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TDKサッカー部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
TDKサッカー部
原語表記 TDKサッカー部
呼称 TDK、TDK秋田、TDK SC
クラブカラー  
創設年 1965年
解散年 2009年
ホームタウン 秋田県にかほ市
ホームスタジアム
仁賀保グリーンフィールド
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

TDKサッカー部(ティー・ディー・ケイサッカーぶ)は、かつて存在した日本サッカークラブ。TDKのサッカー部として1965年に創部し、秋田県にかほ市を拠点として活動していた[1]。呼称は「TDK」。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するブラウブリッツ秋田の前身となったクラブである。

概要

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創設

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1965年に東京電気化学工業株式会社(現:TDK株式会社)のサッカー部として秋田県内で創設[2]。TDKは創業者の齋藤憲三平沢町(現:にかほ市)出身であることに加えて、1940年に平沢分工場(平沢町)[3]、1970年に鳥海工場(仁賀保町(現:にかほ市))[3] を建設し、TDKグループとしても1971年にTDK-MCCを平沢町に設立する[3] など秋田県に縁を持っていたことが、同県でサッカー部を立ち上げる経緯となった[3]

1970年代

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1977年

全国社会人サッカー選手権大会(全社)に初めて出場。初戦(2回戦)で福井銀行を3-0で破り、全社初勝利を記録した。準々決勝は同大会優勝の東芝堀川町(現:北海道コンサドーレ札幌)に敗れた。

1978年

全社に2年連続で出場し、2回戦で四国リーグ優勝の大塚製薬(現:徳島ヴォルティス)に勝利したが、準々決勝で大日日本電線に敗北。

1980年代

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1982年

この年より東北社会人サッカーリーグに加盟[4]。その年の東北リーグは前年度優勝の新日鐵釜石や前々年度優勝で前年2位の盛岡ゼブラなどが所属していたが、11勝3分(無敗)、得失点差+29の成績で初参加で初優勝を飾った。全社は2回戦で横浜トライスター(後の横浜フリューゲルス)に敗退。初めての出場となった全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)は新日鐵室蘭および東邦チタニウムと同組のグループAに入ったが、2戦2敗の成績でグループリーグ敗退。

1983年

東北リーグを13勝1分(無敗)、得失点差+63の成績で2位の盛岡ゼブラに勝ち点7差を付けて、2年連続の優勝。全社は2回戦で松下電器産業(現:ガンバ大阪)に敗退。グループAに入った地決は札幌マツダに勝利して地決初勝利を挙げたが、電電関東(現:大宮アルディージャ)に敗れて1勝1敗の成績でグループリーグ敗退)。

1984年

東北リーグでリーグ戦の初の敗北を喫したが、11勝1分2敗の成績で2位の秋田市役所に勝ち点4差を付けて、3年連続の優勝。全社は2回戦で敗退。グループAに入った地決は2戦2勝で初めて決勝ラウンドに進出。西濃運輸大阪ガス京都府警と同組となった決勝ラウンドは1勝2敗の成績で4チーム中の3位であったが、規定により1985年からの日本サッカーリーグ(JSL)昇格が決まった[4]。なお、東北勢として初のJSL入会となった[5]。なお、この年は天皇杯東北予選を突破して本戦へ初めて出場した(1回戦で愛知学院大学に敗北)。

1985年

JSL2部の所属1年目のシーズン。JSL2部が東西ブロック別による前期と上位・下位リーグによる後期の前後期制度を採用したのを受けて、前期は東ブロックに入った。前期はトヨタ自動車(現:名古屋グランパスエイト)や甲府サッカークラブ(現:ヴァンフォーレ甲府)などが同ブロックであったが、2分8敗の10戦未勝利で東ブロック最下位。後期は富士通(現:川崎フロンターレ)などと同ブロックの下位リーグ・東ブロックに入ったが1分3敗で最下位。11・12位決定戦でも大阪ガスに敗れた。また、初参加となったJSLカップも1回戦で本田技研に敗れて、公式戦未勝利でシーズンを終えた。なお、主催試合は水林陸上競技場本荘市)などで開催された[5]

1986年

JSL2部の所属2年目のシーズン。前期は住友金属工業(現:鹿島アントラーズ)や東芝(現:北海道コンサドーレ札幌)などと同ブロックの東ブロックに入ったが、1分13敗の勝ち点1の成績で東ブロック最下位。後期は富士通などと同ブロックの下位リーグ・東ブロックに入ったが6戦全敗で最下位。15・16位決定戦で京都府警に勝利してJSL初勝利を挙げたが、規定により翌シーズンからの東北リーグ降格が決まった。なお、JSLカップは1回戦で川崎製鉄水島(現:ヴィッセル神戸)に敗れた。

