コンテンツにスキップ

臨済録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

臨済録(臨濟錄、りんざいろく)は、中国唐代禅僧臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録。一巻(編によっては二巻)。正式名は『鎮州臨済慧照禅師語録』。四家語録[注 1]の1つ。

概要

[編集]

臨済の弟子の三聖慧然によってまず編纂された。その後も円覚宗演によって増補され、宣和2年(1120年)に印刷された。その後、広く流布し、「語録の王」と呼ばれている。

北宋馬防による序文の「序」、弟子たちとの問答集の「上堂語」、弟子への講義録の「示衆」、他の禅僧との問答集の「勘弁」、伝記の「行録」、「眞定十方臨濟慧照玄公大宗師道行碑」「臨濟正宗碑銘」の碑文2つの「塔記」から構成される。

本文の一部

[編集]

「示衆」から

[編集]
你欲得識祖佛麼。 祇你面前聴法底是。

君たち、その祖仏[注 2]に会いたいと思うか。今わしの面前でこの説法を聴いている君こそがそれだ。(入矢義高訳)

問、如何是眞佛眞法眞道、乞垂開示。師云、佛者心清浄是。

問い、「真実の仏、真実の法、真実の道とはどんなものですか、どうぞお示しください。」師は言った、「仏とは心の清浄さがそれ。」(入矢訳)

道流、約山僧見處、與釋迦不別。今日多般用處、欠少什麼。六道神光、未曾間歇。若能如是見得、祇是一生無事人。

「弟子たちよ、わしの見地からすれば、この自己は釈迦と別のものではない。現在のこの日々のはたらきに何の欠けているものがあろうか。この六根を通じての自由な輝きは、一瞬でもとぎれたことはない。もし、このように徹見できれば、これこそ一生大安心の人だ。」

版本・訳注

[編集]
  • 『続古尊宿語要』
  • 『古尊宿語録』
  • 五山版 臨済録」
  • 「古活字版 臨済録」
  • 『臨済録 全』貝葉書院 手摺和綴本
  • 『臨済録 大正新脩大蔵経 巻47』
  • 『臨済録』(朝比奈宗源訳注、岩波文庫、1935年、改版1971年(復刻・一穂社、2004年)→タチバナ教養文庫、2000年)
  • 『臨済録』(柳田聖山訳、中央公論新社中公クラシックス、2004年→中公文庫、2019年)現代語訳のみ
    • 元版『世界の名著 18 禅語録』(中央公論社、新版・中公バックス、1978年)、旧版・其中堂、1961年
  • 『臨済録』(古田紹欽訳註、角川文庫、1962年)
  • 『佛典講座 30 臨済録』(柳田聖山、大蔵出版、1972年、新版2008年)
  • 『禅の語録 10 臨済録』(秋月龍珉訳著、筑摩書房、1972年、新版2016年)
  • 『臨済録』(入矢義高訳注、岩波文庫、1989年→ワイド版1991年)
  • 『臨済録』(山田無文著、禅文化研究所、2001年)
  • 『六祖壇経・臨済録 新国訳大蔵経 中国撰述部』(齋藤智寛、衣川賢次訳注、大蔵出版、2019年)ISBN 9784804382074
  • 『臨済録訳注』(衣川賢次訳著、大法輪閣、2023年)

関連書籍

[編集]

参考文献

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 四家語録 6 巻とは馬祖道一(709 - 788年)・百丈懐海 (749 - 814年)・黄檗希運(? - 850年)・臨済義玄(? - 867年)までの四代の語録をいう。
  2. ^ 釈迦

出典

[編集]

外部リンク

[編集]