額村
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ぬかむら 額村 | |
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廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
編入合併 額村、犀川村、内川村、湯涌谷村、安原村 → 金沢市 |
現在の自治体 | 金沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 石川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 8.80[1] km2. |
総人口 |
1,823人 (1953年) |
隣接自治体 | 石川県:金沢市、石川郡野々市町、富奥村、林村 |
額村役場 | |
所在地 | 石川県石川郡額村大字額乙丸 |
座標 | 北緯36度30分40秒 東経136度37分27秒 / 北緯36.51103度 東経136.62414度座標: 北緯36度30分40秒 東経136度37分27秒 / 北緯36.51103度 東経136.62414度 |
ウィキプロジェクト |
額谷、大額、額乙丸、額新保と「額」の字を付した地名が多く、古くから「額七か村」とも呼ばれていたため、額村という村名になった。
地理
[編集]- 現在の金沢市の西部、中心市街地の南西郊にあたる。
- 村制当時の産業は農業(米、野菜、瓜、リンゴなど)、戦前は採石、瓦製造も行われていた。金沢市に編入後は中心市街地への近さからベッドタウン化が進み、住宅地が広がって額新町、光が丘、しじま台、南四十万の新町名が起立している。
- 川:高橋川、七瀬川、碇川
- 名所:蓮如上人墓(四十万)
歴史
[編集]- 中世 - 大額、額谷、額乙丸、額新保、額三十苅(ぬかさんじゅうがり)、額助九、額栗林の額七か村があった。(後年、額三十苅が三十苅となり、額助九と額栗林は廃絶)
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、石川郡額谷村、大額村、額乙丸村、四十万(しじま)村、三十苅村、額新保村及び馬替村の区域をもって、石川郡額村が発足する。
- 1915年(大正4年)6月22日 - 石川電気鉄道(現・北陸鉄道石川線)が開通し、当村内に馬替駅、大額駅(現・額住宅前駅)、四十万駅の3駅を開設。
- 1935年(昭和10年)3月2日 - 粟田駅(現・乙丸駅)を開設。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 金沢市に編入する。7大字はそのまま金沢市の町名に継承。
交通
[編集]鉄道路線
[編集](当村廃止時点のもの)