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日経クロスウーマンの調査(※)によると、2024年の「女性取締役比率」(調査対象500社)は19.2%。その中でも、社内から登用された女性取締役は11.3%しかいない。KDDIの取締役執行役員常務の最勝寺奈苗さんはその1人。24年6月に同社で女性初の社内取締役となった。1988年、第二電電(現KDDI)に入社し、社内で初めて一般職から総合職に転向。初めて育休を取得し、部長、役員と社内の「女性初」を数多く経験してきたが、入社時は「ここまで長く勤めるとは思わなかった」と言う。20代で、「経営の神様」と呼ばれる稲盛和夫さんと身近に接する機会に恵まれ、「人間として何が正しいか」という言葉を座標軸にしてきたという最勝寺さんの“仕事道”を聞いた。
※「2024年 女性取締役比率ランキング」(2024年8月調査)
株主総会を経験して立場を実感した
編集部(以下、略) 社内取締役となり、意識が変わったことや印象的なことはありましたか?
最勝寺奈苗さん(以下、最勝寺) 6月に最初の山場でもある株主総会がありました。株主総会には今までも出席していましたが、多くの株主様からの質問に答えることとなり、これまでとは比べものにならない緊張と重圧を感じました。立場が変わったことを実感しましたね。その後、1カ月くらいかけて全国の総支社を訪問し、現場の声や課題を聞く機会をつくりました。特に北陸では、震災の爪痕もいまだ大きく、災害時におけるBCP(事業継続計画)の重要性を感じました。コーポレート部門は、会社全体のことを俯瞰(ふかん)しなくてはいけない業務が多いので、そういう点でも視点を上げることは常に意識として持っています。
「辞める必要ないのでは?」と自問して出した答え
―― これまで社内の「女性初」をいくつも経験してきましたが、入社したときは将来のキャリアについてどう考えていたのですか?
最勝寺 先を見据えたキャリアプランがあったわけではなく、ここまで長く勤めるとは思わなかったというのが正直なところです。今のキャリアは、目の前の仕事に向き合って、そのときの自分の気持ちで選んできた結果なんです。私が入社した頃は結婚や出産で辞めるのが当たり前で、私自身もそれを普通に受け止めていました。ところが、いざ自分が結婚や出産をするとなったとき、「あれ? なんでここで辞めなくちゃいけないのだろう?」と疑問を感じたんです。勤めて数年たち、仕事も自分なりにできるようになっていました。だから、「辞める必要はないのでは?」と素直に選択できました。