1987年

3年ぶりに東北リーグへ参加したが、10勝2分2敗の成績で優勝した松島サッカークラブと勝ち点2差の3位。全社は1回戦で九州リーグ優勝の三菱化成黒崎(現:ギラヴァンツ北九州)に勝利したが、準々決勝で古河電工千葉(現:VONDS市原)に敗退。また、天皇杯の東北予選に優勝して2度目の本戦出場を果たした(1回戦で東海大学に1-10で大敗)。

1988年

12勝2敗の成績で2位に勝ち点2差を付けて、4年ぶり4度目の東北リーグ優勝。全社は初戦で熊本教員に敗退。読売サッカークラブ・ジュニオール(読売Jr.)などと同組となった地決は2戦2敗でグループリーグ敗退。3度目の出場となった天皇杯は1回戦で読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ1969)に敗れた。

1989年

11勝2分1敗の成績で2位と勝ち点1差ながら2年連続5度目の東北リーグ優勝。全社は初戦で敗退。読売Jr.などと同組となった地決は1分1敗でグループリーグ敗退。天皇杯は1回戦でPJMフューチャーズ(現在のサガン鳥栖の母体クラブ)に敗れた。

1990年代

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1990年

この年より東北リーグに昇格した山形日本電気(現:モンテディオ山形)に勝ち点5差のリーグ2位となり、3年連続のリーグ優勝を逃した。全社は1回戦で日本電装(現:FC刈谷)に敗退。天皇杯東北予選もNEC山形に敗れて、4年ぶりに本戦出場を逃した。

1991年

東北リーグは8勝1分2敗で3位の成績。優勝した山形日本電気だけでなく、この年より東北リーグに昇格して2位に入った東北電力(現:ベガルタ仙台)の後塵を拝する形となった。

1992年

東北リーグは6勝2分6敗の成績で優勝したNEC山形と勝ち点10差、2位の東北電力と勝ち点5差の5位。

1993年

東北リーグは4勝3分7敗の成績で優勝したNEC山形と勝ち点16差、2位の東北電力と勝ち点13差の5位。

1994年

東北リーグは3勝5分6敗の成績で優勝した東北電力と勝ち点16差、2位の福島FCと勝ち点10差の5位。

1995年-1999年

NEC山形および東北電力が共に上部リーグへ昇格した1995年以降、1995年から1997年までソニー仙台FCが3連覇。その間、TDKのリーグ戦での成績は5位、5位、3位に終わった。1998年はリーグ戦3位、1999年はリーグ戦2位に終わった。1997年は7年ぶりに全社に出場した(1回戦で佐川急便SCに敗退)。1999年は10年ぶりに地決に出場してYKK AP(現:カターレ富山)や愛媛FCと同組のグループBに入ったが、2戦2敗でグループリーグ敗退。天皇杯は1996年大会で8年ぶりの本戦出場を果たしたが1回戦で敗退。また、1998年および1999年も出場したが、それぞれ大宮アルディージャ水戸ホーリーホックにいずれも1回戦で敗退。なお、1999年より小松勉が監督に就任した[6]

2000年代

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2000年

東北リーグは11勝2分1敗の成績で2位に勝ち点4差をつけて10年ぶりの優勝(6度目)。地決はSC鳥取(現:ガイナーレ鳥取)などと同組のグループDに入り、2戦2敗(2PK負け)の成績でグループリーグ敗退。天皇杯は1回戦で順天堂大学に敗北した。

2001年

東北リーグは9勝2分3敗の成績となり、優勝したFCプリメーロに勝ち点5差の2位。東日本社会人サッカー大会(東日本大会)は本田技研狭山に決勝で敗北して準優勝。なお、秋田県総合サッカー選手権大会(兼天皇杯秋田県予選)で敗北して4年ぶりに天皇杯本戦への出場を逃した。

2002年

東北リーグは13勝1分(無敗)の成績で2位に勝ち点16差を付けて2年ぶり7度目の優勝。金沢サッカークラブ(現:ツエーゲン金沢)などと同組のグループAに入った地決はグループ2位の成績で決勝ラウンド進出はならなかった。2年ぶり9回目の出場となった天皇杯は1回戦で佐川印刷SCに敗退。

