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鶴田泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴田 泰
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県塩山市(現:甲州市
生年月日 (1970-07-23) 1970年7月23日(54歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト2位
初出場 1993年4月11日
最終出場 2004年8月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鶴田 泰(つるた やすし、1970年7月23日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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塩山商高では3年春に県大会準優勝し、1989年の卒業後駒澤大学に入学。同大学硬式野球部では同期の田口昌徳とバッテリーを組んでいた。全日本のメンバーにも選出され、4年時の1992年3月にはプロアマ交歓試合(神宮球場)で先発した[1]。また、同4年春には2年後輩の河原純一投手の活躍もあって、立命館大学を11-7で破り大学選手権で優勝。東都大学リーグ通算29試合登板し8勝2敗、防御率2.07、111奪三振。駒大では同期の田口の他に、2学年先輩に関川浩一、1学年先輩に若田部健一竹下潤両投手、2年後輩には河原と高木浩之両投手や本間満らがいた。1992年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから2位指名を受け、入団。

1993年シーズンは右の軟投派の先発投手として7勝を挙げた。

1995年のアリゾナキャンプ時に右肘を故障。

1998年シーズンには4年ぶりに一軍登板を果たす。

1999年シーズンには5年ぶりに一軍での勝利を挙げチームのリーグ優勝にも貢献した。しかし鶴田のリハビリしている間に若手の台頭や移籍選手の加入により、選手層が厚くなる。

2000年シーズンオフに紀藤真琴とのトレードで広島東洋カープへ移籍。

2003年9月15日阪神甲子園球場の試合では満塁策を取りに行くも、赤星憲広にサヨナラ打を浴び、阪神の優勝を招くことになった。

2004年シーズン終了後に自由契約となり、現役を引退。引退後は古巣・中日の打撃投手へ転身。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1993 中日 29 19 2 1 1 7 11 0 -- .389 527 127.0 119 16 42 0 3 110 3 0 54 49 3.47 1.27
1994 22 10 0 0 0 2 5 0 -- .286 277 60.2 76 10 24 0 2 46 3 0 37 35 5.19 1.65
1998 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 33 8.0 4 0 5 0 0 4 0 0 2 2 2.25 1.13
1999 6 4 0 0 0 2 1 0 -- .667 91 21.0 25 1 6 1 0 18 0 0 12 6 2.57 1.48
2000 14 1 0 0 0 0 1 1 -- .000 65 15.1 15 1 6 1 0 14 2 0 10 9 5.28 1.37
2001 広島 15 9 0 0 0 4 3 1 -- .571 230 54.2 52 6 16 0 1 34 2 0 20 15 2.47 1.24
2002 17 17 0 0 0 4 6 0 -- .400 337 72.2 95 18 29 2 2 54 4 0 51 49 6.07 1.71
2003 17 8 0 0 0 2 3 0 -- .400 234 53.1 55 8 22 1 1 41 1 0 25 25 4.22 1.44
2004 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 3.2 5 1 1 0 0 2 0 0 3 3 7.36 1.64
通算:9年 125 69 2 1 1 21 31 2 -- .404 1809 416.1 446 61 151 5 9 323 15 0 214 193 4.17 1.43

記録

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投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:1993年5月8日、対横浜ベイスターズ5回戦(ナゴヤ球場)、2回裏に森山良二から
  • 1試合5三振:1993年9月7日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場) ※史上5人目(セ・リーグ3人目)

背番号

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  • 28 (1993年 - 1996年)
  • 64 (1997年)
  • 30 (1998年 - 2000年)
  • 17 (2001年)
  • 21 (2002年 - 2004年)[注 1]
  • 116 (2005年 - )

脚注

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注釈

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  1. ^ 新人が21番をつけると大成しないというジンクスを気にした広島球団が、大竹寛に17番を着けさせるために21番への変更を要請したという。[2]

出典

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  1. ^ '93スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ ベースボールマガジン』2002年夏 - 日本プロ野球を彩ったユニフォーム&背番号、ベースボール・マガジン社

関連項目

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外部リンク

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