カスタマーレビュー

2023年9月7日に日本でレビュー済み
『シン・ゴジラ(2016)』『シン・ウルトラマン(2022)』『シン・仮面ライダー(2023)』と続いたシリーズの2作目だ。
(『シン・エヴァンゲリオン(2021)』は抜いても異論無いだろう。)
何れもオリジナル作品(漫画)への思い入れ溢れる傑作だが、視聴する側が其の思い入れを理解しないと、妙な誤解が生じる。

『空想特撮映画 シン・ウルトラマン』の場合、ちらちらと見掛けたのが、『シン・ゴジラ』と比較して政治的メッセージが乏しい、リアリティに徹していないとの批評だ。
当たり前だ、原点である『ゴジラ(1954)』と『ウルトラマン(1966~67)』を比較すれば解る事だが、『ゴジラ』は日本が前代未聞の脅威(怪獣)に襲われたらと言うSFに託して、政治的に反核を訴えた作品である。
対して『ウルトラマン』は怪獣や宇宙人と言う超常現象をモチーフとしたSFファンタジーシリーズなのだ。
『シン・ウルトラマン』冒頭で描かれる、禍威獣が何度も出現する現状に対応し、防災庁・禍威獣特設対策室(略称:禍特対)が設立される状況が示す様に、『ウルトラマン』の世界は『ウルトラQ(1966)』を踏まえて怪獣が頻繁に出現する世界なのだ。

尚、『シン・ウルトラマン』冒頭の『シン・ウルトラQ』とでも言うべきパートで、何匹かの禍威獣が描かれているが、その内の巨大不明生物第2号マンモスフラワーが発芽成長した場所は『シン・ゴジラ』の決戦の場と成った東京駅で、巨大不明生物第1号は『シン・ゴジラ』のゴジラの面影の有る禍威獣ゴメスだった。
即ち東京駅に凍り付いたゴジラが存在しない以上、『シン・ウルトラマン』の世界は『シン・ゴジラ』の世界のパラレルワールドかも知れないが、同一世界ではないと言う事だ。
『シン・仮面ライダー』に付いては言を控えるが、石ノ森章太郎氏の原作漫画(1971)世界と、TVシリーズ『仮面ライダー(1971~73)』の初期のおどろおどろした雰囲気をミックスした作品と成っており、私は好きである。(★★★★★)

■『ウルトラQ』『ウルトラマン』、『シン・ウルトラマン』の母体

原点である『ウルトラQ』『ウルトラマン』と『ウルトラセブン(1967~68)』。
『Q』はSF寓話或いはSF怪異譚と呼ぶべきか、本質的には大人向き作品で、オチもハッピーエンドとは限らない。
数本の格落ち回は有るが、此の時代が生んだ至宝の様なシリーズだ。
あの時代だからこそ許容された設定や描写も多く、今リメイクしても、オリジナル以上の作品に仕上がるかは疑問である。
例えば「海底原人ラゴン」は『日本沈没』でテーマの半分は描かれ済、残るは海底原人襲来なクトゥルフ風侵略SFを描くことくらい?
「ぺギラが来た」「東京氷河期」のぺギラ2部作は、金と技術を掛けたリメイクを見たくも有るが、「マンモスフラワー」は、既に『ガメラ2 レギオン襲来(1996)』で、草体レギオンと言う素晴らしいオマージュが存在している。
古い作品ではあるが、『Q』はリメイクの必要を感じない金字塔なのだ。
因みにリメイク無用と私が感じている特撮映画は、他に『大魔神』『大魔神怒る』『大魔神逆襲』(全て1966)の3部作などが有る。
古き良き時代劇部分が完璧なので、今風の物語にする値打ちを感じないのだ。
『Q』も同じで、昭和40年代の空気、或いは其処で夢見られた少し未来図の中として完成されている。
『マン』も此れに近い作品だが、後述の様に「子供の為の夢」の部分を大人の鑑賞に耐える世界に構築し直して『シン・ウルトラマン』が撮られた訳だ。

ウルトラマンは、人間の活躍だけでは放送時間内にオチを付けられない事態に、突然現れてオチを付けてくれる存在とも言える。
『ウルトラマン』はSFチックなファンタジー、御伽噺なのだ。
「ホシノ」君なんて子供が科学特捜隊に出入りしている段階で、此れは大人が見せてくれる「子供の為の夢」なのだと解る。
『シン・ウルトラマン』は、此の夢物語を現代の大人達が見ても楽しめるように焼き直した物語だ。
先ず禍威獣が出現し続ける世界を構築し、次いで外星人ウルトラマンと言う超存在をぶち込むのだ。

