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馬渕晴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まぶち はるこ
馬渕 晴子
馬渕 晴子
1955年
本名 井上明子
馬渕明子(旧姓)
生年月日 (1936-11-02) 1936年11月2日
没年月日 (2012-10-03) 2012年10月3日(75歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都
死没地 東京都[1]
血液型 O型
ジャンル 女優
活動期間 1954年 - 2012年
配偶者 井上孝雄(1960 - 1994年死別)
著名な家族 井上恵介(次男)
主な作品
テレビドラマ
雲のじゅうたん
鮎のうた
よーいドン
甘辛しゃん
映画
祭りの準備
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馬渕 晴子(まぶち はるこ、1936年昭和11年〉11月2日[2] - 2012年平成24年〉10月3日[3])は、日本の女優東京都出身[2]。身長159cm、体重40kg。夫は井上孝雄(1994年死別)。次男は陶芸家の井上恵介。 本名は井上明子(いのうえ はるこ)[2]

人物・来歴

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東京都立明正高等学校(現・東京都立芦花高等学校)在学中[2]日活にスカウトされ[2]1954年『女人の館』でスクリーンデビュー[3]1957年、NHK専属女優となり、小林千登勢冨士眞奈美と「NHK3人娘」と呼ばれて人気を博す[3][4]

1960年に俳優の井上孝雄と結婚したことで一時芸能界を離れるが[5]1966年の『記念樹』で復帰する。

日本人女優として初めてヌードグラビアを披露しており、『アサヒカメラ』誌上での見事なヌードは話題を呼んだ[6]

居住していた都内のマンションが地上げ屋の被害に遭い、不動産業者と裁判で争う姿がワイドショーで連日報道され、一躍時の人となり、1986年には新語・流行語大賞において地揚げ・底地買いで不快語追放応援賞を受賞(裁判には全面敗北しているが、当時のバブル崩壊による地価の暴落で業者はマンションの地上げを断念した)。これらの行動から「闘う女優」と報道されることもあった[7][8]

晩年は病をおしながらも女優業をこなしていたが、2012年平成24年)10月3日午前9時51分、肺癌のため死去[3][1]。75歳没。

生前は酒とタバコを愛していた[要出典]。すっきりとしたスタイルと、モダンな顔立ちで幅広い役柄を演じた[4]

出演作品

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テレビドラマ

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NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京

映画

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舞台

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劇場アニメ

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吹き替え

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カタログ

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CM

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  • 資生堂口紅「キャンディトーン」(1961年)
  • 東京ガス「ライフバル・点検信長篇」

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 放送当時はNET(現・テレビ朝日)(ANN)系列であった。

出典

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  1. ^ a b “病室に台本、最期まで女優魂…“日本の母”馬渕晴子さん死去”. スポニチ Sponichi Annex. (2012年10月4日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/10/04/kiji/K20121004004252440.html 2017年12月8日閲覧。 
  2. ^ a b c d e 河北新報 1982年11月18日 20面「登場」コーナー
  3. ^ a b c d 馬渕晴子(追悼2012 写真特集)|時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年1月8日閲覧。
  4. ^ a b NHK. “馬渕晴子|NHK人物録”. NHK人物録 | NHKアーカイブス. 2022年1月8日閲覧。
  5. ^ Company, The Asahi Shimbun. “朝日新聞デジタル:俳優・馬渕晴子さん死去 「NHK三人娘」として活躍”. www.asahi.com. 2022年1月8日閲覧。
  6. ^ 週刊平凡 1977年11月17日号 112 - 113頁「奥さんこんにちは 第172回」
  7. ^ 週刊平凡 1986年12月5日号 118 - 119頁、本人特集記事。
  8. ^ 月刊女性&運動(新日本婦人の会)1997年4月号 42 - 43頁「マンション地上げ裁判の10年目 馬渕晴子」
  9. ^ コメットさん”. メディア芸術データベース. 2016年11月26日閲覧。

外部リンク

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