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藤田六郎兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤田 六郎兵衛(ふじた ろくろびょうえ)は能楽囃子方、笛方藤田流で用いられる名。

八世

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1812年(文化9年) - 1897年(明治30年)

七世藤田重村の養子。尾張藩お抱えの能役者で、明治維新後も名古屋を拠点に活動[1]

十世

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1908年(明治41年) - 1980年(昭和55年)

小鼓方幸清流田鍋惣太郎の次男。八世藤田六郎兵衛の五男である九世藤田清兵衛の養子。

十一世

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1953年(昭和28年) - 2018年(平成30年)

名古屋市生まれ。祖父の十世藤田六郎兵衛のもと、1960年(昭和35年)に一管「中之舞」で初舞台。同朋高等学校声楽科、名古屋音楽短大 (現名古屋音楽大学) 音楽科声楽専攻を卒業後、1980年(昭和55年)藤田流十一世家元を継承、1982年(昭和57年)藤田六郎兵衛を襲名。名古屋を拠点に国内外で広く活動し、新作能・復曲能にも多く参加した[2]。重要無形文化財総合指定保持者。文化庁芸術祭大賞[3]、観世寿夫記念法政大学能楽賞[4]、名古屋芸術祭賞他。名古屋音楽大学客員教授[5]

2018年(平成30年)8月28日、肝臓がんのため死去[6]。64歳没。

脚注

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  1. ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “藤田 六郎兵衛(10代目)(フジタ ロクロビョウエ)とは?”. コトバンク. 2024年6月29日閲覧。
  2. ^ 産経新聞:産経ニュース (2018年8月29日). “【訃報】能楽笛方藤田流十一世家元・藤田六郎兵衛さん”. 2024年6月29日閲覧。
  3. ^ 文化庁芸術祭賞受賞一覧 | 文化庁”. www.bunka.go.jp. 2024年9月22日閲覧。
  4. ^ 観世寿夫記念法政大学能楽賞・催花賞”. 野上記念法政大学能楽研究所. 2024年6月29日閲覧。
  5. ^ <訃報>藤田六郎兵衛客員教授のご逝去について|トピックス|同朋学園 名古屋音楽大学”. 2024年6月29日閲覧。
  6. ^ 訃報:藤田六郎兵衛さん64歳=能楽笛方藤田流十一世宗家”. 毎日新聞. 2024年6月29日閲覧。