カスタマーレビュー

  • 2016年3月20日に日本でレビュー済み
    自民、民主、公明など超党派の有志議員が、演歌や歌謡曲を支援する議員連盟を結成したという。産経新聞が「日本の伝統文化の演歌を絶やすな! 超党派『演歌議連』発足へ」という見出しで報じた。

    しかし、伝統が「ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習」(大辞林)だとすれば、演歌を日本の伝統文化と呼ぶのは正しくない。本書はその事実を詳しい調査に基づき明らかにする。

    たしかに、演歌という言葉そのものは、明治時代に生まれた古いものである。しかし本書によれば、本来の演歌とは自由民権運動の流れをくむ「歌による演説」であり、社会批判と風刺を旨とする「語り芸」だった。現在のように、演歌という言葉を「日本的」「伝統的」なレコード歌謡を指すために用いるようになったのは、昭和40年代(1960年代半ば)以降にすぎないという。

    また本書によれば、演歌は「日本的」な要素のみで成り立っているものではない。森進一のしわがれ声はジャズの大御所ルイ・アームストロングを意識したものだし、都はるみの「唸り節」は驚くことに、ポップスの女王と呼ばれた弘田三枝子の歌唱法に由来するという。

    もちろん、だから演歌はダメだと言いたいわけではない。考えるに、重要なのは、ある文化を守るという大義名分のために、誤った事実に基づく権威づけをしないことである。それは守ろうとしている文化そのものに対する誤解を広めることになる。

    もう一つ大切なのは、日本文化を守るという名目で、外国文化の流入を妨げないことである。日本文化は私たちが想像する以上に、さまざまな外国文化を取り入れて豊かに実っている。偏狭なナショナリズムにとらわれて外国文化を排除すれば、日本文化はやがてやせ衰えてしまうだろう。

    本書は、そうした示唆を与えてくれる好著である。
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