織田長則
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時代 | 江戸時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛永8年7月4日(1631年8月1日) |
別名 | 通称:孫一郎 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下・河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
藩 | 美濃野村藩主 |
氏族 | 織田氏(長孝流) |
父母 | 父:織田長孝 |
兄弟 | 長則、長政、右京、村井長家、不破光昌室、岡田善同正室、木村重成室、津田監物室、本多景次正室 |
子 | なし |
織田 長則(おだ ながのり)は、江戸時代初期から前期にかけての大名。美濃国野村藩2代藩主。長孝系織田家2代。
略歴
[編集]初代藩主・織田長孝の長男として誕生した。
慶長11年(1606年)、父の死去により跡を継ぐ。元和6年(1620年)、大坂城普請助役を命じられる。寛永3年(1626年)、3代将軍・徳川家光の上洛に供奉した。
寛永8年(1631年)7月4日、死去した。嗣子がなかったため、野村藩織田家は改易となった。
ただし、長則が襲封したのは父の遺領でなく、祖父織田長益(有楽斎)の遺領味舌藩であったとする説もある[1]。