PSMマカッサル
PSMマカッサル | |||
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原語表記 | Persatuan Sepak Bola Makassar | ||
愛称 |
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創設 | 1915年11月2日[1] | ||
所属リーグ | インドネシア・プレミアリーグ | ||
ホームタウン | マカッサル | ||
ホームスタジアム | マットアンギン・スタジアム | ||
収容人数 | 20,000 | ||
代表者 | Rully Habibie | ||
監督 | ロベルト・アルベルツ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
PSMマカッサル (インドネシア語: PSM Makassar) はインドネシアのマカッサルを本拠地とするサッカークラブである。PSMはPersatuan Sepakbola Makassar (マカッサルサッカー協会)の略称である。現在はインドネシアの国内最上位サッカーリーグであるインドネシア・プレミアリーグに参加している。
インドネシアでも屈指の強豪クラブの一つであり、2000年にはインドネシアリーグで優勝、アジアサッカー連盟 (AFC)の国際大会であるAFCチャンピオンズリーグにも2回出場している。
歴史
[編集]PSMマカッサルは1915年11月2日にMakassar Voetbal Bond (マカッサルサッカー連盟クラブ、MVB)として設立された[1]。
リーガ・インドネシア
[編集]1995-96シーズンはリーガ・インドネシア・プレミア・ディヴィジョン(1部)のファーストステージ(東地区)で1位になると、西地区と東地区の各上位6チームが出場するセカンドステージでもグループCで1位になった。準決勝でプルシプラ・ジャヤプラに4-3で勝ったが、決勝ではBandung Rayaに0-2で敗れて準優勝に終わった。1996-97シーズンはファーストステージで1位、セカンドステージ(グループC)で1位になったが、準決勝でPersebaya Surabayaに2-3で敗れた。1997-98シーズンはリーガ・インドネシアとインドネシアサッカー協会との間にいくつかの問題が生じ、リーグはシーズン途中で中断された。1998-99シーズンはファーストステージで2位、セカンドステージ(グループB)で最下位に終わった。
1999-2000シーズンはファーストステージで1位、セカンドステージ(グループA)で1位になると、準決勝でPersija Jakartaに1-0、決勝でPupuk Kaltimに3-2で勝って初優勝した。2001年はファーストステージで1位になった。Putra Samarindaがシーズン終盤に欠場を決めたため、1試合少ない25試合での成績となった。セカンドステージ(グループB)で2位になると、PSMS Medanとの準決勝は2-2からのPK戦を3-2で制した。決勝はPersija Jakartaに2-3で敗れた。2002年はファーストステージで4位、セカンドステージ(グループB)で2位になり、準決勝に進んだが、Persita Tangerangに0-2で敗れた。
2003年は1ステージ制で行われた。ペルシク・ケディリと5ポイント差の2位になった。2004年は17勝10分7敗の勝ち点61で優勝したPersebaya Surabayaと並びながらも2位に終わった。
2005年は再び3ステージ制に戻った。ファーストステージで2位、セカンドステージ(グループA)で3位に終わり、各グループ上位2チームが出場する決勝トーナメントには進出できなかった。2006年はファーストステージで3位、セカンドステージ(グループB)で4位に終わった。2007-08シーズンはファーストステージで5位に終わり、セカンドステージに進めなかった。このシーズンは2008-09シーズンのインドネシア・スーパーリーグの予選も兼ねていた。
インドネシア・スーパーリーグ
[編集]2008年、インドネシアサッカー協会はリーガ・インドネシア(プレミア)の上位にインドネシア・スーパーリーグを創設した(プレミアは2部相当に降格)。スーパーリーグ初年度の2008-09シーズンは18チーム中8位に終わった。
リーガ・プレミア・インドネシア
[編集]2011年、スーパーリーグがスーパーリーグとリーガ・プレミア・インドネシアに分裂した。PSMマカッサルは2010-11シーズンのスーパーリーグを辞退して、2011シーズンのリーガ・プレミアに参加し、3位になった。19チームが参加したリーガ・プレミアはハーフシーズンのみが行われた。しかし、リーガ・プレミアはインドネシアサッカー協会およびFIFA未公認のリーグとなったため、インドネシアサッカー協会によってインドネシア・プレミアリーグが創設された。
インドネシア・プレミアリーグ
