コンテンツにスキップ

釜関フェリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
釜関フェリー
各種表記
ハングル 부관훼리
漢字 釜関훼리
釜關훼리
発音 プグァンフェリ
日本語読み: ふかんフェリー
RR式 Bugwan Hweri
MR式 Pugwan Hweri
英語表記: Pugwan Ferry
テンプレートを表示
釜山港に停泊中の「ソンヒ」(右)
釜関フェリー株式会社
Pugwan Ferry Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 大韓民国の旗 韓国
釜山広域市東区忠壮大路206 (草梁洞 45-39)
設立 1969年8月30日
業種 海運業
事業内容 国際定期航路の運航
資本金 48億ウォン
関係する人物 町井久之(鄭建永)(設立者)
外部リンク http://pukwan.co.kr/
テンプレートを表示

釜関フェリー(プグァンフェリー)は、大韓民国(韓国)の海運会社釜山広域市中区に本社を置き、同市と日本山口県下関市を結ぶフェリーを運航している。同社と日本側のパートナーである関釜フェリーとの共同運航により、夜行便を毎日一往復就航している。

関釜フェリーとの共同運航を念頭に、在日韓国人実業家で、後に在日本大韓民国民団中央本部顧問となる町井久之(鄭建永)が、1969年(昭和44年)に資本金60万ドルで釜山に設立。設立当初は自前の船舶を持たず関釜フェリーの韓国側の受付実務のみを取り扱っていたが、1983年4月に関釜フェリーのグループ会社でもある阪九フェリーから「第十六阪九」を購入し、改装のうえ「フェリー釜関」として就航させ、共同運航に着手した。

航路

[編集]
休航した航路
  • 釜山港 - 広島港(週3往復)
    • 「ソンヒ」の就航に伴い退役した「フェリー釜関」(2代目)を改装し船名を「ウンハ」に改名のうえ、2002年10月21日に就航したが、2005年8月22日に休航。
    • 単独運航。日本側の受付業務は山九が行っていた。

船舶

[編集]
釜関フェリー・ソンヒ「星希」(下関港)
2002年3月竣工、同年5月22日就航。16,665国際総トン、全長162m、幅23.6m、出力12,000馬力、航海速力18ノット(最大20ノット)。
旅客定員562名。車両等積載数:乗用車10台、TEUコンテナ換算140個。現代尾浦造船建造。

かつて運航されていた船舶

[編集]

※要目は当社就航時のデータ。

1973年3月竣工。10,781国際総トン、全長135.5m、幅22m、出力16,000馬力、航海速力18ノット(最大21ノット)。
旅客定員500名。車両等積載数:乗用車109台など。神田造船所(日本)建造。
1973年3月、「つくし」として竣工し翌月、西日本フェリー(日本)の神戸 - 苅田航路に就航。1975年3月、阪九フェリー(同)に売却され「第十六阪九」に改名。1983年4月、釜関フェリーが購入し「フェリー釜関」に改名、韓国船籍となり同月27日就航。1999年2月、「フェリー釜関」(2代目)就航に伴い退役。ギリシャに売却。
1973年12月竣工。10,729国際総トン、全長135m、幅22m、出力15,999馬力(ウンハの要目では16,000馬力)、航海速力18ノット(最大21ノット(ウンハの要目では20.5ノット))。
旅客定員500名。車両等積載数:乗用車109台など(ウンハの要目では、乗用車30台、トラック(8t換算)61台、コンテナ(10フィート換算)90個)。神田造船所(日本)建造。
1973年12月、「つくし」(前述)の同型船「はかた」として竣工し同月8日、西日本フェリー(日本)の神戸 - 苅田航路に就航。1975年3月、阪九フェリー(同)に売却され「第十七阪九」に改名。1984年8月、関釜フェリー(同)に売却され「フェリー関釜(3代目)に改名。1998年8月に退役後の1999年2月、釜関フェリーが購入し「フェリー釜関」(2代目)に改名され同月5日就航。2005年5月、「ソンヒ」就航に伴い退役後、同年10月「ウンハ」に改名。2004年7月に運休後の2005年、「ウン」に改名。2006年、ギリシャに売却。

脚注

[編集]
  1. ^ 日本のカーフェリー P.138
  2. ^ 日本のカーフェリー P.54,67,135
  3. ^ 日本のカーフェリー P.62,67,137,138

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]