンです』※ゴジラ背ビレのみが左上から右中に海面を横切る俯瞰ショット
【追記】2024/5/22 ※映像が差し代わり完璧に仕上がってました
映像は良く出来てるだけに、粗が目立ってしまうのは仕方がないですが、それらを支えているのは物語なので、VFXの評価が先に来てしまうと、アカデミー賞(オスカー)は獲れてなかったと想われます
そのマイナス要素を加味しても、
星5を振切りオスカーを獲得したと云うことです
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●モノクロ版(マイナスカラー)
マイナスカラーは、完全なモノクロではありません(エフェクトに、ほんのり色が付いてます)
⇒何処が玄人向けなのか?
①カラー情報が削ぎ落とされてるため想像力が試される
モノクロ版の利点として、
①物語に集中できる(色情報が無いため)
②通常版(カラー)とは違い、3DCGとの違和感が無い(被写体と背景の境界線が無くなり、よりリアルに見える)
③過去の時代背景がリアルに見える(脳内補間)
④初代ゴジラへのリスペクト
など
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●政治的観点から申しますと、
厳密には終戦直後、無防備であった日本国がゴジラと云う脅威に民間だけでどう抗うのか?が、表面上の語り部ではある
しかし、GHQの建前にせよ、少なくともお国からの支援が無ければ駆逐艦や重機すら無かったわけなので、民間のみではどうすることも出来なかった事になる
今作の物語は軍人としてでは無く、民間の独りとして各々団結しゴジラに立向かった(有体で云えば民主主義的)
軍事主導VS民間主導の対比であったのは明らかで、人を動かすにはそれ相応にお金が必要なので、仕事として出てたのかどうか(色々勘ぐってしまうが仕方のない事です)
つまりマイゴジは、左右翼で決着させたのがこの物語の結末なのかと想われます
●海外の反応より(勝手ながら翻訳引用)
『この映画は日本が右翼帝国主義から脱却するために国民が団結する話なんだ』
↑的を得た観点と感想だと思った
※結果は映画を観ての通り
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●あと、おまけのエピソードとして、劇場鑑賞による初見の出来事ですが、
私の界隈(新宿バルト9)で、映画鑑賞中(スタッフクレジット時)、周囲の殆どの方々が、涙を拭ってる姿で溢れてました(鼻声で啜る音も交えながら)
失礼ながら、ニヤリとしてしまった私でしたが、そこは心配御無用で、私の眼にも涙が溜まってました
暗闇に隠れながら涙を拭いました(2回鑑賞後も同様)※一部で拍手もありました
※私が涙したシーン公開
①典子『生きてるよー!』
②艦長『海神作戦を開始する!』
③敷島が震電で特攻する瞬間
更に、余談になりますが、そんな中、ひとつ残念な事は、国内の経済情勢において、物価上昇してる最中の映画公開は、かなりの枷になった事は容易に想像できます
マイゴジの国内の興行成績は約75億とされてますが、注目作品としては、実質、シンゴジラを余裕で越えた結果であったのではないかと想像してます
勝った負けたの関係ではなく、
シンゴジがあったからマイゴジが生まれたのだと確信してます
シン・エヴァ『碇シンジ(大人ver.cast)』⇒マイゴジ『敷島 浩一』
※神木隆之介さんが確り継承されてます
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●国内の東宝ゴジラ(フランチャイズ)の可能性として、
①ゴジラVSメカゴジラ
②ゴジラVSキングギドラ
は見てみたい気がします
マイゴジは完結してるので、
気持ちを新たに別作品として
※次がいつになるかは分かりませんが
物語としては、現代社会や環境問題とも絡ませつつ、
⇒VSメカゴジラ(機械社会への警鐘)
⇒VSキングギドラ(未知からの侵略者)
に加え、ゲスト(モスラ&ラドンなど)
それぞれにテーマを明確に持ってそうなので、掴みを狙うならこれですね
(まあ、これは予想ではなく単なる妄想です)
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▼まとめ
ここまで散々と連々書いてまいりましたが、
なかなか、娯楽作品とは云え、単純な一言で云える程の作品では無かったです
言語化しようとすると、それにはコレがあって、それにはこういう理由があって等、いくらでも深く考察出来てしまうのがマイゴジの面白さだったのかと
『解り易いもの程、深みのある作品に成り得る』
その心理は海よりも深い
※私の言葉です
●自作自演のカウント稼ぎの使い古されたアンチコメ(闇のお仕事)はメディアリテラシー(反面教師)としてだけ使えます
カウントが多いのは実は少数派(上がりすぎたハードルを下げる意味もあり、意図は様々)
※私は20年前に卒業済
参考⇒釣られてポチるお子様の指標(累計)
(人生において、御子様は、1度は通っておくのも良いでしょう)
※アマプラの評価システムがヌルイとも云えますが
(まあ、それはそれとして)
『きっと、違う映画でも観たのでしょう』
『夢でも見ていたのでは?』
●国内アンチの傾向
①ファンタジージャンルに見えた(VFX含む)これが日本映画?