SFとしてハードと言われる『ウルトラセブン』だが、私の中での評価は前2作に比してやや低い。
真面目に作られた分、時代を経て粗や古さが目立つのだ。
ウルトラ警備隊の秘密基地など細かく描いており、特にメカや制服のデザインは突出して素晴らしいと思う。
『マン』の科学特捜隊本部との描写の違いは、『サンダーバード(1965~66:イギリス製TV番組)』の影響だろう。
ウルトラホーク発進シーンなどは更に後年の『新世紀エヴァンゲリオン(1995~96:アニメ)』へと繋がる。
そんな素晴らしさとは逆に、スマホやタブレットが普及した現代から見ると情報機器は如何しても古さを感じてしまう。
中継基地を必要としない悪条件下での通話の可能性を考えると、「ウルトラ警備隊」のビデオシーバーよりも、「科学特捜隊」の流星バッヂ型トランシーバーの方が古さを感じさせない。
脳内補完する余地が有るのだ。
「ホシノ」君が科特隊に出入りできたのも、きっと優れた入館管理の機構が有ったに違いないってね。
逆に、宇宙人の侵略に功労が有ったとは言え、戸籍も不確かな「モロボシダン」なる人物をあっさりとエリートチーム「ウルトラ警備隊」に入れてしまった事は放送当時から不可解だった。
紅一点のアンヌ隊員は、巨大な防衛軍基地の医療のトップとU警備隊の兼任って、仕事量的に無理が有り過ぎる。
他方、「科特隊」のフジ隊員は余分な役職が無く、また科特隊本部内には整備や医療・雑務担当の他の職員が居そうな雰囲気なのだ。
他の隊員も、ムラマツキャップは防衛庁に、アラシ隊員は警察庁に、イデ隊員は科学庁に、ハヤタ隊員はパリ本部又は国連に、夫々パイプを持っていそうだよな、とか。
此の辺り『シン・ウルトラマン』の禍特隊も、各種機関の人間の寄り合い所帯で、然も政府機関の一組織であると言う立場がしっかりと示されていて解り易いのだ。

※実の所、私は昭和期のウルトラマンシリーズ(Q~レオ)しか見ていない。
『セブン』は脚本的にも粗いと感じる話数が後半特に多かった。
尤もそれは『帰ってきたウルトラマン(1971~72)』よりはましだった、と言うか『帰りマン』は私の感性に合わなかった。
或る時期に『マン』『セブン』に続いて(少年期以来の)作品鑑賞をしたのだが、『帰りマン』は5話の時点で鑑賞に苦痛を感じて止めてしまった。

■CG怪獣の隠し味:着ぐるみ時代の裏事情

嘗ての特撮で良く有ったのが着ぐるみの改造による使い回しである。
昔、島田紳助氏司会の「まさかのミステリー」なる番組で、此の事が取り上げられた事が有った。
スタッフが用意した回答は「ゴジラ」で、『マン』でゴジラの着ぐるみがジラースとして活用された事実を取り上げたのだが----
事前調査がいい加減だったのか、『Q』のゴメスの着ぐるみへの改造は全く触れられなかった。
それ処か「東京タワーを破壊した怪獣」なる勘違いをヒントに出す始末。
----良く間違えている人が居るが、少なくとも昭和期のゴジラは「東京タワー」を破壊していない。
初代『ゴジラ』は「東京タワー」が建設される以前の作品で、破壊しているのは「電波塔」、東宝怪獣で「東京タワー」を初めて破壊するのは『モスラ(1961)』、ゴジラシリーズで初めて破壊されるのは『三大怪獣 地球最大の決戦(1964)』にキングギドラが飛行時の衝撃波でへし折っているのである。

