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酒井忠与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠与
時代 江戸時代中期
生誕 享保6年閏7月4日1721年8月26日
死没 宝暦12年6月18日1762年8月7日
改名 元之助、竹之助(幼名)→忠与
別名 左膳、宮内(通称)
戒名 樹徳院殿康山成功大居士
墓所 福井県小浜市男山の空印寺
官位 従五位下、遠江
幕府 江戸幕府
若狭小浜藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠音、母:武藤氏
養父:酒井忠用
兄弟 忠通忠竜忠存忠用忠与、忠順、有馬則憑
側室:西村氏
忠貫遠藤胤相船越景範高木正直
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空印寺の墓

酒井 忠与(さかい ただよし)は、若狭小浜藩の第8代藩主。小浜藩酒井家9代。

第5代藩主酒井忠音の五男。宝暦7年(1757年)3月晦日、兄で先代藩主の忠用の隠居により跡を継いだ。宝暦12年(1762年)6月18日、42歳で死去し、跡を嫡男の忠貫が継いだ。

系譜

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