⇒映画作品(創作物)は全てファンタジー ※現代的見た目かそうでないか、リアルに見えるかどうかの違い
②監督脚本に拒否反応(国内にて大多数??)
⇒そもそも映画の見方を知らない
つまりは万人の感想では無く、先入観を前提に観てるマニア目線
●全世界、不感症時代(マグロ目線)
映像を浴びるように見てる世代において、画的な新鮮さは然程無かった
※強いて云えば海だけ
VFXの過大評価が映画業界を衰退させる
結局のところ、プロットが無ければ物語は無い
物語が無ければ映像は生まれない
この原則が理解できない輩だらけで映画業界は衰退
娯楽に感けるほど、今のこの国には経済力も時間も無い
そんな中では良くやった方(他にあるならソチラへどうぞレベル)
●ゴジラと云う作品は、フィクションでもあり、メッセージが込められた作品でもあると思います
事象と事象(余白)を繋ぎ合わせる事で、作品は完成されるのかと(人々の心も同様)
そもそも国内の一般の方はゴジラに関心が無いと想われます
見てるのは精通したマニアだけ(哀しきかな)
それでも万人にも観て貰いたい気概はひしひしと感じます
(今の御時世、物が溢れすぎ、個々の趣味嗜好にしか関心のない世の中だからこそ、こういった作品は特に貴重だなと)
私の場合、余計な情報が鑑賞の邪魔するのを、長い経験則から学んでいる為、
なので私は当然のように楽しめました
↑期待値を下げて観たからです
(見る前は、震電だけ観にいこうくらいのハードルでした)
実のところ、私も劇場映画を観てから、
感想や考察、メイキングを見た口です
海外で高評価と知り、ええ?そこまでかと(それで結構、冷めた口です)
ゆくゆく考えてみると最初から海外にターゲットを絞ってた内容だったなと後々解りました
どうしても言葉の壁が立ちはだかり、それには端的な内容に絞り、解りやすくする必要があったのでは無かろうかと
昭和設定からも、今の令和とは違い、江戸っ子丸出しの秋津艇長のような人物が居てもおかしくないくらいには成ってた(良いキャラでした)
※承知の上で、失礼ながらハードル上げさせて頂きました
その他、思うところは多々ありますが多くは語りません(割と語っている方ですが、まだまだ語り足りてないです)
結果論ではありますが、人気作の性と云ったところでしょうか
※どれも好き嫌いの範疇からは逃れられられない印象
(このご時世、各々の理想だと話題にもならないでしょうね、残念ですが)
物語として、ご都合主義と安直には云えますが、今作は寧ろ、そこが評価された部分で、その意図する内容の作品が、これまでの世界に無かったからです
寧ろ、それがエンタメじゃないの?(と真面目に応えます)
まあ、肌に合う合わないはあると想われるので無理強いは出来ない訳ですが
ともあれ、爪痕を残せたのでこれ幸いと(他の作品ではこうは行かなかったでしょうから)
映画に求めるものは千差万別で、
評価は個人の主観でしかありません
各々、その人の感性でその人のゴジラが出来るのも羨ましい限りではあります
※虚構と現実の区別が出来ない方にはバイオなのでお気をつけくださいませ(フィクションの恐ろしさ)
70年間、ゴジラが人々の心の中で生き続けているのは、正に永遠を意味してるのかもしれません
と云う、私の感想でした
予想ですが、これまでの傾向からすると、教科書に掲載されます
※オスカー視覚効果賞(米国)
このレビューの閲覧数が5000を突破したようです
※それだけ信じられます
■最後の最後に
さてさて、
本域の感想と参ります
この映画は、戦争があったあの時代から、現代の思想に至るまでの経緯を示したのだろうと想われます
あの戦争があったから今の我々が存在できてる事実(思想から生まれた数々の文化)
単なる反戦映画と括るのは浅はかで、この世代の忘れた頃に、いずれまた来るかも知れない戦争への抑止にもなった映画であることは確かですが、
敗戦からのこの国からは、人権、差別、平等の問題提起など、昭和の時代には様々な文化が成されてきました(先代たちの政治闘争)
日本は敗戦を経験したからこその今の文化があり、経済大国とまで、のし上がった事実があります
しかし、それも昭和終盤で経済は飽和状態となり、平成でバブル崩壊され現在に至りますが、果たしてこの国は、このドン底から立ち直れるのでしょうか
そんなメッセージすら感じ取れます
有限実行できてたこの映画の登場人物たちなら、こんな状況下で、どう立ち向かうのだろう?と、期待が膨らみますが、そういった意味においても、人々のココロの中で生きてる英雄たちを礎に、この国で、この世界で生きてゆくとは、そう云うことなのでしょう
『生きて、抗え』とは、亡くなった者に対しての恩返し的な意味合いもあるのかも知れません
この映画は、見る人の感性によって評価が大きく変わるところでありました
と、最後に締め括ります
貴重なお時間、
長いご閲覧ありがとうございました