着ぐるみの使い回しと言えば、有名なのが東宝の『フランケンシュタイン対地底怪獣(1965)』登場の地底怪獣バラゴンの着ぐるみだ。
『Q』では此れをパゴスへ改造、『マン』ではネロンガ、ガボラ、マグラーへと改造された。
此れを受けて『シン・ウルトラマン』では禍威獣パゴス、ネロンガ、ガボラをメフィラス星人による同一素体の改造禍威獣と設定したのだ。
因みに『シン・マン』登場のゴメスは『シン・ゴジラ』の3Dデータの改造と思われ、マニア心を擽る趣向なのだ。
尚、『Q』登場のラルゲユウスは、東宝のラドンの飛行用モデルの改造で『シン・マン』にも登場。
こいつは、『ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)』でギャオス絡みでオマージュされている。
『シン・マン』登場の禍威獣・外星人でこうした改造に関係ないのはゴーガ(カイゲル)とメフィラス星人くらいだろうか。
『Q』のぺギラは『マン』のチャンドラーにプチ改造されている。
『マン』の最初の1月と言うか4週分の怪獣は、1話のベムラーこそ完全な新造だが、2話のネロンガ、3話のバルタン星人とも改造着ぐるみで、4話の巨大ラゴンは、『Q』のラゴンの頭部を用い、胴体は新造だったそうな。
バルタン星人が『Q』のセミ人間の頭部の改造と言うのは知れ渡った話だが、私は首から下の素体は『Q』のケムール人だったのではないかと踏んでいる。
『マン』ザラブ星人は巨大ラゴンの胴体の改造だそうな。
『Q』ピーター→『マン』ゲスラ、『マン』レッドキングー→『マン』アボラスなんてのは可愛い改造で、『マン』ヒドラ→『マン』ギガスと知った時には驚いたものだ。

■バルタン星人は何故登場しなかったのか?

所で、ウルトラマンの宿敵と言えばバルタン星人だが、何故『シン・マン』にバルタン星人は登場しなかったのだろうか?
理由は単純だ、バルタンはマンの敵としてテーマ的に大き過ぎ、『シン・ウルトラマン』の物語に取り込むと、他の禍威獣や外星人の出番が無くなってしまうからだ。
バルタンを登場させると、映画としては『ウルトラマン対バルタン星人』とでも言った内容に成ってしまうのだ。
其れ程、バルタン星人と言うのは特異な宇宙人なのである。

ウルトラマン、ザラブ星人、メフィラス星人に共通するのは、圧倒的な「個」の存在だと言う事だ。
全能に近い者と言い換えても良い。
全能の存在は社会性を必要とするだろうか?
他者に依存する必要の無い圧倒的強者・圧倒的生命力を持つ者は、単に生存するだけなら他者を必要としないのだ。
ザラブ星人、The「愛」星人、ブラザーの逆星人と言う皮肉な名を持つ此の外星人は、中途半端な知性体「地球人」は邪魔だと考えて此れを排除しようとする。
メフィラス星人は地球人を俯瞰し、面白がり、ゲームの駒の様に利用しようとする、玩具にしようとする。
更なる超者ウルトラマンは人間が理解できない。
理解できないが故に興味を持ち、育っていった先を見てみたいと庇護者の位置に付く、其の感覚はひょっとして羊と羊飼い以上に離れているが。

バルタン星人は「個」ではない。
外見的1個体の中に複数の個が重なり合っている。
『マン』の中で自ら語った様に、其の本質は「バクテリア」に近いのかも知れない。
超高度の知性と全能を持った「バクテリア」と言おうか、或いは生命体に近い程の「プログラム」と言うべきか。
数十億の「個」にして「全」、「全」にして「個」なのだろう。
自分の命を1つ2つと数えられるウルトラマンと、逆説的に最も近い存在がバルタン星人なのである。
必然的にバルタン星人と地球人の接触は複雑怪奇な物と成るだろう。
それこそ『シン・ウルトラマン2』を作らなければ表現できない程に。

■『シン・ウルトラファイト』

ブルーレイ買ったんなら此れに付いて語らなきゃ!!
私は最初通常版を予約してしまって、後日特典映像『シン・ウルトラファイト』付の限定版を知り、「予約の変更はできません」との表示に絶望しつつもAmazonのサポートに連絡を取り、予約グレードアップできないかと捩じ込んでアップグレードしてもらったのだ。
まぁ発売まで未だ時期がかなり有ったし、解約でもダウンでもなくアップだったから受け付けてくれたんだろうけどね。
オリジナルの『ウルトラファイト』は殆ど見ていないが、雰囲気は解っていた。
さぁ、『シン・ウルトラファイト』、如何来るかと思っていたらこう来たか。
是非、『マン』の最終回を前もって見ておく事をお勧めする。

時期的に『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇(敢えて秘す)』『怪獣人形劇 ゴジばん』のブルーレイ発売と時期が近かったんで、連続に近いタイミングで見たら頭がわぁぁぁぁぁぁって成った。
『ゴジラアイランド(1997~98)』と4つセットで見たら、脳味噌が柔らかく成る事請け合いである。
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