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荻原麟次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

荻原 麟次郎(おぎわら りんじろう、1907年明治40年)3月15日[1] - 1997年平成9年)4月4日[1])は、日本政治家。第14代秋田市長[2]

来歴

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秋田県秋田市泉三嶽根出身。明治大学専門部卒[3]秋田県庁に入り、経済部長、出納長、会社社長[4]秋田県議会議員(4期、自民党)などを経て[3]1971年(昭和46年)、秋田市長選挙に保守系から立候補し、現職の革新系の川口大助を破って当選した[5]。市長在職中は市民広場の夜間照明の設置、大型市町村圏(秋田、男鹿南秋田河辺)促進連絡会議の発足、点字による市の広報の発行などの施策を実行した[3]。しかし、翌1972年(昭和47年)、市長選挙で現職の川口市長のスキャンダルを週刊誌に売り飛ばし、選挙妨害をしたとして解職請求が出され、同年12月の投票の結果、賛成が反対を上回り、荻原は市長を失職となった[6]1973年(昭和48年)の出直し市長選挙には立候補しなかった。その後、公職選挙法違反(虚偽事項の公表)で起訴され、1975年(昭和50年)、東京地裁懲役1年2ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた[7]。1997年(平成9年)に死去した。

脚注

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  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、287頁。
  2. ^ 歴代市長および副市長(助役)の紹介”. 秋田市. 2024年4月30日閲覧。
  3. ^ a b c 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、290頁。
  4. ^ 『秋田県議会史』第2巻、1381頁。
  5. ^ 『秋田魁年鑑 1972年版』40頁。
  6. ^ 『秋田魁年鑑 1974年版』42頁。
  7. ^ 『朝日新聞』1975年7月7日夕刊7面「荻原前市長ら有罪」。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 秋田県議会事務局編『秋田県議会史』第2巻、秋田県議会、1984年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
  • 『秋田魁年鑑 1972年版』秋田魁新報社、1971年。
  • 『秋田魁年鑑 1974年版』秋田魁新報社、1973年。