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高鬧児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高 鬧児(こう とうじ、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えた女真人の一人。

概要

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高鬧児はチンギス・カンに仕えて中央アジア遠征に活躍したとされる。チンギス・カンの死後、第2代皇帝オゴデイの息子のクチュによる南宋侵攻が始まると、チャガン・ノヤンととともに連年出征して軍功を重ね、総管管領山前十路匠軍の地位を授けられた。1259年己未)、第4代皇帝モンケは高鬧児が既に高齢であることを憐れみ、その子の高元長に地位を継がせた[1]

脚注

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  1. ^ 『元史』巻151列伝38高鬧児伝,「高鬧児、女直人。事太祖、従征西域。復従闊出太子・察罕那演、連歳出征、累有功、授金符、総管管領山前十路匠軍」

参考文献

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  • 元史』巻151列伝38高鬧児伝
  • 新元史』巻147列伝44高鬧児伝