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阪田清春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪田 清春
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市
生年月日 (1924-06-17) 1924年6月17日
没年月日 (1987-11-04) 1987年11月4日(63歳没)
身長
体重
161 cm
58 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1944年
初出場 1944年
最終出場 1952年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

阪田 清春(さかた きよはる、1924年6月17日 - 1987年11月4日[1])は、兵庫県神戸市[1]出身のプロ野球選手捕手)。1950年登録名は阪田清治。弟の阪田正芳阪田芳秀もプロ野球選手である。

来歴・人物

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滝川中学校では捕手として1941年選抜甲子園に出場し、別所昭とバッテリーを組んだ[1]1942年にも「幻の甲子園大会」と呼ばれる全国中等学校野球大会に出場。しかし1回戦で水戸商のエース石井藤吉郎に抑えられ敗退。

1944年阪急軍へ入団[1]、開幕直後からレギュラーとして起用される。同年は規定打席にも達し、リーグ6位の打率.310を記録した。1947年グレートリングへ移籍し、筒井敬三と併用されるが同年限りで退団[1]1948年社会人野球の今泉産業に入社、その後は古沢建設に移る[1]

1950年広島カープへ参加しプロ復帰[1]。同年はレギュラー捕手として打率.245(51位)を記録する。4月11日甲子園での大阪タイガース戦で駒田桂二から当時二人目となる満塁ランニング本塁打を記録[2]。また、8月23日の松山市営球場での国鉄スワローズ戦では、プロ初登板の金田正一からサヨナラ安打も放っている。しかし翌1951年辻井弘に定位置を譲り、1952年に阪急へ復帰[1]1953年限りで現役を引退した[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1944 阪急 33 144 129 10 40 3 1 0 45 16 2 4 4 -- 11 -- 0 3 -- .310 .364 .349 .713
1946 66 180 155 15 37 8 0 0 45 13 1 0 4 -- 20 -- 1 9 -- .239 .330 .290 .620
1947 グレートリング 50 143 126 10 25 5 0 0 30 10 0 2 6 -- 11 -- 0 9 -- .198 .263 .238 .501
1950 広島 122 508 469 41 115 16 2 3 144 43 3 3 9 -- 30 -- 0 24 18 .245 .291 .307 .598
1951 30 56 49 6 7 2 0 0 9 2 0 0 1 -- 6 -- 0 6 0 .143 .236 .184 .420
1952 阪急 17 23 21 0 3 0 0 0 3 1 0 0 0 -- 2 -- 0 1 0 .143 .217 .143 .360
通算:6年 318 1054 949 82 227 34 3 3 276 85 6 9 24 -- 80 -- 1 52 18 .239 .299 .291 .590

記録

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背番号

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  • 11 (1944年)
  • 3 (1946年)
  • 10 (1947年)
  • 2 (1950年 - 1951年)
  • 4 (1952年 - 1953年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、243ページ
  2. ^ 直近は小久保、イチローも達成?激レアなランニング満塁ホームラン。”. Number Web (2017年9月28日). 2020年7月26日閲覧。
  3. ^ 中国新聞社刊「カープの歩み 1949-2011」77ページ

関連項目

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外部リンク

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