[編集]2011-12シーズンはプレミアリーグで6位になった。2013年はレギュラーシーズンで6位になり、プレーオフに進んだが、グループKで2位に終わり、各グループ(K・L)1位とレギュラーシーズン優勝の3チームによる変則決勝トーナメント進出を逃した。
2014年、プレミアリーグとスーパーリーグが統合されてスーパーリーグが唯一の最上位リーグになった。PSMマカッサルはスーパーリーグの東部に所属している。
獲得タイトル
[編集]- リーガ・インドネシア
- 優勝 (1) : 1999-2000
- 準優勝 (4) : 1995-96, 2001, 2003, 2004
- ピアラインドネシア
- 優勝 (1):2019
過去の成績
[編集]リーグ戦
[編集]年度 | レギュラーシーズン | 最終結果 | ||||||||
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所属 | 順位 | 試 | 点 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | ||
1994-95 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 10位 | 32 | 43 | 11 | 10 | 11 | 31 | 31 | |
1995-96 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 1位 | 30 | 57 | 17 | 6 | 7 | 58 | 26 | 準優勝 |
1996-97 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 1位 | 20 | 43 | 14 | 1 | 5 | 48 | 21 | 準決勝 |
1997-98 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 中止 | 15 | 30 | 9 | 3 | 3 | 33 | 8 | |
1998-99 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 2位 | 10 | 17 | 5 | 2 | 3 | 11 | 9 | ベスト10 |
1999-2000 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 1位 | 26 | 56 | 16 | 8 | 2 | 41 | 13 | 優勝 |
2001 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 1位 | 25 | 54 | 16 | 6 | 3 | 36 | 12 | 準優勝 |
2002 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 4位 | 22 | 43 | 12 | 7 | 3 | 42 | 22 | 準決勝 |
2003 | リーガ・インドネシア プレミア | 2位 | 38 | 62 | 18 | 8 | 12 | 68 | 48 | |
2004 | リーガ・インドネシア プレミア | 2位 | 34 | 61 | 17 | 10 | 7 | 46 | 28 | |
2005 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 2位 | 26 | 45 | 14 | 3 | 9 | 42 | 29 | ベスト8 |
2006 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 3位 | 26 | 42 | 12 | 6 | 8 | 44 | 32 | ベスト8 |
2007-08 | リーガ・インドネシア プレミア 東地区 | 5位 | 34 | 57 | 17 | 6 | 11 | 43 | 33 | |
2008-09 | スーパーリーグ | 8位 | 34 | 51 | 13 | 12 | 9 | 42 | 44 | |
2009-10 | スーパーリーグ | 13位 | 34 | 43 | 12 | 7 | 15 | 31 | 46 | |
2010-11 | スーパーリーグ | 辞退* | ||||||||
2011 | リーガ・プレミア・インドネシア | 3位20 | 18 | 34 | 10 | 4 | 4 | 36 | 18 | |
2011-12 | プレミアリーグ | 6位 | 22 | 34 | 9 | 7 | 6 | 29 | 26 | |
2013 | プレミアリーグ | 6位 | 18 | 32 | 10 | 2 | 6 | 27 | 12 | |
2014 | スーパーリーグ 東地区 |
*= 2010-11シーズン参加を辞退。
