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黒尾重明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒尾 重明
1950年撮影
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都麻布[1]
生年月日 1926年7月20日
没年月日 (1974-10-17) 1974年10月17日(48歳没)[1]
身長
体重
170 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1946年
初出場 1946年
最終出場 1955年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

黒尾 重明(くろお しげあき、1926年7月20日 - 1974年10月17日)は、昭和中期(1940年代後半 - 1950年代前半)のプロ野球選手投手)。

来歴・人物

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東京都麻布出身。東町小学校では作家の山口瞳と同級生だった[2]

東京都立化学工業学校では速球投手として鳴らした。のち兵役に就き、終戦時には特別攻撃隊第84振武隊員として宮崎市郊外の陸軍航空基地にいた[3]

1945年11月に行われたセネタースの入団テストに参加し、31人の応募者の中から唯一合格し、入団した[3]白木義一郎とともにエース格として活躍する。

1950年にセ・パ両リーグ分立に伴い新規に結成された近鉄パールスに移籍。開幕投手を務め、12勝21敗、防御率3.34(リーグ8位)を記録する[1]。しかし、肩痛を発症し1951年は6勝、1952年は2勝と低迷。1953年は14勝11敗、防御率2.02(リーグ2位)と復活するも、1954年以降は肩痛によって再び低迷。1955年は通算100勝まであと1つにまで迫っていたものの未勝利に終わり、同年限りで引退した。

引退後は報知新聞で記者を務め[2]、運動具店経営も行う。また、有馬頼義の依頼で成蹊大学野球部監督を務めたこともあった[2]。晩年はデパートで既製服を販売する仕事に就いていた。

1974年10月17日に肝臓癌のため逝去。48歳没。

選手としての特徴

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セネタース時代は、どことなくユーモラスな味わいを見せた白木義一郎と対照的に、黒尾は小柄ながらケレン味のない速球派投手として、特に女性ファンの人気を集めた。速球に加えて、ドロップを武器としていた。

黒尾が最後の勝利を挙げた1954年の報知新聞の記事には、ナックルボールのようなスローボールとスローカーブを武器としていたと述べられており、晩年は速球派投手の面影はなくなっていた[2]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1946 セネタース
東急
急映
東急
40 26 14 0 1 10 17 -- -- .370 1254 270.0 309 8 139 -- 9 76 3 4 179 131 4.37 1.66
1947 49 35 28 3 1 19 18 -- -- .514 1546 361.0 335 2 139 -- 10 89 1 1 142 106 2.64 1.31
1948 47 39 28 3 2 19 18 -- -- .514 1458 362.2 296 14 117 -- 5 131 2 1 135 109 2.70 1.14
1949 41 31 21 2 2 14 19 -- -- .424 1156 268.1 263 29 97 -- 4 102 1 0 142 118 3.95 1.34
1950 近鉄 41 35 24 1 5 12 21 -- -- .364 1084 263.2 248 25 62 -- 1 69 3 1 130 98 3.34 1.18
1951 24 12 5 1 1 6 8 -- -- .429 566 133.1 137 4 29 -- 2 40 1 3 68 50 3.36 1.25
1952 19 7 1 0 0 2 2 -- -- .500 302 71.1 79 2 16 -- 1 23 2 0 33 24 3.00 1.33
1953 30 27 15 2 3 14 11 -- -- .560 895 226.1 199 9 44 -- 2 48 1 0 62 51 2.02 1.07
1954 11 10 1 0 0 3 3 -- -- .500 254 62.0 65 4 10 -- 1 24 0 0 28 23 3.34 1.21
1955 12 4 0 0 0 0 4 -- -- .000 115 22.2 41 7 5 0 0 8 0 0 30 27 10.57 2.03
通算:10年 314 226 137 12 15 99 121 -- -- .450 8630 2041.1 1972 104 658 0 35 610 14 10 949 737 3.25 1.29
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • セネタースは、1947年に東急(東急フライヤーズ)に、1948年急映(急映フライヤーズ)に、1949年東急(東急フライヤーズ)に球団名を変更

背番号

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  • 8(1946年 - 1948年)
  • 15(1949年)
  • 18(1950年 - 1955年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、206ページ
  2. ^ a b c d 蛭間 豊章 通算99勝で終わった黒尾重明さん(735回) 2014年5月17日閲覧。
  3. ^ a b 辺見[1995: 153]

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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