鴨田勝雄
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県新居浜市 |
生年月日 | 1939年8月27日 |
没年月日 | 2002年10月27日(63歳没) |
選手情報 | |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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鴨田 勝雄(かもた かつお、1939年8月27日 - 2002年10月27日)は愛媛県新居浜市出身の野球選手(捕手)・監督。
新居浜商高や法政大学で監督を務め、1980年代の法政全盛期を支えた。
経歴
[編集]新居浜東高卒業後の1958年に法政大学(夜間部)へ進学し、野球部では主に捕手としてプレー。大学卒業後の1962年に新居浜へ帰郷し、新居浜商業監督に就任。1975年には片岡大蔵や続木敏之を擁するチームを率い、北四国大会を突破して夏の選手権大会へ初出場を果たした。同大会では決勝で習志野高校にサヨナラで惜敗するも、準優勝している。
1978年から母校・法大の監督に就任し、1980年秋の東京六大学リーグで監督として初優勝。1982年には田中富生・木戸克彦のバッテリーと西田真二という同年のドラフト会議でいずれも1位指名される3選手を擁して春のリーグ戦を10戦全勝で制し、自身初の出場となった全日本大学選手権でも優勝。1984年・1985年には全日本大学選手権を連覇するなど、同野球部の全盛期を支えた。法大の歴代監督の中でも156勝で最多勝、最多優勝回数、最多勝率.725の3部門で1位であり、東京六大学の監督で全勝優勝を2回達成した唯一の監督である。また、上記の1982年の3人を含め、監督(新居浜商高時代含む)として通算31人のプロ野球選手を輩出した。
この間、日米大学野球選手権大会では第11回・第13回・第14回で日本代表監督を、ロサンゼルスオリンピック野球日本代表でコーチをそれぞれ務めた。1986年で竹内昭文に法政の監督を引継ぎ、1987年からは日本IBM野洲監督に就任。同年の都市対抗で同社を初出場に導き、1990年も同大会に出場。なお、いずれも初戦で敗退している。
IBM監督を退いた後も中主町(現・野洲市)に住み、2002年10月に心不全のため逝去。
指導人物
[編集]- 法政大
- 新居浜商業高