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諏訪神社 (瑞浪市土岐町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
諏訪神社
所在地 岐阜県瑞浪市土岐町鶴城2911-11
位置 北緯35度23分27秒 東経137度16分11.5秒 / 北緯35.39083度 東経137.269861度 / 35.39083; 137.269861 (諏訪神社 (瑞浪市土岐町))座標: 北緯35度23分27秒 東経137度16分11.5秒 / 北緯35.39083度 東経137.269861度 / 35.39083; 137.269861 (諏訪神社 (瑞浪市土岐町))
主祭神 南方刀美神八坂刀売神天神
社格 旧村社
創建 不明
主な神事 10月第2日曜日
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諏訪神社(すわじんじゃ)は、岐阜県瑞浪市土岐町鶴城に鎮座する神社(旧村社)。

祭神

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例祭

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10月第2日曜日

概要

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創建時期は不明である。

平安時代に編纂された美濃国神名帳土岐郡の項に「従五位下神野大神」と記されていることから、少なくても10世紀以前に、天神を祭神とする神野明神が創建された。

永禄3年(1560年)に造られた金銅仏がある。

永禄8年(1565年)1月、鶴ヶ城主の延友三郎兵衛尉信光が、信濃国諏訪大社より、鶴ヶ城の隣地で現在地より100mほど東の猪野洞に勧請した。当時の棟札が残っている。

正保年間(1644~1648年)に、古くからあった神野明神を同じ境内とした。

その後、延宝年間(1673~1681年)に現在地である天神の森へ遷座し、土岐村の氏神と仰がれた。

明治6年(1873年)1月13日に郷社に列した。

笹踊り

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毎年10月の第2日曜日に行われる秋の例祭「笹踊り」が、諏訪神社に奉納される。

笹踊りは雨乞い踊りの伝承によるもので、諏訪神社の奉納神楽として江戸時代中期が最も盛んであった。

伊勢信仰の影響を受けて、二見浦伊勢神宮の風物詩が唄われている。

例祭当日には、男子は白の狩衣に風折れ烏帽子を被って、白い鼻緒草履を履き、女子は青白の振袖に一文字笠をかぶり、赤い鼻緒の草履を履く。

そして、男女とも扇子と笹の小枝を持ち、地方[1]と呼ばれる伴奏者の拍子木と唄に合わせて踊る。

笹踊の踊手は十人で衣装は、男子は白の狩衣に風折れ烏帽子をかぶり、白い鼻緒の草履を履き、

女子は青白の振袖に一文字笠をかぶり、赤い鼻緒の草履を履く。そして、男女とも扇子と笹の小枝を持ち、地方の拍子木と唄に合わせて踊る。

奏者は、太鼓は1つ(1人)、笛は2本(2人)、拍子木は1つ(1人)、唄方は2人である。

この神楽は明治維新の頃から中絶していたが、日露戦争の戦勝祝賀として、村の若衆によって復興された。

昭和52年(1977年)に瑞浪市の無形民俗文化財に指定された。

境内社

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  • 天神社 (神野明神/高野明神) 祭神:菅原道真

交通アクセス

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参考文献

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  • 『瑞浪市史 歴史編』 第三編 古代(ニ) 第二章 東山道と瑞浪 第三節 古代の宗教 三 古代の神社 神野明神 p228~p229 瑞浪市 昭和49年
  • 『瑞浪市史 歴史編』 第四編 中世 第二章 室町時代の郷土 第三節 中世の宗教・文化 ニ 神道 諏訪社と尋河社 p375~p382 瑞浪市 昭和49年
  • 『土岐市史(一)原始時代~関ヶ原合戦』 第十七章 式内社・帳内社 ニ 土岐郡の帳内社 p100  第44図 従五位下高野明神 土岐市史編纂委員会 昭和45年

外部リンク

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脚注

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  1. ^ じかた=伴奏者