第二利根川船
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第二利根川船 | |
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基本情報 | |
建造所 | 横須賀造船所[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 運送船[2] |
艦歴 | |
計画 | 明治4年度工部省計画[1] |
起工 | 明治4年5月[3](1871年5月から6月) |
進水 | 1873年12月[3] |
竣工 | 1874年9月25日[4] |
除籍 | 1881年10月10日[1] |
その後 | 売却[1] |
要目 | |
排水量 | 109.25英トン[5] |
長さ | 40m[5] |
幅 | 5.61m[5] |
深さ | 2.09m[5] |
吃水 | 0.91m[5] |
ボイラー | 汽車缶[6] 1基[5] |
主機 | 2気筒斜置機械[3] |
推進 |
外輪[3] 外径4.3m x 33rpm[5] |
出力 |
40馬力[5] または 20IHP[7] |
速力 | 全速:7.0ノット、平均:6ノット2/3[6] |
燃料 |
炭団:25,200斤[7](14.91英トン) または25,535斤[8](15.11英トン) |
航続距離 |
燃料消費:9,600斤/日[7](5.68英トン/日) または6英トン432斤/日[6](6.26英トン/日) |
その他 | 船材:木[7] |
第二利根川船(だいにとねがわせん)[1]は、日本海軍の運輸船[2]。 艦名は利根川から採る[2]。
艦型
[編集]木造外輪船で第一利根川船の姉妹船であるが、 船体主要寸法が若干違う。 『横須賀海軍船廠史』の利根川丸の艦型図によるとマストは装備していないが、 マスト1本[7]、 または2本の記録がある[8]。 機関は第一利根川丸と同じになる。 主機は斜置2気筒機械で、気筒の直径は53cm、行程は485mm[6]。 ボイラーは汽車缶1基を装備し[6]、 蒸気圧力は5kg/cm2だった[5]
要目表の値は『横須賀海軍船廠史』[5]、機関は『帝国海軍機関史』[6]等によった。 その他の文献による要目は以下の通り。
- 『記録材料・海軍省報告書』:長さ131尺9996(40.000m)[8]、幅18尺5(5.606m)、深さ6尺9寸3(2.100m)、吃水3尺2(0.970m)、排水量109.25英トン[7]
- 『帝国海軍機関史』:長さ40m(21間5尺7寸2分)、幅5.61m(3間4寸7分8厘)、吃水前後共91cm(3尺6分2厘)。(『艦船総表及経歴書』による)[6]。
- 『近世帝国海軍史要』:排水量109英トン[9]
- 『日本近世造船史 明治時代』:トン数109トン、長さ132 ft (40.23 m)、幅16 ft (4.88 m)、30馬力[10]。
艦歴
[編集]明治4年度工部省計画により横須賀造船所で建造された[1]。 『横須賀海軍船廠史』によると1874年(明治7年)9月25日に竣工し、提督府附属とされた[4]。 『日本近世造船史 明治時代』によると1874年(明治7年)12月に竣工した[10]。
1875年(明治8年)8月5日、第二利根川船は提督府所轄とされ[11]、 9月25日に艦籍に編入された[1]。 10月27日、第二利根丸 (第二利根川丸[12]) と改称[13]、 11月17日練習船に定められた[1]。
1878年(明治11年)4月12日、東海鎮守府所轄の第二利根丸は練習船に指定された[14][15]
1880年(明治13年)1月20日繋泊練習船と定められたが[1][16]、 翌1881年(明治14年)10月10日に除籍[1]、 東京府の上田元善に12,540円で払い下げられ、同日引き渡された[1][17]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.32
- ^ a b c #浅井(1928)pp.33-34、利根 とね Tone.
- ^ a b c d #機関史(1975)別冊No.4、主機械罐制式発達一覧表
- ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.27
- ^ a b c d e f g h i j #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻pp.27-28
- ^ a b c d e f g h #機関史(1975)上巻pp.476-477
- ^ a b c d e f #M1-M9海軍省報告書画像47-48、明治六年艦船総数表
- ^ a b c #M1-M9海軍省報告書画像108-109、艦船表(明治9年6月30日現在)
- ^ #近世帝国海軍史要(1974)p.884、第二利根丸
- ^ a b #造船史明治(1973)p.499
- ^ #M1-M9海軍省報告書画像67-68、明治8年8月。
- ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.29
- ^ #M1-M9海軍省報告書画像68-70、明治8年10月。
- ^ #M10.7-M11.6海軍省報告書画像28-30、明治11年4月沿革
- ^ #M11布達/4月画像4、明治11年4月13日丙第56号
- ^ #M12.7-M13.6海軍省報告書画像16-17、艦船所轄並在任附改称及等級
- ^ #M14公文類纂後編8/利根川丸上田元吉へ引渡済画像1「主船第2468号の7 第二利根丸買受人エ引渡済之義御届 第二利根丸之義代金壱萬弐千五百四拾円ヲ以上田元善ナル者エ払下ケ方相達シ其金高十分ノ一相収メシ旨等ハ主船第二千四百六十八号ノ二ヲ以御届仕置候続キ該残金額一昨十日皆納済ニ付同日本船引渡方取計申候此段御届仕候也 主船局長 海軍少将赤松則良 十四年十月十二日 海軍卿川村純義殿 十月十五日会計軍務局達」
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。(国立公文書館)
- 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091300。(国立公文書館)
- 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091700。(国立公文書館)
- 『公文類纂 明治14年 後編 巻8 本省公文 艦船部/往入2609 主船局届 利根川丸上田元吉へ引渡済』。Ref.C09115264200。
- 『明治11年 海軍省布達全書/4月』。Ref.C12070004000。
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』 明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
- 造船協会 編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。
- 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。