稲内清二
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稲内 清二(いなうち せいじ、1892年(明治25年)8月25日[1] - 1943年(昭和18年)2月17日[2])は、内務官僚。千葉県市川市長。
経歴
[編集]京都府出身。1914年(大正3年)に盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)を卒業した後、1920年(大正9年)に京都帝国大学法学部を卒業した[3]。一年志願兵として陸軍少尉となる[3]。1922年(大正11年)に高等試験に合格した[3]。和歌山県伊都郡長、東牟婁支庁長、熊本県商工課長、同蚕糸課長、香川県社会課長、同地方課長、広島県学務課長、同地方課長、宮崎県学務部長、秋田県学務部長を歴任した[1][3]。
1940年(昭和15年)に退官した後、同年6月11日に市川市長に就任し、1941年(昭和16年)10月7日まで在任した[3][4]。その後、市川市会議員を務めた[2]。1943年(昭和18年)2月17日、市川市議在職中に胃潰瘍で死去[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。