紀元前570年
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世紀 | 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀 |
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十年紀 |
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年 |
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紀元前570年(きげんぜん570ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元184年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前570年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]中国
[編集]- 楚の子重(公子嬰斉)が軍を率いて呉を攻撃したが、呉軍に迎撃されて敗れた(鳩茲の戦い)。
- 魯の襄公が晋に赴いた。晋の悼公と魯の襄公が長樗で盟を交わした。
- 晋の悼公と斉の霊公が耏外で盟を交わした。
- 晋の悼公・単の頃公・魯の襄公・宋の平公・衛の献公・鄭の釐公・斉の世子光らが鶏沢で会合し、同盟した。陳が楚から離反して、袁僑を会合に派遣すると、諸侯の大夫と袁僑が盟を交わした。
- 楚の公子何忌が陳に侵攻した。
- 晋の荀罃が軍を率いて許を攻撃した。