2003年

東北リーグは8勝5分1敗の成績で2位に勝ち点3差を付けて、2年連続8度目の優勝。ザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)などと同組のグループAに入った地決はグループ2位の成績でグループリーグ敗退。なお、10回目の出場となった天皇杯の1回戦でアルエット熊本(現在のロアッソ熊本の母体クラブ)に勝利して、天皇杯本戦での初勝利を挙げた(2回戦で大塚製薬(現:徳島ヴォルティス)に敗退)。

2004年

東北リーグは11勝1分2敗の成績で2位に勝ち点8差を付けて3年連続9度目の優勝。全社は2回戦で敗退。流通経済大学などと同組のグループAに入った地決は1勝1敗の成績でグループリーグ敗退。なお、東日本大会の決勝で岐阜県選抜を破り、同大会の初優勝を飾った[4]。天皇杯は1回戦でSC鳥取に敗退。

2005年

東北リーグは9勝2分1敗、得失点差+26の成績で4年連続10度目の優勝[4]グルージャ盛岡と2チーム同時優勝)。東日本大会は3位の成績[7]。全社はFC町田ゼルビア(2回戦)などに勝利してベスト8の成績。長野エルザサッカークラブ(現:AC長野パルセイロ)などと同組のグループCに入った地決はグループ2位の成績でグループリーグ敗退。天皇杯は1回戦で愛媛FCに敗退。

にかほ市のシンボルである鳥海山。TDKサッカー部のエンブレムに取り入れられた。
2006年

14戦全勝、得失点差+51の成績で2位に勝ち点9差を付けて、東北リーグで5年連続11度目の優勝。東日本大会は決勝でノルブリッツ北海道FCを破り、2年ぶり2度目の優勝[4]。全社は2回戦で沖縄かりゆしFCに敗退。地決は横浜スポーツ&カルチャークラブなどと同組のグループDに入り、1勝1敗(1PK負)のグループリーグ首位で22年ぶりに決勝ラウンドへ進出[2]FC岐阜ファジアーノ岡山FCV・ファーレン長崎と同組となった決勝ラウンドは3戦全勝(2PK勝)の成績で優勝した。12月7日、日本フットボールリーグ(JFL)の理事会で2007年シーズンからのJFLへの加入が承認された[2]。また、13回目の出場となった天皇杯の1回戦(JAPANサッカーカレッジ戦)で3年ぶりに本戦での勝利を挙げた(2回戦で法政大学に敗退)。同年JFA会長の川淵三郎には、「私が生きている間に秋田県にJリーグチームができることはないでしょう」と言及されていた[8]

2007年
味スタでのTDKサポ

JFL昇格にあたり、年間予算が1200万から1.5億に大幅アップとなった[9]。 2月19日、TDKサッカー部のエンブレムが新たに制定された。エンブレムについては「(サッカー部が本拠地とする)にかほ市のシンボルである鳥海山ヒバリをモチーフとして、落ち着いた色調の中にも風格のあるデザイン」となった[2]。また、JFL開幕に当たり、「選手1人1人が常に向上心を持って取り組む」をテーマに制定した[4]。3月12日、監督の小松勉が、早くJリーグに加盟できるように頑張りたいとコメントした[10]。JFLリーグ戦は11勝9分14敗の成績で18チーム中13位。14回目の出場となった天皇杯の3回戦でJ2のコンサドーレ札幌にPK戦で勝利を収めた[11](4回戦でFC東京に敗北)。なお、TDKサッカー部が国体強化チームとして出場した第62回国民体育大会(秋田わか杉国体)は準々決勝(2回戦)で敗退した[1]。シーズン終了後に小松が監督を退任した。

2008年

コーチの佐々木寿生が監督に就任。JFL2年目のシーズンは「チーム全員が向上心を持ち、考え、判断し、行動できる」をチーム方針に、「リーグ戦の10位以内」および「天皇杯でJリーグチームに勝つこと」を目標に掲げてスタートした[12]。リーグ戦は10勝11分13敗の成績で18チーム中13位。天皇杯は1回戦で大阪体育大学に敗北した。

2009年
青い稲妻。ブラウブリッツの語源となった。

2月3日付の秋田魁新報や読売新聞などによると、TDKは経営環境が厳しさを増す中でサッカー部について約1億円の運営経費を工面することが困難となったため、1月の役員会議でサッカー部の運営から撤退することを決定し、2009年シーズンを以て廃部することが明らかとなった[13][14][15]2009年5月14日、TDKサッカー部をクラブ化するため、TDKや秋田県サッカー協会などにより「TDK SCクラブ化実行委員会」が設立された[16][17]。7月、JFLの臨時評議員会はTDKサッカー部が来季から新クラブへ移行することを承認した[18]