20= リーグが20試合の時点で終了。2011年6月18日までの半年でシーズン終了。成績は2011年3月31日時点。
カップ戦
[編集]- コパ・インドネシア2007 - ベスト16
- コパ・インドネシア2008 - 準々決勝
- コパ・インドネシア2009 - ベスト16
- ピアラ・インドネシア2010 - 準々決勝
- ピアラ・インドネシア2012 - ベスト16
アジアでの成績
[編集]年度 | 大会 | ラウンド | 国 | クラブ | ホーム | アウェー | 合計 |
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1997-98 | アジアカップウィナーズカップ | 2回戦 | ロイヤル・タイ・エアフォース | 0 - 0 | 2 - 1 | 2 - 1 | |
準々決勝 | 水原三星 | 0 - 1 | 0 - 12 | 0 - 13 | |||
2001-02 | アジアカップウィナーズカップ | 1回戦 | ヴィクトリー | 2 - 1 | 0 - 3 | 2 - 4 | |
1996-97 | アジアクラブ選手権 | 1回戦 | 浦項スティーラース | 1 - 0 | 0 - 4 | 1 - 4 | |
2000-01 | アジアクラブ選手権 | 1回戦 | ソンラム・ゲアン | 0 - 0 | 4 - 1 | 4 - 1 | |
2回戦 | ロイヤル・タイ・エアフォース | 6 - 1 | 5 - 1 | 11 - 1 | |||
準々決勝 | 山東魯能泰山 | 1 - 3 | 4位 | ||||
水原三星 | 1 - 8 | ||||||
ジュビロ磐田 | 0 - 3 | ||||||
2004 | AFCチャンピオンズリーグ | グループF | ホアンアイン・ザライ | 3-0 | 1-5 | 4位 | |
クルン・タイ・バンク | 2-3 | 2-1 | |||||
大連実徳 | 0-1 | 1-2 | |||||
2005 | AFCチャンピオンズリーグ | グループF | BECテロ・サーサナFC | 2-2 | 1-0 | 3位 | |
横浜F・マリノス | 0-2 | 0-3 | |||||
山東魯能 | 0-1 | 1-6 |
サポーター
[編集]PSMマカッサルは忠誠心の高いサポーターに支えられている。彼らには「Macz Man Indonesia」という愛称がある。 Macz Man Indonesiaのスローガンは「Punna stangnga-stangngako, mundurukko!」である。
サポーターグループの名誉会長は、インドネシアで保険・金融事業を展開するアクサグループ、Axa Mandiriの社長Iriantosyah Kasim氏であり[2][3]、秘書はAndi Muhammad Alamである。
PSMマカッサルの試合において、Macz Man Indonesiaがマットアンギン・ヘル・スタジアムに現れるときは、Choklat Maczman氏がスタジアムにおけるまとめ役を行なっている。Choklat Maczmanの指揮のもと、Macz Man Indonesiaは試合中チャントを歌い様々なパフォーマンスを行う。
歴代監督
[編集]- ヨピ・ルモインドン
- シャムスディン・ウマル
- ヘンク・ウィレムス (1998–99)
- ミロスラフ・ヤヌ (2003–05)
- フリッツ・コルバッハ (2005–06)
- マヌエル・ビルチェス (2006)
- カルロス・デ・メロ
- ラドイ・ミンコフスキ
- ハナフィン
- ラジャ・イサ
- ロベルト・アルベルツ (2010-2011, 2016-)
- ヴィム・ライズベルヘン (2011)
- ペタル・シェグルト (2011-2013)
歴代所属選手
[編集]外国籍選手
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AFC
CAF
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CONMEBOL
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UEFA
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脚注
[編集]- ^ a b “SEJARAH PSM MAKASSAR”. PSMマカッサル公式サイト. 2013年2月19日閲覧。
- ^ “Company Profile”. axa-mandiri.co.id. 2013年2月19日閲覧。
- ^ “Axa Mandiri Klarifikasi Keluhan Iriantosyah Kasim”. makassar.tribunnews.com (2011年12月28日). 2013年2月19日閲覧。
外部リンク
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