長野助盛
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 1550年? |
死没 | 1611年 |
改名 | 秋月種信→長野助盛 |
別名 | 三郎左衛門(通称) |
主君 | 毛利隆元→大友義鎮→島津義久 |
氏族 | 秋月氏→長野氏 |
父母 | 父:秋月文種、養父:長野胤盛 |
兄弟 | 秋月晴種、秋月種実、高橋種冬、助盛、原田親種室 |
子 | 長野永盛、田原親貫、秋月種貞 |
長野 助盛(ながの すけもり)は、戦国時代の武将。秋月文種の子。豊前国京都郡馬ヶ岳城主。
生涯
[編集]豊前国の国人である秋月文種の子として生まれる。その後、豊前長野氏の名跡を継いだとされる。
弘治3年(1557年)に文種が自害すると、兄の秋月種実とともに再起を図り、行動を共にする。永禄8年(1565年)に大友宗麟の軍に居城小三岳城を攻撃され、降伏した。この際に子の親貫が田原氏の養子に入った。永禄11年(1568年)に今度は毛利氏の攻撃を受ける。
天正11年(1583年)に馬ヶ岳城へ入城した。同15年(1587年)の豊臣秀吉の九州征伐時には、この城が秀吉の本陣となり[1]、助盛は兄の種実と対峙することとなった[2]。
子の永盛は筑後国に国替えとなったのち、大坂の陣で戦死している。
脚注
[編集]- ^ 馬ヶ岳城跡(うまがたけ じょう あと)の歴史行橋市 2020年1月16日閲覧
- ^ 九州戦国史