9月12日、TDKサッカー部のクラブ化後のクラブ愛称がドイツ語で「青い稲妻」を意味する「ブラウブリッツ(Blaublitz')」に決定し、TDKがメインスポンサーと運営協力することも内定した。なお、クラブ名の候補として「ライジーン秋田」「ライオーレ秋田」「バンリーベ秋田」も挙がっていたが、既に商標登録されていたため断念した[19]。9月14日、運営会社として「秋田フットボールクラブ株式会社」を設立した[20]

10月、統括責任者湘南ベルマーレ元監督の山田松市が就任したが、11月26日付で退任した[21]。12月1日、新クラブ(ブラウブリッツ秋田)の初代監督にTDKコーチの横山博敏が就任した。なお、2009年度中に予定していたJリーグへの準加盟申請はホームスタジアムの規模や経営体制、観客数など不十分な面があることから、申請を見送った[22]

JFLリーグ戦は「志闘・闘強」をチーム方針に、「リーグ戦の6位以内」「天皇杯でJリーグチームに勝つこと」などを目標に掲げてスタートした[7] が、リーグ戦は14勝4分16敗の成績で18チーム中10位。11月29日、JFL後期第17節(佐川印刷SC戦)がTDKサッカー部として最後の試合となった。TDKサッカー部として最後の出場(16回目)となった天皇杯は1回戦でソニー仙台FCに敗れた。

2010年シーズンよりブラウブリッツ秋田が発足したが、以降の歴史はブラウブリッツ秋田の項目を参照のこと。

成績

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年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 得失 JSL杯 天皇杯 監督
1982 東北 優勝 25 14 11 3 0 41 12 +29 - 地区予選敗退
1983 27 14 13 1 0 76 13 +63
1984 23 14 11 1 2 50 15 +35 1回戦敗退
1985 JSL2部・東 12位 2 10 0 2 8 10 34 -24 1回戦敗退 地区予選敗退
JSL2部・下位 1 4 0 1 3 2 14 -12
1986-87 JSL2部・東 15位 1 14 0 1 13 8 46 -38 1回戦敗退
JSL2部・下位 1 6 0 0 6 13 65 -52
1987 東北 3位 22 14 10 2 2 51 15 +36 - 1回戦敗退
1988 優勝 24 14 12 0 2 48 13 +35 1回戦敗退 日本の旗佐藤一朗
日本の旗佐々木則夫
1989 24 14 11 2 1 49 11 +38 1回戦敗退
1990 2位 21 14 9 3 2 31 13 +18 地区予選敗退
1991 3位 17 14 8 1 5 27 26 +1
1992 5位 14 14 6 2 6 18 24 -6
1993 11 14 4 3 7 22 30 -8
1994 11 14 3 5 6 18 28 -10
1995 13 14 4 5 5 20 23 -3
1996 14 14 6 2 6 25 24 +1 1回戦敗退
1997 東北1部 3位 20 14 6 2 6 28 27 +1 県予選敗退
1998 25 14 8 1 5 30 18 +12 1回戦敗退
1999 2位 26 14 7 5 2 35 13 +22 1回戦敗退 日本の旗 小松勉
2000 優勝 35 14 11 2 1 41 11 +30 1回戦敗退
2001 2位 29 14 9 2 3 41 12 +29 県予選敗退
2002 優勝 40 14 13 1 0 39 6 +33 1回戦敗退
2003 29 14 8 5 1 38 12 +26 2回戦敗退
2004 34 14 11 1 2 43 10 +33 1回戦敗退
2005 29 14 9 2 1 36 10 +26 1回戦敗退
2006 42 14 14 0 0 58 7 +51 2回戦敗退
2007 JFL 13位 42 34 11 9 14 49 47 +2 4回戦敗退
2008 41 34 10 11 13 48 47 +1 1回戦敗退 日本の旗 佐々木寿生
2009 10位 46 34 14 4 16 39 54 -15 1回戦敗退

主な結果・タイトル

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リーグ戦

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  • 東北社会人サッカーリーグ1部
    • 優勝(11回):1982年-1984年、1988年、1989年、2000年、2002年-2006年
    • 準優勝(3回):1990年、1999年、2001年
    • 3位(4回):1987年、1991年、1997年、1998年

カップ戦

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スタジアム他

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ホームスタジアム

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練習場

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年度別入場者数

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略記について
  • 入場者数の太字は、歴代最多および最少
  • 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
年度 所属 合計
入場者数
最多入場者数 最少入場者数 平均
入場者数
試合数 ホームゲーム
開催スタジアム
入場者数 相手 会場 入場者数 相手 会場
2007 JFL 16,711 2,245 ジェフR 仁賀保 851 三菱水島 仁賀保 983 17 仁賀保15、秋田西目2
2008 16,170 3,261 A高崎 秋田球 564 岡山 952 仁賀保15、秋田西目1、秋田球1
2009 12,594 2,563 三菱水島 秋田陸 259 長崎 秋田西目 741 仁賀保11、秋田陸4、秋田西目2

ユニフォームサプライヤ

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主な在籍選手

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脚注

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  1. ^ a b 川淵キャプテン 国体の価値 ~秋田わか杉国体を観戦~”. 日本サッカー協会 (2007年10月5日). 2014年1月5日閲覧。
  2. ^ a b c d TDKサッカー部、新エンブレム決定!』(プレスリリース)TDK、2007年2月19日http://www.tdk.co.jp/news_center/press/aah63400.htm2014年1月3日閲覧 
  3. ^ a b c d TDKの歴史”. TDK. 2014年1月3日閲覧。
  4. ^ a b c d e f TDKサッカー部”. TDK. 2007年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月3日閲覧。
  5. ^ a b 旧JSL戦ったTDKのOB、J2・ブラウブリッツに期待”. 秋田魁新報 (2021年3月28日). 2021年3月28日閲覧。
  6. ^ 「TDK SC」監督・小松勉さん 初のJFL参戦」朝日新聞(秋田県版)、2007年3月3日、2014年1月9日閲覧
  7. ^ a b TDKサッカー部”. TDK. 2010年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月4日閲覧。
  8. ^ 機関誌JFAnews No.328より。良くも悪くも日本サッカー界煽り全一、それが川淵三郎。(※これが前身時代のJFL参入1年目、開幕前記者会見における当時の小松勉監督の"早くJリーグに加盟できるように頑張りたい"という発言に繋がる。)”. Twitter. 2023年7月2日閲覧。
  9. ^ 企業クラブから地域に根ざしたJクラブへ J2・J3漫遊記 ブラウブリッツ秋田 後編”. スポーツナビ (2023年6月11日). 2023年6月16日閲覧。
  10. ^ 日刊スポーツ東北版「TDK小松監督がJリーグ入りへ意欲」 2007年3月13日掲載
  11. ^ 【第87回天皇杯3回戦 札幌 vs TDK SC】”. J's Goal (2007年10月7日). 2014年1月3日閲覧。
  12. ^ TDKサッカー部”. TDK. 2008年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月4日閲覧。
  13. ^ 河北新報「不況でTDKサッカー部、クラブ化へ JFL」 2009年2月3日掲載
  14. ^ 秋田魁新報「TDK、サッカー部をクラブ化へ 業績悪化、経費削減狙う」 2009年2月3日掲載
  15. ^ 「TDK 経費削減でサッカー部運営から撤退へ」読売新聞、2009年2月3日、2014年1月3日閲覧
  16. ^ 「TDK クラブ化へ実行委設立 将来はJリーグ目指す」秋田魁新報、2009年5月14日、2014年1月3日閲覧
  17. ^ 河北新報TDKサッカー部クラブ化へ Jリーグ参入目指す」2009年5月15日掲載
  18. ^ TDKサッカー部のクラブ化移行を承認”. 秋田魁新報 (2009年7月30日). 2014年1月3日閲覧。
  19. ^ 「新チーム名「ブラウブリッツ秋田」 撤退TDKのサッカー部のクラブ化」朝日新聞(秋田県版)、2009年9月13日、2014年1月9日閲覧
  20. ^ 社名・エンブレム変更のお知らせ』(プレスリリース)ブラウブリッツ秋田、2013年12月24日http://blaublitz.jp/whatsnew/25177.html2014年1月4日閲覧 
  21. ^ 「山田統括責任者が退任、BB秋田 「信頼関係を築けず」」秋田魁新報、2009年12月2日、2014年1月5日閲覧
  22. ^ 「夢の「J」へもう暗雲」読売新聞、2009年12月2日、2014年1月5日閲覧

関連項目

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外部リンク

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